第七話 似たもの姉妹
この利見という妖怪は名前の通り、事情通として言葉の通じる妖怪やシバ族の間では重宝されている。
ひとところに留まらずあちこちを歩き回っては情報を集め、繋がりのある妖怪達に伝えては対価を得て生活している珍しい妖怪だ。
国境を越えてあちこちに足を伸ばして活動しており、利見自身が口にした通り、シキバ村の近くにまでやってくるのは実に三カ月ぶりのことだった。
「お前さんと会えたなら、シキバ村まで顔を出す必要もないか? どれ、ちと休ませてもらおうか」
言うが早いか利見は適当な木の根っこに腰かけ、腰から下げていた水筒に口を着けて、がぶがぶと水を飲み始めた。
「ふうん、相変わらず忙しないのね。バル、あたし達もちょっと休憩にしましょうか」
「はい」
ココとバルドラッヘも、彼と向かい合うようにして手頃な石や盛り上がった木の根っこの上に座る。
喉を潤した利見はココがなにか尋ねるよりも早く、勝手に口を開いてこの三カ月で仕入れてきた情報をぺちゃくちゃと喋り始めた。
「人の世は東も西も、北も南も、どこもまあ、大名同士の小競り合いが続いとる。今や幕府の権威も帝の威光も薄れて、力ある大名がこの陽ノ本の王にならんとしておる感じじゃな」
「ふーん。もう長い間、そんな感じじゃないかしら? 大きな変化はないの?」
「いくらか有力な大名達が出そろい始めたが、その中でもかつての幕府の将軍家に義理立てしておる者、帝を崇め奉っておる者、自分こそが王だと考えている者と色々じゃからな。
手を組んだり組まなかったり、昨日の味方が今日の敵で明日はまた味方なんて情勢だから、決め手が欠けとるんじゃよ。その分、小さくて弱い国は大国の都合に振り回されて、青息吐息、滅んだところも多い」
シュテルンから聞かされていた通り、人の世の戦乱はかなり根深いらしい、とココは納得して、それから人でない者達について尋ねた。
「それなら妖怪の方はどうなの? こっちの方がよっぽど人間よりもまとまりがなさそうだけど。あ、もちろん、対価なしで話せる範囲でお願いね」
対価を求められないからと話を進めて、後になってから求められても困る。利見は阿漕とまでは行かないが、小狡いところがある情報屋だ。
ココの言葉に利見はピクリと瞼を動かした。その言葉が無かったら、後から対価を要求しようとしていたのだろう。
「わかっとる、わかっとる。わしがそのようなあくどい真似をするものかね。ほうら、この目を見よ。正直者の目じゃ」
「そうは見えないけど。それよりも、ほら、話の続き、続き」
まったくもう、とココは利見の面の厚い発言に溜息を吐いたが、それが愛嬌で済むのが利見だった。
「お前さんは口が達者になったな。小さな妖怪の群れや派閥はしょっちゅう、興っちゃあ滅んだりしているな。大きく育ちそうな芽もちらほら出てきたが、古強者連中の顔ぶれは変わらんよ。
だがどうにもキナ臭い話は増えたな。獄世の連中を見かける頻度があちこちで増えたと聞く。奴らがまたぞろ本格的に攻めてくるのなら、一旦は戦いを止めるじゃろう。
九尾の妖狐である玉蓮、かつては都を脅かした大鬼武頼、厳霊山の八賢天狗、ここら辺はこの世の者同士の争いよりも、獄世の連中を片付けるのを優先すると予想しとる。
ただ獄世の事を知らん若い妖怪達も多い。血の気に逸って暴発しそうなところもあるのが気掛かりよ。第一、徒党を組まん妖怪の方が、組む妖怪よりも多いしの」
妖怪というものは千差万別で人間やそのほかの生き物のように血の繋がりを持つ種もいるが、一種一個体も少なくないし、他の生き物の感情から誕生する者もおり多種多様過ぎる。
その為に人間と比べるとはるかに団結の難しい一面があり、生物として見ればより強大な妖怪を相手に、人間が今日に至るまで滅ぼされず、支配されずに済んだ一因でもある。
「あたしも獄世とか獄徒とか、話は知っているけれど実際に見たわけじゃないし、話で伝え聞くだけだからピンと来ないのよねえ」
