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第八話 竜の交渉

 バルドラッヘが自らの創造主に対して敬意と感謝の念を抱いた一方で、彼女らと別れて通い慣れたシキバ村へ向かっていた利見は、山中から続く踏み固められた道の先に見える村の光景に、思わず足を止めていた。

 村を先端を尖らせた丸太がぐるりと囲んでいるのは前と同じだし、更にその周囲を空堀が囲んでいるのも変わらない。だが、村の外からでも見えるあの白い生き物はなんなのか、その疑問が利見の足を止めたのだ。


「なんじゃありゃ。龍にしては胴体が太いし、首も短い。あのばるどらっへというお嬢ちゃんに続いて、この三カ月の間にシキバ村でなにがあったんじゃ」


 このまま村に入らずに山を出ようか、と未知に対する警戒から思案を巡らせる利見だったが、村の正門から訪ねる予定だった村長が姿を見せた事で背を向ける選択肢を一旦保留にした。


「おおい、利見殿や、いやいや久しいな。変わらず壮健なようでなによりだ。また外での話を聞かせていただきたい」


「シキバの村長殿、それはもちろんいただけるものをいただけたなら、いくらでもお話するのがわしの生業ですから、それは構いません。時に道中でココとバルドラッヘというお嬢ちゃんに会いましたが、村の中のあの白い妖怪かなにかと関係が?」


「ほう、バルと会いましたか。でしたら話は早い。利見殿と話をしたいという方がおりますので、わしより先にお会いいただけますかな。おそらく利見殿にとって損にはなりますまい」


「そこは、損はないと断言していただきたかったですね」


「はは、まあ、わしの推し量れる方ではありませんのでな。あなたが今、もっとも知りたいことを知ることが出来ます。それだけは確かですぞ」


 そうまで言われては情報屋である利見は無視できない。利見は若干の恐れを抱きながら、普段と変わらぬ態度を装って村の中に足を踏み入れる。


(さて、あの白いのは傷口は塞がっているが、大きな怪我をしている様子。養生の為にシキバ村を訪れたか?

 ばるどらっへのお嬢ちゃんは村で育ててもらっていると言っておったが、あの子を村に連れてきたのはひょっとしてあの白いのか? 生贄に捧げられた女子供を食わずに大切に育てる妖怪や神の話がないではないが、その例かのう)


 シキバ村の中の様子は利見の記憶の中のものと変わらない。畑仕事に精を出している村の者達にも脅されている恐怖や焦燥は感じられず、いつも通りの様子だ。


(どうやらあの白いのに脅されているわけではない、か。知恵が回りそうだの。向こうから話を持ち掛けてきた以上は口封じに殺されることはないが、呪いくらいは掛けられるのを覚悟しておくか)


 呪いを解く手段を持つ術士や巫女、妖怪の知り合いを脳裏に思い浮かべながら、利見は村長の案内に従い、遂に白い妖怪かなにか──シュテルンの下へと辿り着いた。

 二カ月が経過してもシュテルンの怪我は癒えていなかったが、彼に苦痛の色はない。バルドラッヘを預けたのと同じ場所で利見の到着を待っていた。

 改めてシュテルンの間近に来て見上げると、半死半生の傷を負っているにもかかわらず、その迫力は利見の想像を上回る。体中の毛穴が開いて冷や汗がどっと吹き出しそうになるのを、利見は意志の力で抑えるのに必死だった。


「村長、手間をかけたな。ありがとう」


「いえいえ、では利見殿、わしは家に戻っておりますので話が終わりましたら、顔を見せてくだされ」


「お、おう。分かったとも、村長よ」


 この見知らぬなにかを前に一人で置いて行かれるのに、利見は心細くて仕方なかったが、情報屋稼業をしていれば自分よりもはるかに格上の妖怪や精霊を前にする事も稀にある。

 格上との対話はこれが初めてではないのだ、と自分に言い聞かせて利見は自らを落ち着かせた。シュテルンは呼吸や脈拍、体温の変化から目の前の小妖怪の精神状態が見る間に落ち着いたのを各種センサーで感知し、その精神力と胆力を評価した。


「わざわざ来てもらって悪いな。俺はシュテルン。少し前からこの村で世話になっている。お前が先ほど出会ったバルドラッヘをこの村に預けたのが俺だ」


「ほ、それはそれは、わしは利見と申します。この陽ノ本の各地を回って物見遊山して得た話をして、皆様の耳目を楽しませておこぼれを預かるのを生業としておる者です」


「卑下した物言いはいらんぞ。この時代、どれだけ正確な情報を得られるか、その重要性を理解している者がどれだけいるか怪しいが、情報に価値があるのを理解して生業にするだけの賢さがある。俺はお前のような存在は高く評価されるべきだと思うぞ」


「これは過分なお言葉です。しかし、わしの生業をそのように評価してくださるのは、嬉しい事です。それでしゅてるん様がわしにどのようなご用事で。なにかしら情報がご入用ですか」


