第二話 英雄を作ろう
バルドラッヘを作り出した竜は、星降山という山に居を構えていた。
土地の住人に伝わる伝承によれば、むかしむかし、じい様のじい様のじい様の……それはもうむかしの話。ある日、顔も体も翼も尻尾も、全てが真っ白い竜が海の向こうからやってきた。
翼の生えた蜥蜴のような姿をしたその竜は、しばらくこの陽ノ本を飛び回った後にこの星降山を住まいと定めて長い時を過ごしているのだという。
特別、悪逆を働く竜ではない。
誤って森の深いところに迷いこんだ狩人を無事に村に送り届け、あるいは山崩れや洪水の前兆を人々に知らせ、またあるいは小さな村を襲おうとした野盗を追い払うなど、むしろいくつかの善行が伝わっている。
そうした伝承が地元の人々に伝わるきりで、稀に空を飛ぶ真っ白い竜の姿が目撃される程度だった。ところがその風向き近年の争乱と共に変わり始めていた。
古来、龍は霊験あらたかな神にも等しい存在だが、同時に霊力を秘めた神秘的な宝物を持ち、またその鱗や角、血肉は強い霊力を宿すとして時に狙われることもある。
力持つ妖怪に対抗する為、あるいは戦で勝利を得る為に、この争乱の世で龍を狙う者の数は増えていた。もっとも、バルドラッヘの生みの親は“竜”だが。
「近頃の鬱陶しさはなんだ。おちおち寝てもいられん!」
星降山に住む竜の名はシュテルン。はるかな昔に陽ノ本へとやってきた彼は、近頃頻発している襲撃に対して怒りをあらわにしていた。
龍は蛇のように長い体に四本の足を持ち、顔は長く二本の角と耳を持つが、竜であるシュテルンは異なる姿を持つ。
巨大な刃を何枚も連ねたような一対の翼、二本足で立つ巨体は鱗ではなく真っ白い鎧の如き装甲に包まれている。
臀部からは鞭のようにしなやかな尻尾が長々と伸び、長い首の先にある頭部の左右からは太い角が鋭く後方へと突き出し、瞳は黄金に輝く満月のよう。
主に陽ノ本よりもはるか西方を棲息地とする竜は、その地方では最強と言われる種族の一つだ。怒れる竜との遭遇は死に等しいと謳われ、その竜を対峙する英雄譚がいくつも語られている。
その竜とされるシュテルンの怒りの原因は、周囲に転がる人間達にある。
シュテルンが住処としている星降山の山腹にある大洞窟に侵入し、問答無用で襲い掛かってきた侵入者だ。
炎のような意匠の赤色の鎧と大太刀を手にした若武者。
熊のような屈強な肉体に重厚な黒鉄の鎧と頭巾、手には薙刀を手にした僧侶。
そして霊力を帯びた巫女装束を纏い、長弓を手にした巫女からなる三人組だ。
黎明の時刻に襲い掛かってきた彼らは、力及ばずシュテルンによって返り討ちにされ、全滅する寸前にまで追い詰められていた。
多くの戦いを乗り越えてきた武具は傷つき、全員が少なからず負傷しているが、傷を癒す法術を行使できる僧侶と巫女の献身によって、死者が出る事態だけは防がれている。
竜殺しの名声と宝物を得るべくシュテルンに襲い掛かった彼らは、全滅という最悪の事態を前にしてお互いに身を寄せ合い、眼前の竜を仰ぎ見ている。
シュテルンは彼らから向けられる恐怖に染まった視線は気にも留めず、自分と比べればなんとも小さな襲撃者を見下ろして、問いかけた。
それだけで体が傷つき、心の折れた人間達の魂は冥府に旅立ってしまいそうな圧力に満ちた声だ。
「お前達の近頃の襲撃の頻度の多さはどういうことだ? この一年で両手の指では足りない回数の襲撃を受けている。これはいったいなぜだ? 答えろ。誰かが俺の首に賞金でも懸けたのか」
シュテルンが口にした通り、ここ数年、人間を始めとした様々な種族の襲撃の頻度が激増しており、彼の平穏が何度も邪魔されている。
シュテルンは、特別、凶暴な竜ではない。
例えば近隣の村々に生贄を要求した事はないし、あるいは田畑を焼き払い、止める代わりに財宝を要求する、食欲を満たす為に人間を食べて回る、といった竜定番の悪行には一切手を染めていない。
人間達が竜ないしは龍殺しの名誉を求めるのも、貯蓄している財宝を狙って戦いを挑むのも理解してはいるが、それにしたって最近の命知らず共の数の多さは普通ではない。
今や白い竜の意思一つで消える風前の灯火となった人間達の中で、頭目である若武者が兜から覗く精悍な顔立ちを血で汚しながら答えた。
「今、世の中は再び姿を見せた【獄世】の侵攻と諸国の争いで、長く続く戦乱の時代になっている。
毎日、いろんなところで多くの被害が出ているが、同時に名を上げる好機だ。こんな時代だからこそ、どんな出自でも力を示せば成り上がれる可能性があるからな」