まだ若い彼女にとっては言葉の通り、獄世の脅威は実感の湧かないものだった。シュテルンがこうしてバルドラッヘを作り出しているほどなのだから、彼が間接的にとはいえ介入しなければならない脅威なのだろうが、ココはシュテルンが戦っているところを見たことがないし、バルドラッヘだって今のところは可愛い妹でしかない。
「古い妖怪なら奴らの厄介さを知っておるから油断はせんが、お前さんのような若いのや世代の交代している人間連中は獄徒共の力を計り間違えそうだからな。
さて、ただで話せるのはここらへんくらいか。やはり村に行くとしようかの。これ以上はお前さん所の村長と話し合って、お互い納得の行く料金で話すわい。
だが、その前にちっくと尋ねたい。そこのお嬢さんはどうしたわけだ? 陽ノ本の人間ではないよな?」
利見からの当然の指摘を受けて、ココはすぐ後ろのバルドラッヘを振り返り、どこまで話したものかと頭を悩ませる。この後、村長と利見が話をするなら交渉材料としてバルドラッヘの素性はなるべく伏せておくべきだ。それくらいはココにも分かる。
うーん、とココが悩んでいると不意にバルドラッヘが誰かに声を掛けられたように顔を上げて、それから利見の黄色い瞳をじっと見つめる。
利見はバルドラッヘの色違いの瞳に魅入られるような感覚に襲われた。瞳に特殊な力を持つ人間や妖怪は多いが、バルドラッヘの瞳にも何かしらの力があるのか、利見は視線を外せずにいた。
(奇妙な眼差しじゃわい。何かを秘めておるというよりは、むしろ逆。何もないかのような)
「初めまして、私はバルドラッヘ」
「お、おう。名前も異国風じゃな。耳に馴染みのない響きの名前よ。異国と取引している港の辺りならまた話は違うにしても、どうしてこんな山奥にお前さんのような人間がおるんじゃ?」
「私が成すべき事を成す為に。その為にはもっともっと大きくならないといけないのだけれど、それまでの間、お姉ちゃん達の村で育ててもらっている」
「ほおん? シキバ村の者らが山の中か麓でお前さんを拾ったというわけではないのか」
それもそうかと利見はバルドラッヘの明かした情報に納得した様子で、顎を撫でた。
諸国を渡り歩いている利見にしても、異国の人間を見るのは滅多にない機会だが、バルドラッヘはどうも普通の人間ではないと利見の勘が告げている。
シキバ村に限らず陽ノ本各地で人妖問わず伝手を持つこの小さな妖怪は、自らの経験が培った勘によって多くの利を得て、また命拾いをしてきた。
その勘が目の前の少女に注目するべきだと訴えている。まだ十歳にもならない子供が、この先、新たな風を吹かす予感を利見は漠然と感じていたのである。
「それでお前さんの親御さんはどこのどなただい? ひょっとして異国の有名な武人か術士、精霊だったりするのかい?」
探りを入れる利見の言葉をココは止めるべきかどうか悩んだが、バルドラッヘは信頼する姉の肩に手を置いて止めて、先程から届いているシュテルンの言葉に従って答える。
「それはシキバ村に来れば分かる。あなたは外の世界に詳しいみたいだから、色々と頼みたいことがあるんだって」
「ふうん?」
さて妙な言い回しだが、と利見は一呼吸置いてから答えた。
「なに、それなら話は早い。シキバ村に足を運ぶのには変わりない。そこでお嬢ちゃんについて聞く予定だったのが、そっちから話をしたいって言うんなら話は早い。
どれ、休みは切り上げてさっそく向かうとするかい。これからお前さん達はどうするね? わしと一緒に村に戻るかね?」
パッと立ち上がり、楽しげに笑う利見に問われて、ココはバルドラッヘの顔を見ながら答えた。どうも今のバルドラッヘの様子がいつものぽややんとしたものとは違うのを、家族歴二カ月とはいえ、ココは敏感に察していた。
「バル、どうする?」
「私はもう言うことはないよ。後は村でね、話すって。だからお山の冒険に戻ろ?」
「そう。うん、それじゃあ、そうしましょ。今日はもう少し奥の方まで行くわよ!」
気を取り直して元気な声を出すココに、バルドラッヘは頷き返してから利見に目を向けて、小さな手を左右に振る。
「うん。だから利見さん、ばいばい。またね」
