神の国(2)
エミール村の周辺はアイリスの住む東部の市街地と異なり街灯もなく、星が綺麗に見える土地だった。
「こんばんは」
背後から呼び止められ、アイリスは立ち止まる。
「神官殿が夜更けに何を?」
振り返ると、薄明かりの中でも目立つ銀髪の男性が立っていた。噂の…と思いながら彼を観察していると、その手には白い手袋をつけている。
「すみません。慣れない土地で寝付けなくて」
アイリスが答えると、ジルベールは照れくさそうに笑った。
「ああ、僕もです。枕が違うと眠れなくて。テント、何号ですか?送っていきましょう」
「よいのですか?」
「神官殿の護衛も我々の仕事ですから」
アンナの話からは想像できない紳士な振る舞いに戸惑いながらも、アイリスは彼の後ろに着いていった。
「それにしても、お互い災厄のタイミングに当たってしまうとはついていませんね」
ジルベールの言葉がアイリスにとっては少しだけ意外だった。
「巡礼って嫌な仕事なんですか?アモン少佐殿はフォルドの鎮圧なども経験されておられるので、失礼ながら、こういうのは慣れているのかと」
「本当に有名なんですね、僕」
名乗ってもいない相手から名前を呼ばれたためか、ジルベールはそう呟いた。アイリスがすかさず謝罪すると、ちょっと驚いただけです、と笑った。
「国境警備は逆に大した仕事ではないです。相手は人間ですし、アルバティアは強国ですからフォルド以外に攻めてくる国もいないんですよ」
ジルベールの言葉通り、最後にアルバティアが戦争らしい戦争をしたのは70年前が最後だ。
アルバティアの国教であるユガド教は世界最大の信者を抱える宗教だが、一度だけその立場がゆらぎそうになったことがある。ユガド教に次いで信者数の多い宗教を擁する旧フォルド王国が、アルバティアに戦争を仕掛けたのだ。
国土を山脈と海に囲まれ、他国に対して圧倒的な地の利を持っていたアルバティアには元々国軍が存在せず、建国当初から軍事開発にも力を入れてこなかった。
宗教的に邪魔な上、領土、領海に埋蔵資源を多く保有するアルバティアに、フォルドは異教徒を粛清するという名目で攻め込んだ。理由など何でも良かったのだろうが。
ただこの戦争はすぐに終結した。
アルバティアには本当に神がいる。
フォルド王国の国土は、アルバティア国王の『神罰』によって瞬く間に光に包まれ、そして消えた。アルバティア国王は本当に神秘の力を持つのだ。
現在はアルバティア領となったその土地には、大きなクレーターが空いているのみで、旧フォルド王国民の半数はその戦争により命を落とした。
皮肉にもこの戦争以降、アルバティアに戦争を仕掛ける国はなくなり、周辺諸国でもユガド教への改宗が進んだ。アルバティアが物流や文化の交流を禁じ、実質的な鎖国状態になっているにも関わらず、ユガド教は今では他の追随を許さない世界最大の宗教となっている。
国内でもこの一件は国王たるユガド神への忠誠を強固にするきっかけになった。豊かな国であるとはいえ、定期的に災厄で大量死が発生する国で暴動や内紛が起きない理由は、人智を超えた力を持つ君主の存在が大きかった。
一方、元々軍事大国への改革が進んでいたフォルドの生き残りは、周辺諸国を巻き込み、50年ほど前にフォルド連邦を作った。それ以来幾度となくアルバティアに攻め込んでくるが、先の戦争を機に設立された国軍による鎮圧で事足りている。
その軍の少佐官を勤める彼は遠くを見つめながらアイリスの疑問に答えた。
「災厄は悪魔により引き起こされるものです。仕事柄、何度か悪魔を見たことも、火刑に処したこともあるのですが、目と肌の色以外は人と同じ姿をしているのですよ。それがどうやってこれだけの人間を大量虐殺するのでしょう。それが不気味なので、戦争よりも嫌ですね」
確かに、アイリスのポケットに入っている聖書にもそのような記載があった。
知恵を持つ悪魔はその姿を疑われぬよう、人に化けて生きている。陽の光を嫌い、その肌の色は血の気を感じられないほど真っ白く、目は闇夜でも赤く輝くという。
アイリス自身は悪魔を見たことはなかったが、聖書に触れながら言った。
「アルバティアは神がお守りくださるので、大丈夫ですよ」
その言葉にジルベールは一瞬しまった、という顔をした。
「神官様に言うことではありませんでした。内密にしてくださると助かるのですが」
困ったように笑いながらアイリスの前を歩く。テントの明かりが少しずつ近づいてきた。
「僕が言えたことではないですが、あまり夜中に出歩かないでくださいね」
「ふふ、わかりました」
テントの前でそう言葉を交わすと、ジルベールは反対方面に歩いて行った。
◇
「そういえば昨日夜中に出かけてたよね。そして男と話してた」
礼拝終わりのアイリスをドミニクは睨みつけた。隣のアンナもえっ、と声を上げた。
隠すほどのことでもないためアイリスは少しだけ意地悪い笑みを浮かべた。
「聞いて驚け、あのアモン少佐殿だ」
「はぁ!?何話したの?」
2人は前傾姿勢で食いつく。
「特に深い話はしてないけど…」
「えっ、もったいない」
「だってもう二度と会うことない人だし。ただカトリーヌには本当に似てた」
「う、羨ましい」
本音を漏らすドミニクをアンナが宥める。
「ドミ、落ち着こう。アモン少佐と出会ったところで何も発展しないんだし、私達はちゃんと婚活しよう」
「婚活か。ねぇ、アモン少佐と仲良くなって合コンセッティングしてよ」
「むりだよ。思ってたよりは優しかったけど、銃で女を撃つ人はちょっと…」
アイリスの言葉に2人は笑った。
「でも、アモン少佐の友達ってすごいのでてきそうだよね」
巡礼用の装束から寝間着に着替えながらアンナが言った。私も着替えよう、とドミニクも立ち上がる。
「東部軍のデュラン大尉とか南部のベルナール准尉とかは仲いいって聞いたことある」
「もしかしてマルク・デュラン?名家の息子じゃん」
「アイリス、軍に詳しいね」
「有名な人なら多少はわかる程度だよ」
そう答えると、アイリスは時計を一瞥した。
「ちょっと私お手洗い行ってくる」
静まり返ったテントの外に出ると、早足でアイリスは昨晩歩いた道へ戻った。
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微修正
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微修正2回目