第六話 育つ英雄
無事にシバ族の村に預けられる事となったバルドラッヘだが、では村の誰がこの作られた命を預かるのか? という問題がある。
例えばこの村で両親や家族を失った孤児が出てしまった場合には、基本的に村長の家で預かり、村の皆で面倒を見ながら育ててゆくのが通例だ。
バルドラッヘのようなシバ族でさえない赤ん坊の場合も、同じように扱うのか? それともまた別の育て方をするのか? 一応、創造主であるシュテルンも村にいることはいるわけで、対応についてココ達シバ族は少しばかり頭を悩ませた。
「それならわしんところで預かろう。手のかかるチビ達はいないし、シュテルン様がこの場所に落ち着くのなら、家が一番近いから」
シュテルンの膝元で顔を突き合わせて話し合うシバ族の中で、挙手をして意見を出したのはココの父親だった。
名前をシテンという。ココが赤シバと呼ばれる毛色をしているのに対し、シテンは胡麻シバと呼ばれる赤、白、黒の混じった三色の毛色だ。
「おっとう。うん、あたしも賛成! 家なら手が足りているし、おっとうの言う通り、シュテルンさんに一番近いところに家があるものね」
ココの家は現在、両親と兄姉との五頭暮らしだ。ココが人間で言えば十五歳前後で、確かに父親の言う通り手のかかる年齢の子供がいない状態だ。
シテンの意見にこの場にいた他の家族達も顔を見合わせて一言、二言、言葉を交わすが誰も父親に反対する素振りは見せなかった。彼らもまたシュテルンから預けられた赤ん坊に夢中なのだ。
「ココは賛成として、ミヤ、ククリ、ギン、お前達はどうだ?」
ミヤがココの母親である白シバ、ククリが姉の黒シバ、ギンが兄の赤シバである。野良仕事を切り上げてやってきた三頭は、土汚れの着いた姿のまま、そろって首を縦に振り、新しい家族を迎え入れるのを認める。
「あたしは構わないよ。こんな機会でもなければ人間の赤子を抱っこする事もないだろうし、大きく育ててあげないとねえ」
手ぬぐいでほっかむりをしたミヤが嬉しそうに言うのに続いて、ククリもうんうんと頷く。その度に背負った籠が収穫した野菜ごと良く揺れた。
「ねえ、母さん、服はあたし達のお下がりでいいのかねえ? 人間なんだもの。大きくなったらあたしらの倍くらいの背丈になるんでしょう」
「それだって一年や二年の話じゃない。十と四、五年は先の話だ。まだ気にしなくていいだろう」
左肩に鍬を担いだギンの台詞だ。シュテルンが作り出したとはいえ、バルドラッヘが人間ならばギンの言う通り、シバ族よりもずっと大きくなるのは、十数年は先の話である。
シテンは家族からの反対の意見がないのを確認し、他の村の仲間達をぐるりと見回してから村長に向き直る。
「そういうわけで、村長。ばる、ばるどらっへ? を預かりたい。誰も反対しとらんし、いいだろう」
「うむ、わしもいいと思うが、シュテルン殿?」
「構わん、構わん。先程までのやり取りを見ていたが、この村の者なら誰に預けても問題はないだろう。それとバルドラッヘと呼びにくいのなら、そうさな、バルとでも呼ぶといい。それならお前達にも呼びやすいだろう」
「ばる、バルか。ああ、確かにその方が呼びやすいな」
シテンは村長からバルドラッヘを慎重な手つきで受け取り、小さく揺らしてあやす。すぐに周囲の輪の中からココやミヤが進み出て、一家の大黒柱の手の中の新しい家族を覗き込み、巻き尾を左右にフリフリ。
バルドラッヘはこの家族にうんと愛されて育つに違いないと、目撃した誰もが確信する光景だった。
「よし、これでバルの預け先は決まりだ。わしはもう少しシュテルン殿と話をするが、他の皆はそれぞれの仕事に戻れ。まだまだ日は高いぞ。そら、戻った、戻った」
村長の一声でシュテルンとバルドラッヘを見に来た村の皆が徐々に離れ始めて、途中で切り上げてきた仕事に戻ってゆく。ココ達もそれに倣うことにした。
「ミヤ、ギン、ククリ、わしらは一度、畑に戻って片付けをしておこう。ココ、お前はバルを連れて、先に家に戻っておいてくれ」