 相手がどれだけ大きな龍だろうと鬼だろうと土地神だろうと、商売が出来る相手ならば同じ土俵に立てる。利見の雰囲気が変わり、浮かべた笑みの奥で利益を得る為の計算を始めている。


「ああ、今すぐに必要というわけではないが、生きた情報を得る手段は多いに越したことはない。シュテルンが大きくなったら、俺はアレを村の外に出す。その時になんの道しるべの一つもなくては目的の場所には近づく事さえままならないだろう。

 その点、お前のような存在と繋がりがあれば、次の行動、その次、更にその次と行動の方針を立てやすい。お前に声を掛けたのはそういう理由だ」


「ははあ、なるほど、お考えは分かりましたが、しゅてるん様はバルドラッヘ殿になにをさせようと考えておいでなのですか? 情報を集めるにしてもやはり方向性や目的を知っていた方が、効率よく集められますので」


 利見はシュテルンの言葉を一字一句聞き逃すまいと、耳を澄まし、目を細めた。この見慣れぬ姿の存在が、この陽ノ本に新たな風か火種を作り出そうとしているのは明らかだ。そうなれば利見も情報屋としての腕の振るい甲斐が生まれるというもの。


「ふむ、少し漠然としたものとなるが、獄世の連中の動向が最優先だな。人間と妖怪共の争いで世が荒れるばかりでなく、獄徒共の介入で更に戦火が勢いを増している。その戦火が俺のところにまで飛び火して、この様よ。

 このままではおちおち寝てもいられんのでな。バルドラッヘにはこちら側に侵入している獄徒共の抹殺、また獄世の影響による乱世の鎮定を命じている。まだアレは幼いがそれが出来るだけのスペックは与えてある」


 シュテルンが口にした内容は、大言壮語か夢物語か、それ自分を騙そうという嘘偽りとしか思えないほど荒唐無稽だった。スペックという単語も、利見には意味の通じないものであった。

 力ある大名や公家が世の平穏を唱えるのならば、まだ説得力がある。あるいは特別な霊力に恵まれた者や神仏の加護を得た英雄ならば……。


「まさか、ばるどらっへ殿を英雄に仕立て上げるおつもりで?」


「察しが良いな。まあ、そういう事だ。悪逆非道の妖怪や人間、それに獄徒共を退治していけばその内に名が知られるだろう。そうして高名を得れば、大名達の方がバルドラッヘを放ってはおくまい。

 獄徒共が本格的に侵攻を始めれば、人間同士や妖怪との間で戦う余裕は無くなる。獄世の連中は侵攻を重ねる度に強くなってきた。今度の侵攻では、陽ノ本全土が炎に包まれてもおかしくない。バルドラッヘにとっても名を売る好機だ」


 とは言ったものの、その名を売る好機と考えた連中がしょっちゅう襲い掛かってくるのが嫌になって、シュテルンはバルドラッヘを作り出す事になったのだから何とも皮肉的だ。

 一方で利見からすると先ほど見たバルドラッヘに、そこまでの力があるかどうかは半信半疑だった。肌が粟立つほどの清浄な霊力や膨大な妖気、あるいは骨が凍えるほどの圧倒的な暴力の気配といった強者特有の雰囲気を感じなかったからである。

 むしろどこか欠けているように感じられたのは、与えられた目的の為に与えられたままに生きているからか、と納得していた。


「お考えは分かりました。そうなりますと当面は獄世の動き、と悪名の広まっている妖怪や人間達の情報を集めればよいわけですな」


「バルドラッヘの踏み台は多い方がいい。ところでお前に連絡を取る時には、どうすればいい? 独自の情報網を持っていることくらいは想像が着くが……」


 シュテルンとしては通信機でも作って渡そうかと考えていたが、利見は帯に引っかけていた印籠を手に取り、それをシュテルンへと差し出した。黒い漆の光沢が美しい小さな印籠で、小槌の根付がついている。

 薬や香料などを入れて持ち歩く為の容器だが、この印籠には三枚羽の風車が描かれている。


「これはわしの家紋でして、陽ノ本の何処でもとまでは行きませんが、大きな都市にはこの家紋を掲げた家があります。人間の国でも妖怪の国でも、この印籠を持って訪れて頂ければ最大限の便宜を図ります」


「ほう、風車か。風のように飛び回り、風の噂を自在に操るように情報を集める、といったところか? 存外、大物なのか?」


 愉快そうに笑うシュテルンに対して、利見はあくまで謙遜した態度で答えた。


「まさかまさか。しがない旅好き、噂好きの隠居でございます。老いぼれですので失うものは己の命だけ。そうなるとこの足も実に軽やかに動くものでして」


「富も名誉もいらない。その代わり己の情報で人が、妖怪が、世の中がどう動くのかを見たくなったか? そちらの方が単なる欲深よりも厄介だが。おっと、俺にはサトリのように心を読む力はないので、勝手な想像だ。外れていたら笑って許してくれ」