そうするバルドラッヘの仕草は愛らしい幼子そのものであったから、利見は毒気の無い笑顔を浮かべて答えた。人間だろうと妖怪だろうと、幼子は愛らしいものだ。少なくとも利見はそういう感性の持ち主だった。
「ああ。ココが居るなら心配はないが、村から離れるんだから気をつけてな。ココも小さい子を連れているんだから、いつもより警戒をしておけ。ここら辺はまだ大丈夫だろうが、妖怪でも人間でもない化け物があちこちで姿を見せているという話だ」
「それって獄世関係?」
「確証はないが、可能性は高いな。ま、お互い、気を付けようという話だ。ではまた村か、あるいは別の日に会おう」
利見は村を目指し、逆にココとバルドラッヘは当初の予定通りに村を離れて、月狼山の探索と冒険を再開し始める。
ココにとっては見慣れた山の風景や動植物も、バルドラッヘにとっては未知の世界だ。
村の中では見られなかった何もかもに興味を示し、アレはなに? コレの名前は? と質問が途切れることなく桜色の唇から零れ続ける。
「お姉ちゃんこの紫色に黄色いまだら模様の葉っぱは?」
「それは毒よ。もし口に入れたら五日は味が分からなくなって、手足が痺れるの。それはあたし達の場合だから、バルドラッヘが食べちゃったらどうなるか分からないわ。でも、危ない事には変わりないから、口に入れちゃだめよ?」
「うん。それならこっちの木の枝から垂れている、赤と青の縞模様のおっきな果物は?」
「それはねえ、ショウテンの実ね。食べたら大抵の生き物や妖怪が死んじゃうの。一口であの世行きだから、昇天っていうのよ」
バルドラッヘはショウテンの実に伸ばしていた手を引っ込め、更に数歩進んでから今度は岩と岩の間に隠れるように生えている十字のカサを持った茸を指さした。
ここまで有毒物が連続していた事から、どうやら毒性のあるものが多いようだぞ、と学習した為、触れないように気を付けている。
「また毒だぁ。それなら、こっちの茸は? 真っ黒いカサだね。村では見たことがないよ?」
「それはシジュウジタケよ。死の十字の茸って意味ね。見た目が特徴的だから覚えやすいでしょ? 文字通り大きな熊や猪でも、食べれば死に誘う十字の茸ってことよ。あたし達や人間も食べないわ」
確かにこれ以上ないくらい分かりやすい名前の茸なのだが、どうにも村の周りに生えている草花に果実、茸と毒物が続いていて、バルドラッヘはある考えに至り、大好きなお姉ちゃんに尋ねた。
「お姉ちゃん、ひょっとして毒の多いところに村を開いたの? それとも村を作ってから毒のあるものをわざと育てたの?」
「あら、バルは賢いわね。半分は当たりよ。あたしも聞いた話なんだけれどね。このお山に村を作ろうとした時に、別の凶暴な妖怪と戦いになったんですって。
その時に辺り一帯が更地になったから、毒の多いところに村を作ったわけじゃないのよ。さっきのショウテンの実を始めとした毒のあるものは、その後に動物とか知性の無い妖怪除けにわざと村を囲うようにして植えたの。
小さな子が間違って触ったり、口にしたりしないように今のバルドラッヘみたいに危ないものよって教えて回る手間は出来たけれど、村の安全に比べれば些細な手間よね。元々、お山のことを教えなければここでは生きていけないのだし」
「そっか。それなら昔に戦った凶暴な妖怪を退治したのが、シュテルンなのかな?」
シュテルンは正確には覚えていなかったが、約三百年前の戦いで一度更地になったこの付近に改めて植樹して整えた結果が、今なのだ。
「そうみたい。もしシュテルン様が来なかったら、戦いには勝てても三分の二は死んでいたんじゃないかって話よ。
だからご先祖様はシュテルン様にとっても感謝していたみたいね。 そのお陰でこうしてバルに出会えたのだから、あたしはシュテルン様にもお手伝いをするって約束を交わしたご先祖様にも、感謝しているのよ」
「私も、お姉ちゃん達に会えたのはとっても嬉しい。だから、シュテルンに感謝するね」
「ええ。そうしてあげてね」
ココとバルドラッヘの種族の違う姉妹は互いの顔を見合わせて、微笑みを浮かべるのだった。まるで違う二人なのに、不思議と似た雰囲気の笑みだった。