第五話 託された英雄(予定)
「よしよし。人間の赤ん坊など、はて、いつ見た以来か」
泣きもせずにぱちぱちとつぶらな瞳を瞬かせているバルドラッヘの姿に、村長はますます優しい雰囲気になる。すると村長の雰囲気とバルドラッヘの存在に興味を引かれて、ココを始めとした村人達がぞろぞろと村長の周りに集まり始める。
人里離れたこの村では人間を見る機会など滅多にない。たまに外に物々交換などで出かける機会はあっても、人間を目にしたことのない者も少ない程だ。
「わあ、ほとんど毛が生えていないぞ」
「これじゃあ寒くってしかたがないでしょうねえ」
「夏は過ごしやすいかもな。毛の生え替わる時期とかは楽そうだ」
「ぷにぷにとしていて丸っこいな。可愛いのはおいら達の赤ん坊と変わらないけど」
「ばるどらっへ? 不思議な響きの名前だあ。なにを食べるのかしら? あたしらと同じものでいいのかねえ?」
「ありゃ、もう歯が生えている。俺らよりも平べったい歯がほとんどだ。人間はそうなんだっけか?」
バルドラッヘを囲む二足歩行の犬のような生き物達がそれぞれ思ったことを口にし始めて、バルドラッヘの周囲はあっという間に賑やかになった。
それでもバルドラッヘは相変わらず色違いの瞳で、自分を覗き込む毛むくじゃらの生き物達を観察している。周囲で飛び交う言葉に驚いた様子はない。
度胸があるのか、好奇心が強いのか。シュテルンが作り出した自然ならざる生命である以上、普通の人間とはなにかしら違ってもおかしくはないが……。
村の誰もがバルドラッヘに夢中になっている中、ふとシュテルンにこう尋ねたのはココだった。
「ところでどうしてこの子を育てる事になったのですか? この子の親は? ひょっとして……」
攫ってきたのだろうか、もしそうならばなんとしてもこの子を本当の親の元に連れてゆかなければ、とココは決意していた。
こんなに可愛い子なのだ。きっとこの子を授かったご両親はとても喜んだに違いない。それを無理やり連れ去ったというのならば、例え相手が竜だろうと悪いものは悪いと言わなければならない。
そうした結果、シュテルンの怒りを買うとしても、なんとしても本当のご両親の下に届けるべきなのだ。ココは自らの良心に従ってそう決めた。
ココに尋ねられたシュテルンは、そんな彼女の心の内など知らずに、正直に答える。
「いや、それに親はいない。バルドラッヘは人間のように見えるが、正しくは俺が人間の血を元にして造り出した生命体だ。血のつながりのある父親も母親もいない」
「? ……んん? お父さんとお母さんがいないのに、生まれたんですか?」
首を傾げるココの仕草は犬好きだったら一発で心を許してしまう愛らしさだったが、残念ながらシュテルンには効かなかったようで、傷だらけの竜は訥々と答える。
「お前達が知らなくても無理はないが、世の中には血や毛髪、骨などから採取した情報を利用して、その持ち主を複製したり、近しい生物を創造したりする技術がある。
俺が使ったのは、錬金術とか錬丹術と呼ばれているものに通ずる技術だ。今の時代では滅多にお目に掛かれない代物だな。バルドラッヘはどこかから攫ってきたわけではないぞ」
「ああ、それは良かった。この子を攫われてしまった家族がいないんなら、なによりだわ。でも、それじゃあ、この子の親は貴方になるの? ……なるんですか?」
「無理に敬語を使わなくていい。別に俺とお前達は主従というわけでもないのだからな。それと俺がバルドラッヘの親かどうかという問いだが……まあ、創造主という意味でなら間違ってはいない。
バルドラッヘを作り出す為に、俺に挑んできた者の中で一番手強かった人間の血と俺の血のようなモノを混ぜて作り出したからな」
(血のようなモノってなんだろ? 血じゃないけど血っぽい? 汗とか涙とか? 竜の涙ならとっても霊験がありそうね)
シュテルンの言う事は、知識の差異もあってココや周囲のシバ族達は完全に理解できているわけではない。ないが、彼女らなりに理解しようと努めていた。
一つの命を預かると決めた以上は、責任を持って育てなければならない。その為に、この小さな命の事を知っておく必要がある。彼女らは実に誠実であった。
「それじゃあ、うーん、シュテルンさんは仮の親ということで。お預かりしたからにはこの子の面倒をきちんと見ますけど、それでこの子にいったいなにをさせたいのですか? 竜である貴方では出来ないようなことを、こんな小さな子に?」
「出来ないというよりは俺がしては面倒になりそうな事をさせるつもりだ。お前達が勘づいているかどうかは知らんが、今の人間と妖怪共の世が乱れているのは知っているか?」