 利見の腹の内を見抜いたように口にするシュテルンに、利見は笑顔を浮かべていたが目は笑っていなかった。


「ははは、いや、これは痛烈ですな。ですが、ええ、年をとっても欲は深まるばかり。因業爺と呼ぶ者もおります。

 時にしゅてるん殿は妖怪ですかな? それとも精霊? はたまた神仏かその眷属でいらっしゃる? 私見ですが遠く離れた西方に住まう竜に近い容姿とお見受けしますが」


「ふうん。西の方の竜を知っているとは珍しい。大陸の更に西の方の客は、今のご時世でも珍しかろう。竜についてはそこから伝わるとしても知っている者は少ないはずだ。お前は俺が思う以上に情報通らしい」


 シュテルンも彼なりに利見とは別に情報収集の手段をコツコツ用意している最中だが、利見と接点が持てたのは思いの外、運が良いと考える位には彼を高く評価しつつある。

 利見もおそらくこの陽ノ本にシュテルン以外に居るかどうか怪しい竜を──実は誤解があるのだが──前にして、面白くなってきたと胸を高鳴らせていた。

 彼にとって未知との遭遇は老後の楽しみを増してくれる新たな刺激だ。それもこのシュテルンとバルドラッヘは特上の刺激となる予感がしている。


「ははは、それほどの者ではありませんとも。時にしゅてるん様、不躾ではありますが、そのお体の傷は以前から? それとも最近のものでありますか? もしよろしければお伺いしてもよろしいでしょうか」


「ふふ、それもお前にとっては情報という商品か。この目やら翼やらはここに来る直前の戦闘で負った傷だ。特に痛む事もないし、その内に治る」


 目の前の竜からは霊力や妖力は感じられないが、竜である以上はかなり高位の妖怪に匹敵するはずだ。そのシュテルンにこうまで深手を負わせたとなれば、彼と戦った相手はかなりの手練れであると利見は判断した。


(この三カ月以内に死んだ強力な妖怪や人間の英傑を調べて、該当者がいなければこの方を襲ったのは獄徒じゃな。わしが思う以上に獄徒達の浸食は進んでおるのかもしれん)


 シュテルンから伝えられた情報を自分の知識と照らし合わせて、この後の行動を組み立てている利見にシュテルンが言葉を重ねる。


「獄世の情勢が変わっていないのなら、向こうの六大勢力もそのままだろう。全てが陽ノ本に食指を動かしているとは思い難いが、よく調べてもらいたい。先程までの情報とコレは手付金だ。足りなければ言ってくれ」


 シュテルンが無事な右腕を利見の目の前に地面に置き、握っていた拳を開くと黄金の粒が零れ落ちて地面の上に黄金の小山が出来上がる。太陽の光を浴びて眩く輝く黄金に、さしもの利見も驚きの表情を抑えきれない。


「っ、こ、これは」


「どうだ? これで当面の分は足りるか?」


 シュテルンは基本的に星降山に引き籠っていた為、当世の貨幣価値について疎いところがある。

 バルドラッヘを英雄に仕立て上げる案を思いついてから情報収集を始めているが、利見のような情報屋の相場となるとまだ調べが及んでいない。その上で黄金を提示したが、利見の反応を見るに十分過ぎるほどの額だったようだ。


「俺の血肉は難しいがこの量の黄金ならば、いくらでも用意しよう。さて、どうか?」


 ニヤリと口角を吊り上げるシュテルンの目の前で、利見は黄金の小山に手を伸ばして一つまみ分だけ黄金を取った。


「おや、それだけでいいのか? この黄金は全てお前に頼む仕事の代金なのだ。全て持ち帰っても、誰も責め立てたりはしないぞ」


 利見は手に取った黄金を懐に仕舞って、胸の内に湧いた欲望を溜息と共に吐き出す。


「あまり爺を試すような真似はしないでくだされ。寿命が縮むかと思いました。先程、あなたにお伝えした情報とこれからの仕事の分なら、これで十分ですとも。これ以上は今後のわしの働きに応じて頂戴するといたしましょう」


「前払いでも俺は構わんのだがな。まあ、それがお前の矜持ならばこれ以上、あれこれ言うのは止めだ。ではこれ以降、お前を頼りにした時、お前から情報を受け取った時に随時、対価として残りの黄金を渡すか、お前の求めに応じるとしよう。それでいいか?」


「ええ、それで十分ですとも。この利見、この黄金よりもはるかに価値のある情報を仕入れ御覧に入れましょう」


 自らの誇りを込めて口にしながら、利見はこれは面白い事になったと内心でほくそ笑む。

 シュテルンはそうして恭しく首を垂れる利見の内心を見透かしたように、こちらもまた楽しそうに笑いながら見下ろしているのだった。

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