ココは父親からバルドラッヘを受け取るとその小ささと軽さに、わ、わ、と短い驚きの声を上げる。
「わわ、うん、わかったよ。バル~、あたしはココよ。ココ」
「うぅ、あう」
バルドラッヘは小さな口を開いてなにか言っている様子だ。何回聞いてもココと言っているようには聞こえないが、それでも自分に答えてくれたようで、ココは嬉しかった。
「ふふ、それじゃあ、家に行きましょうねえ。といってもすぐそこだけど」
今、シュテルンがいる場所から一番近いと言っていた通り、ココ達の家は既に見えており、少し歩くだけで到着だ。
シバ族の背丈は人間に比べれば三分の二と少々。その為、彼らの住居もその体躯に合わせた大きさとなっており、人間の住居と比べれば小さなものとなる。
板の上に石を置いた石置屋根に土壁の家屋は、入ってすぐに土間とかまどがあり、土間の奥には農具などを仕舞う物置用の部屋がある。
基本的に板敷の部屋で寝食を済ませるので、個別の部屋はない。ココは狩りの獲物や山菜などをかまどの近くに置いてから、簡単に足を洗う。ココに限らずシバ族は足裏に肉球があるので、誰もが裸足だ。
「バル、今日からここがあなたのお家よ」
「う」
バルドラッヘが相槌を打ちように言葉を発するものだから、ココはやっぱりこの子は頭がいいのではと思う。
「もうあたし達が何を言っているのか、分かっているのかな? そうならとっても頭の良い子だね。シュテルンさんが親だから、特別なのかな?
バル、お腹は減っていない? それとも眠たくはない? 赤ちゃんは食べて、眠って、大きくなるのが一番大切なお仕事なんだから、遠慮しなくていいからね」
「あい」
「まあ。ふふ、やっぱり言葉が分かっていそうね。それにしても人間の赤ちゃんも可愛いものよね。これからあなたはどんな素敵な女の子になるのかしら。とっても楽しみ!」
「う~、うう~」
「ふふふ」
畑に戻ったシテン達もすぐに家に顔を見せて、その日、ココ達一家はいつもの野良仕事を早めに切り上げて、新しい家族が快適に過ごせるよう準備するのに奔走するのだった。
*
月狼山にあるココ達シバ族の村──シキバ村をシュテルンが訪れて、バルドラッヘを預けたのは春だった。山々に新たな命が萌出て、土地そのものが新たな活力に満ちる季節。
深い山奥にあるシキバ村にしても過ごしやすく、シバ達が別種族の赤ん坊を迎え入れるのに精神的な余裕に恵まれた時期でもあった。
バルドラッヘは畑仕事に出ている誰かの背中に背負われたり、籠の中に入れられて畑の傍で空を仰いだり、あるいはシバ族に伝わる昔話や唄を聞かされながらすくすくと育った。
ココが察したようにバルドラッヘは特別な出自により、他の人間やシバ族と比べて高い知性を持っており、ほとんどココ達の手を煩わせる事はなかった。
夜泣きもしないし、与えられる食事は雑穀の粥であれ、枇杷を始めとした春の果物であれ、なんでもよく食べた。既に生えそろっていた歯は極めて頑丈で、顎の力も実に強い。
預かった翌日には、はいはいを初めて家の内外を問わずに意外な速さで動き回り、ココ達ばかりでなく村の皆を驚かせたものだ。
その間、シュテルンは彼が自ら宣言した通りに農耕用の牛馬代わりに荷物を運んだり、畑を耕したりと文句の一つも言わずに村の手伝いをしていた。
おそらく付近の山々で最強の存在だろうシュテルンが黙って仕事をするものだから、シキバ村の誰もが驚いたものだ。当のシュテルンは自分が口にした言葉を守っているだけなので、そんなに驚くことではないだろう、と考えていたが。
バルドラッヘを預かって二カ月近くが経過した頃、ココはバルドラッヘを連れて慣れ親しんだ山の中に分け入り、山の恵みについて彼女に教えている最中にあった。
「バル、これは毒だから食べちゃだめよ。触るのもいけないわ。あたし達シバ族はまだ大丈夫だけれど、人間だったら触ったところが赤く腫れていたくなっちゃうんですって」
ココの少し後ろを歩いているのは、ココよりいくらか背の高い女の子だった。山歩きの為に緩い丈の短い着物に緩い股引と脚絆姿である。腰の紐には竹の水筒がぶら下がっている。