シュテルンの問いかけに、ココは左右の耳をパタパタと動かしながら答えた。
人里離れた村ではあるが、山に住む妖怪や精霊達の中には噂好きや耳の早い者達が居るし、他のシバ族の仲間と定期的に情報交換をしているから、ココ達も風聞だけはそれなりに知っている。
「なんとなく、これまでにないくらい長い間、戦が続いているだとか、幕府の権威が落ちて大名達が好き勝手しているとか、妖怪達も徒党を組んで暴れ回っているだとかは耳にしているけれど」
「ほう、思った以上に情報通だったな。なに、その所為で俺のところにも財宝やら霊力の宿る血肉目当ての阿保共が押しかけて来たのよ。
この荒れた世の中で一旗揚げる為に、名を売ろう、手っ取り早く金を得ようと考えたわけだな。それもこれまでにない頻度で、武芸者やはては軍で押しかけて来た奴らまでいたぞ」
「それは……すごい、傍迷惑。あ、それじゃあ、その怪我も?」
「いや、この怪我はそういう阿保共とは別の相手だ。ま、あちらは俺以上にズタボロだからな。しばらくはまともに動けまい。
で、だ。俺もいい加減、命知らずの阿呆共に付き合うのが嫌になった。よって、根本的な原因を解決しようと考えた」
「根本的な原因って? そんなうまい話があるのかしら?」
「なに、今の戦乱は獄世の連中が裏で糸を引いているようなんでな。こちら側にやってきている獄世の尖兵を叩き潰し、その功を持って英雄としてバルドラッヘの名を知らしめて、世に平穏をもたらそうというわけよ。
俺がやったのではいずれ人間達から排斥されるし、逆に崇め奉られても鬱陶しい。その点、人間が偉業を成すのならば、敵ばかりでなく味方も出来るだろうから、安易に排斥される心配もないと踏んでのことだ」
淡々とシュテルンの語ったバルドラッヘの作られた目的を耳にして、ココだけでなく村の誰もが口を閉ざして、しばし、周囲には沈黙の帳が落ちるのだった。
ココは村長に抱えられたままのバルドラッヘを見た。おくるみに包まれた赤子は、無垢な眼差しを尊重に向けたまま小さな手を伸ばし、そっと頬に触れる。ふんわりとした村長の毛並みを楽しんでいるのだろうか。
その小さな命のあどけない仕草を見て、ココはシュテルンの考えに猛烈に腹が立った。
こんなに小さくて可愛い赤ん坊を、外の世界で行われている争いを鎮めるために生み出した? きっと想像もできないような苦しい思いや辛い思いをすると分かった上で、送り出すというのか。
罪悪感や後ろめたさを微塵も抱いていないシュテルンの言葉に、ココばかりでなく他のシバ族の者達も怒りを抑えきれずにぐるぐると喉の奥で唸り声を上げ始める。
「なんてひどい! こんなに小さな子にそんな重荷を背負わせるなんて!! 体はそんなに大きいのに心はなんて小さいのかしら!」
傷ついているとはいえ、自分よりも何十倍も巨大な竜を相手にココは恐れを知らぬように怒りのままに声を張り上げた。
声を張り上げたのはココばかりではなく、バルドラッヘを中心にぐるりと輪になっていた村の者達が次々とシュテルンに怒りの声を上げて、抗議し始める。
「そうだそうだ! 赤ちゃんになんてことをさせようとしているんだ、恥はないのか、恥は!」
「世の中を平和にしようというのは立派だけれど、それを自分ではなくてこの子にやらせようという根性が卑怯」
「自分でやり遂げて責任を負えばいいじゃない。なんでそれをこの子に押し付けようとするかなあ」
シュテルンは周囲のシバ族からワンワンと吠えられ、キャンキャンと鳴かれ、瞬く間に喧騒に包まれる。村の老いも若いも、男も女もなく、誰もがシュテルンに対して怯まずに非難の声を張り上げている。
これに対してシュテルンは怒りを露わにはしなかった。というよりも怒りそのものを抱かず、自分を相手にこうまで声を張り上げるシバ族に感心している様子だ。
「よくもまあ、俺を相手にそこまで言えるものだ。大した度胸だ。それも村の全員がそうなのだから、感心するほかないな。お前達にバルドラッヘを預けに来たのは正解だったな」
「なにを一人で納得しているんですか! なんですか、バルドラッヘにそんな大変そうな事を無理やりやらせるんなら、この子はみんなの子供としてここで育てますからね!!」
牙を剥き、威嚇混じりに断言するココに他の村人達も続いて更に勢いを増すものだから、流石にこのままでは話が進まないとシュテルンは強引に話を進める。
「だあ、もう、分かった、分かった。とりあえず俺の話を聞け! いくら俺でも赤ん坊に世の中をどうにかしろと命じるつもりはない!