獄世。こちらの世界とは異なる法則、異なる光景の広がる異世界の住人であり、歴史上、度々侵略を目的に訪れる者達を指して獄徒と呼び、こちらの世界の住人は竜であろうと人間であろうと、妖怪や精霊であろうと彼らを忌避している。
獄徒と耳にした途端にシュテルンの目がつり上がり、ただでさえ悪かった機嫌が更に悪化する。
彼もこれまで何度となく獄徒に襲い掛かられ、望まぬ戦いを強いられた忌まわしい経験がある。全て返り討ちにしたが、煩わしさは記憶に焼きつき、思い出すだけでも怒りが込み上げてくるほどだ。
「獄徒だと? 世界を越える橋を渡ってこちらにやってくる略奪者共! やつらめ、また懲りずにこちら側に渡ってきていたのか。
これまで散々、こちら側の者共に追い返されただろうに、まだ諦めきれんとは底なしの欲深さだが、だからこそ面倒くさい。
しかし、獄徒が来ているのに国同士の争いを止めんとは、お前達はまだまだ余裕があるようだな。なまじ余裕があるから、異界からの侵略という事態の最中でも領土を広げる好機と映っているわけか。獄徒に負けず劣らずの強欲さだ。大したものというか、呆れたというか」
若武者が話し始めてから少し遅れて、巫女が火傷に打撲、切り傷だらけの若武者に霊力による治療を施し、シュテルンがそれを咎めないのにほっと安堵した。
シュテルンが更に話を促すのを確認して、若武者は自分の言葉に五人の命がかかっている重圧を感じながら、言葉を続けた。
「“龍”殺しの実績はまさに名を上げるのにうってつけだ。あるいは交渉して味方に引き入れるか、屈服させて乗騎とする事が叶えばこの上ない力となる。
もっと単純に富を得たい場合もある。龍の蓄えた財宝があれば、一生、食べてゆくのには困らないし、国ならば国庫を潤すのに役立つ。
龍の血肉に宿る強い霊力が目当ての場合もあるだろう。個人も、国も、龍を討てれば得られる利益が多い」
シュテルンは目の前の若武者達が自分を龍の変わり種かなにかと勘違いしているのに気付いていたが、わざわざそれを指摘してやる気にはなれなかった。
「ふん、“龍”からの報復を恐れていないのか? 中には乱暴者も居るぞ。鱗一枚傷つけられただけで、街一つを報復として滅ぼした乱暴者が居たのを知らんようだな。いや、知っていたとしても、それでも俺を討伐できると思ったから、お前らのような輩が増えたわけか。
お前達のような少人数の徒党だけでなく、軍が来る頻度も妙に増えたと思っていたが、俺からすれば煩わしいことこの上ない。迷惑極まりない話だ」
どうやら、これからも名誉と富を求めた腕自慢の業突く張り共と軍隊が、シュテルンの命と財宝を狙ってやってくるのには変わりなさそうだ。世の混乱とそれを立身出世の好機と考える者達が居る限り、この状況は簡単には変わるまい。
(戦乱の時代に入ったのが原因ならば、戦乱が終われば以前の水準には戻るか? しかしそうするには獄徒共を追い返し、国々の諍いを鎮めなければならん。それを竜の俺がしたところで、平和になれば邪魔者として排斥されるに決まっている。
どこかの国に取り入って力を貸す形で関われば、まだ煩わしさも少なくて済むかもしれんが、以前、同じような事をした挙句に守護竜と崇め奉られて、余計な苦労を背負い込んだ奴がいたが、同じ真似をしようとは思えん。
人間達に纏わりつかれては落ち着くに落ち着けないし、うーむ)
シュテルンが考え込んでいる間に、僧侶は仲間達の治療を終えていて、戦闘はまだ無理にしても命の危険はない状態にまで持ち直している。
三人は、若武者の磨き抜いた剣技も、僧侶の全霊を賭した法術も、巫女があらん限りの霊力を込めた矢も傷一つ付けられなかった圧倒的強者を前に、考え込んでいる隙を突こうという考えが浮かばないくらいには打ちのめされていた。
彼ら三人は同業者の中でも名の知れた猛者であり、一流と称してなんら問題の無い実力者だ。
言葉を巧みに操る知恵ある竜との戦いは初めてであったが、事前に入念な情報収集を重ねて──ろくに情報は集まらなかったが──挑んだ上でこの有様である。
今の彼らには逆転の手はなく、どうやってこの場から命を拾うのか? それが彼らに残された選択肢だった。
「ふん、事情は分かった。動ける程度に傷が癒えたのだから、お前達はとっととここから出ていけ。目障りこの上ない。二度とここには来るなよ。もし次があったなら、今日のように容赦はせん」