雪のように白い髪は首の後ろで一つに括られて、腰のあたりまで伸びている。将来開花する美貌が国を傾けるほどだと今から約束されている顔立ち、黄金の満月を思わせる右目と神秘的な紫色の左目。
およそ五歳児の人間並みに成長したバルドラッヘだ。バルドラッヘはココ達に預けられてからわずか二カ月少々で、ここまで成長していた。
「それじゃあ、触らないように気をつけるね、お姉ちゃん」
人間にはあり得ない成長速度も、人間を良く知らない村の一部の者達はそんなものかと思っていたが、流石に村長を始めとした人間と交流のある面々はバルドラッヘの異常を悟り、シュテルンに問い質したものである。
一向に傷の治る気配のないシュテルンに曰く、
──既に獄徒の連中はこちら側に入り込み、人間や妖怪達の表の争いの裏で暗躍している。
一刻も早くその暗躍に歯止めをかけて、他所の連中に煽られた不要な争いを止める為にも、バルドラッヘはすぐに成長するように調整してある。
という事らしい。まったく想像もしていなかったバルドラッヘの成長の速さには、仰天したものだが、その理由が少しでも早く乱れた世に送り込み、騒乱を鎮める為というのだから、ココ達はやるせない思いに駆られ、シュテルンの巨体をテシテシと蹴り回ったものである。
シュテルンは思いついた時は名案だと確信したが、ココ達の反応を受けて我ながら外道な真似をしたかも、と少しばかり反省するようになっていたので、甘んじて蹴られた。
ココ達は憤り、シュテルンは気まずい思いをしたが、当のバルドラッヘは自分の成長をどうとも思っておらず、ただただ、自分を愛してくれるココやシキバ村の皆に囲まれて不平不満など一度も口にせず、今日に至っている。
ココなどは既に自分よりも大きくなったとはいえ、おしめを変え、歌を聴かせ、狩りの時以外はほとんどつきっきりで世話をしたバルドラッヘが武器を手に、人間や妖怪と戦う姿がこれっぽっちも思いがけずに居る。
「お姉ちゃん。なにか近づいてくるよ」
少し物思いに耽っていたココの耳をバルドラッヘの声が揺らし、次いでガサガサと草木をかき分けて進む物音を捉える。
「バル、あたしの後ろに隠れてなさい」
「うん」
ココは愛する妹が素直に自分の後ろに回ったのを確かめてから、腰帯に挟んでいた山刀に右手を伸ばす。シバ族の手は毛皮に包まれ、肉球を備えているが形それ自体は人間と変わりなく、物を掴める構造になっている。
警戒を露にするココはゆっくりと近づいてくる物音の主に向けて、いつでも飛び掛かれるか、反転して村に逃げ込めるように腰を落とす。
バルドラッヘを連れているから、村からそう離れていない場所だ。村はすぐそこにある。この山に住む獣や妖怪の類が相手なら、バルドラッヘを小脇に抱えて全力疾走すれば追いつかれる前に村に逃げ込める算段は高い。
(風下で臭いが分かりにくい。……猪か熊? それとも妖怪? 顔見知りの妖怪ならいいのだけれど、何が出てくる?)
バルドラッヘという守らなければならない存在が居る分、ココの神経は張りつめていた。一秒ごとに神経をヤスリで削られているような焦燥感が募る中、目の前の藪の中から姿を見せたのは、ココと同じ背丈の人型の妖怪だった。
体毛の無いつるりとした灰色の肌を持ち、三頭身ほどの体躯。
まん丸い目の中の瞳は縦にすぼまり、少し顔の中央で盛り上がっている部分が鼻で、その舌の口はどことなく鳥のくちばしに似ている。
深緑色の小袖姿の小さな妖怪を前にして、ココの伏せていた耳がピョコンと起き上がる。
「なんだ、利見か。バル、この妖怪なら大丈夫、顔見知りよ」
危険性のない顔見知りの妖怪が相手だった事に気付いて、ココは肩の力を抜いて山刀に伸ばしていた手を戻す。バルドラッヘも信頼するお姉ちゃんの言葉に安心したのか、ココの背中越しに利見と呼ばれた小さな妖怪を興味深そうに観察する。
利見はココとバルドラッヘを前にして足を止めて、ココに対して少しばかり不服そうに言い返した。
「いきなりご挨拶じゃな。三カ月ぶりに会う知り合いに対する最初の言葉がそれか?」