ショコラを巡る宮廷書記官たちの憂鬱な事情
フルミアにバレンタインがあったら。
雪に囲まれたフルミアで、一番寒い時節になると万夫がソワソワとし始める。
小さな菓子店から始まったおまじないのような流言が流布し、今ではひとつの慣習として定着してしまった。
『一番寒い日に、一番大切なあなたへ』
小さなメッセージカードに書かれた文字が示す言葉は、親愛の告白。
そのカードを添えたショコラを女性から男性に送る。
それは時に愛の告白を意味する。
銀白の世界からガラス一枚で遮断された王宮のとある一室。
男たちが机の上にあるショコラに群がっていた。
「そんなに欲しいものかねぇ」
宮廷書記官たちが自分の執務室に次々とやってくるのを見て、紅茶を片手にしたリットが呆れたように呟いた。
煌々と薪の燃える暖炉の前で、火搔き棒を片手に宮廷書記官のひとりが答える。
「欲しいのか、欲しくないのか。問われれば、欲しいです」
「……畑も耕さず、種も撒かずに実りを得ようとするのは、傲慢ではないと?」
「リット様、畑も種も見つけることができない我々に、どうしろと?」
「……健闘を祈る」
瞑目して答えるリットに近付き、トウリが小さな声で尋ねた。
「あの、紅茶をお出しした方がいいでしょうか?」
「いや、出さなくていい。出所が女性のショコラを食べているのに、男からの紅茶など無粋だろう」
「……それも、そうですね」
「トウリも食べてきていいぞ」
「いえ。今日はもう」
トウリは片手でそっと鼻を押さえた。
ショコラの美味しさについつい食べすぎてしまい、無様な姿を晒したばかりだ。
「リット様は、もう食べないのですか?」
「んー、シャルロッテスレヒトのショコラだけで春まで保ちそうだ」
「……何段重ねでした?」
「七段」
「それは、充分ですね」
一口サイズのショコラといえど、一粒で店の紅茶一杯と同じ値の高級ショコラ。
リットが紅茶を飲む時に添えても一粒だけで充分に足りる濃密さだった。
トウリも一粒食べさせて貰った。
口の中に入れて軽く舐めるだけで溶け出すショコラの甘さ。その後に鼻まで広がるショコラの中に練り込まれたオレンジピールの香り。
その甘さと香りに耽溺して、また軽く舌で転がすとキャラメルの味わいがじわりと広がる。
その甘さに驚きながら、衝動的にまた舌を動かすとするりとショコラが溶け出し、あっという間に香りと甘さが渾然一体となる。
口腔内に染み込ませるように舌を隙間なく広げると、もうショコラは消えていた。
魔法のようなひと時の恍惚感。
紅茶一杯の香りがまた美味しさを思い出させる。
そんなショコラが詰まった箱が七段。
「リット様、何をしたんですか?」
思わずじっとりとした目線を送るトウリ。
リットは片方の口端を上げるだけ。
ーーー察しろ。そして、口外するな。
トウリは呆れたように肩を下げた。
リット宛に大量のショコラが届く理由は宮廷書記官全員が知っている。
恋文の代筆。
その成果に合わせて増加する。
ショコラにつける小さなメッセージカードは、定型文の『一番寒い日に、一番大切なあなたへ』から始まる。
そこから先の文章で愛の告白が変化していく。
どうしても振り向かせたい相手への恋文を。
結婚の申し込みをそれとなく匂わせて、相手に言わせたい恋文を。
告白をしたいけれど、相手に逃げ道を残せる恋文を。
喧嘩をしたばかりで、謝りたくはないけれどショコラは渡したい気持ちを伝える恋文を。
そんな女性たちのわがままに応えた結果が、執務室の机いっぱいのショコラだった。
「仕事では得られないたくさんの感謝の証だ。年に一度ほど、日頃の努力が形として報われる日があるとやりがいも出るものだな。はっはっは」
「食べきれていないじゃないですか」
「ショコラを欲する者がいるのならば、与えよう。さすれば恩を売れること間違いなし」
「……え、皆さんは」
トウリが何かを言いかけたが、素早くリットが片手で口を封じた。
「沈黙の価値を知っているな?」
いつもは余裕綽々とした翠の眼が笑ってもいない。
トウリは危機の重大さを悟り、小さく頷いた。
その二人の視線の先には、机の上にあるショコラを食べ続ける宮廷書記官たち。
「来年こそ、貰うぞ」
「手作りでなくていい。高いものでなくていい。ただ女性から貰いたい」
「この時期には実家からの小包が不要だと母に言ってやりたい」
目に光るものを湛えながら、男たちはショコラを食べ続けている。
トウリは実感のないまま、事の重大さは朧気ながらに理解した。
朝からどんどん机や小卓に積み上げられていった彩り豊かなショコラの包み。
そこまでの重大な意味を含むものとは思えなかった。
「……普通は、どんな風に貰うんでしょうか?」
「素朴な疑問だが、重要な質問であるな」
火搔き棒で薪の位置を整えた宮廷書記官が、トウリの呟きを聞くなり、ひと息で答えた。
「突発的でも構わない。だが、そんなことは荒唐無稽だ。
しいて答えるならば、不慮の事故として王宮の廊下の曲がり角でぶつかってしまうとしよう。
もちろん、その時は何もない。だが、相手がこちらの書類を一枚破損してしまったとしよう。
謝ってくれればそれ以上のことをこちらは求めない。
しかし、それに対して相手が何らかの情を抱くことは可能性としてはあるだろう。
その表れとして、宮廷書記官の大部屋にショコラを持って『あ、あの。これ……』と渡してくれるようなことも、あるかもしれない」
トウリは相槌に困って、曖昧に微笑んだ。
リットは無言のまま、窓の外へ視線を向ける。
雲の隙間から太陽が覗き込み、白銀の世界が輝いて見えた。
目を眇めるほどの神々しさだ。
暖炉で暖められた執務室で、リットから貰ったショコラを食べ続ける宮廷書記官たちは、ガラス一枚外にある雪の輝きをまだ知らない。
フルミアの春は遅い。
ジンがシズナから貰えるのかどうかのお話を希望される方は原作者の鷹野進様まで。
私は希望します。