お前達に預けてそれなりに大きくなったら、俺の方で必要な知識や情報を与えて、戦い方も仕込んで、武具の一つや二つも用意する予定を立てている!
目的が目的だから、バルドラッヘは超人となるようにしてある。お前達が心配せずとも十分に育ち、十分に鍛えれば世の中の方が放っておかなくなるだろうさ」
シバ族達の抗議の嵐に辟易としたシュテルンの言い分に、ココ達は自分達の早とちりもあったと徐々に落ち着きを取り戻し始める。それでも目の前のバルドラッヘは赤ん坊に過ぎない。
この子が獄世からの侵略者達を迎え撃ち、更には英雄となって世界に平穏を齎すなど、それまでにどれだけの苦労があるのか、どれだけの苦しみや痛みがあることか。きっと多くの人に恨まれるだろうし、憎まれもするだろう。
こんなにも愛らしい赤子に訪れる未来を思えば、どうしたって悲しくなる。ココだけでなく他の村の皆も同じように耳をペタリと下げ、巻き尾が力なく垂れ下がる。
「お前達のそういうところは昔と変わらなくて、安心したよ。バルドラッヘだが俺の予定通りに成長すれば、俺の与えた宿命をこなすだけの力を得られる。俺とて表に出るつもりはなくとも、いつでもサポートする」
「さぽーとって?」
首を傾げて尋ね返すココに、シュテルンは苛立った様子もなく答える。ココの様子に、そう言えば通じない言葉だったな、と気付いた程度である。
「手助けする、という意味だ。まあ、本当にいざとなったら俺も表立って戦う選択肢は考えている。とにかく、お前達にはバルドラッヘを健やかに育ててもらいたい。バルドラッヘを育てる事、それ自体に文句はないのだろう?」
「それはそうだけど。ねえ、皆、あたしはこの子を村の一員に迎え入れて、家族になってあげたいと思うのだけれど、どうかしら?」
ココの問いかけに対する村の皆の答えは、当然、決まり切っていた。
「わしは構わんぞ。人間の赤ん坊を育てるなんて、初めてで楽しみだ!」
「ああ、めいっぱい可愛がってあげよう」
「今はこれくらいだけど、すぐにあたし達よりも大きくなるんでしょうねえ。服の用意をたっくさんしておかなくっちゃ」
「食べ物も気をつけなくちゃ。もう歯が生え揃っているし、お乳を飲む時期は終わっているのかな?」
誰も彼もがバルドラッヘを可愛がり、皆で一緒に育てるつもりで満々だ。シュテルンの思惑はともかくとして、バルドラッヘはココ達シバ族の皆に温かく受け入れられるのだった。
喜色満面になるココに暖かな眼差しを向けてから、村長はシュテルンに視線を転じて口を開く。村長に抱かれたままのバルドラッヘは先程までの喧騒にも驚かず、村長と創造主のやり取りに色違いの瞳を向けている。
「わしらの村でこの子を預かるのは御覧の通り、村の皆が喜んで受け入れますが、シュテルン殿はいかがなされるので? だいぶ、痛ましいお姿ですが……」
「傷は塞いだし痛みはない。放っておけばそのうちに目玉も腕も治るから気にするな。昨日までは星降山に居を構えていたが、バルドラッヘを預けている間は俺もこちらに厄介になりたく思う」
「はあ、それは構いませんが、しかし、シュテルン殿は大きくていらっしゃる。満足に食事を用意できるかどうか」
「ああ、それは気にするな。俺はものは食わんし、水も飲まん。真似事は出来るが、それだけだ。村の片隅にでも場所を貸してもらえればそれでいい。まあ、魔除けの置物が出来たとでも思って、少しばかり我慢してくれ。
バルドラッヘを育ててもらう以上は、俺もただで居座るつもりはない。牛や馬の代わりに畑を耕すのでも、邪魔な石や木をどかすのでも手伝いをしよう。話し相手でも構わんし、これからの天候について教えるのでもいい。上手く俺を使えばいいさ」
「それはまた、なんとも剛毅というか懐が広いというか。龍という種族は誇り高いものと聞いておりますが、そのような提案を自らなさるとは」
「ま、俺は変わりものなんでな。他の龍や竜からすれば、同類扱いをするなと怒るだろうよ。それで、俺もここに厄介になって構わんか、村長」
「ええ。貴方の言葉を信じましょう。バルドラッヘには優しくして上げてくだされば、なおよいのですが」
「やれやれ、お前達の度胸は俺が思っていたよりも大したものだな。もとより無碍に扱うつもりなどなかったとも。ああ、それなら、こう言うべきだな。バルドラッヘのこと、よろしく頼む」
「それはもちろん。わしら全員の総意ですから」
村長はバルドラッヘを抱えていなかったら、ドンと胸を叩いて請け負った事だろう。シュテルンはやはりここを選んで正解だったと、確信するのだった。