シュテルンの言葉が自分達にとってあまりに都合の良いものであったから、思わず若武者は問い返していた。
若武者の心情を表すなら、“よもや生きて帰れるとは”、これに尽きる。若武者は口にしてからしまったと思ったが、吐いた言葉は取り消せない。
「本当にいいのか?」
シュテルンは笑った。人間である三人には分かりがたかったが、それは皮肉を込めた笑みだった。
「俺は一度口にした約束は守る事にしている。それとも武器を捨てさせずに放逐するのが信じられんか? 俺に傷一つ付けられない武器など、どうでもよい。
お前達はさっさと麓の町にでも戻って、この俺に挑む愚かさを可能な限り宣伝するがいい。俺が痺れを切らせば、どれだけ死人が出るか分からんぞ? 何時までも俺が火の粉を払うだけで終わらせると思うなよ」
恥辱、怒り、安心……様々な感情が三人の胸の内に渦巻いたが、この場で決定権を持っているのは目の前の竜のみ。敗者である自分達は彼に逆らう権利も資格も失っていると、三人は理解していた。
「……貴方の慈悲に感謝を」
痛む体に鞭を打って頭を下げる若武者とそれに追従する二人を一瞥して、シュテルンはフン、と興味を失ったように鼻を鳴らす。そして数歩下がって、彼らが通れる道を開けてやった。
敗者達がお互いを支え合いながら大洞窟の外に出るのを確認してから、シュテルンは面倒くさそうに溜息を吐いた。
「脅しの効果は、そう長くはないだろう。奴らとは別の命知らず共や国など、いくらでもいるだろうし、いちいちそいつらを始末するのも面倒な話だ。さて、そうなるとどうしたものか……」
シュテルンは考えを纏めるように口にしてから、彼が走り回っても余裕のある大洞窟の中をうろうろと歩き回り始める。
自分が介入して獄徒共を叩き潰し、更に人間の争いに横槍を入れて戦乱の世を鎮める案とどこかの有力な国に力を貸す案は、本当にもうそれ以上手段がなかった時に、やむなく行うべきだ。
かといって自然と今の争乱が収まるのを待っていたのでは、何十年かかるか分かったものではない。下手をすれば百年単位で続く可能性だってある。人間とは実に逞しく、欲深な生き物であるから。
その間に今日のような襲撃が何度も繰り返されるだろうし、あるいは獄徒や敵対国家に追い詰められて助力を乞いに来る者達も出てくるだろう。どちらにせよ平穏を好むシュテルンにとっては頭の痛い話だ。
うろうろと歩き、うんうんと唸っていたシュテルンが、ふと思いついた妙案に足を止めて、ガバっと顔を上げてその妙案を口にする。
「そうか、俺が直接出張るから面倒なのか。ならば適当な奴をでっちあげて、そいつにこの戦乱を鎮めさせればいい。ふふん、これはなかなか名案では?
しかし、今から適当な人材を見つけるのは手間か? 腕が立ち、人望があり、それでいて俺に従うような奴は、そこらに転がってはいないだろう。
それならばいっそ、当てもなく探し回るよりも最初から作るのもありか。それならば俺に従順に従うだろうからな」
まるで曇り空が晴れて太陽の光が差し込んだような気分で、シュテルンは大洞窟の最奥部にある寝床に向かう。弾むような気分で、ウキウキとした足取りである。
寝床のさらに奥に穴が開いていて、その先にはシュテルンがこれまで蓄えたお気に入りの財宝が収められている。
のそのそと保管庫に入ったシュテルンは、目的のものを目指して歩を進めた。
保管庫の中は、継ぎ目一つない不可思議な素材で壁も床も天井も作られていた。少なくとも木材でも石材でもないし、鉄や銅にも見えない。
天井にガラス球のような物体が埋め込まれていて、シュテルンが足を踏み入れるのと同時に柔らかな光を発し始める。明らかに山の外に広がる世界とは、技術水準が異なる空間であった。
中にはシュテルンがこれまで収集してきた美術品や金銀財宝、あるいは返り討ちにしてきた者達の武具などが台座の上に並べられている。
「さて、どこに仕舞ったのだったか。ここか?」
シュテルンの足は装丁、大きさ、材料も様々な書籍が収蔵されたガラスケースの列の前で止まった。
竹簡や巻物、石板、羊皮紙、植物性の紙と古今東西の様々な材料で作られた書籍の中から、目的の一冊を見つけ出して、シュテルンは足を止めて器用に取り出す。
全てのページが薄い水晶版で出来た本だ。不思議な事に水晶の見た目ながら、紙の柔らかさを備えている。翡翠を思わせる緑色の水晶版のページをめくり、シュテルンの黄金の瞳はつらつらとその内容に視線を滑らせてゆく。
「この……これだな。ここら辺の記述で良かったはずだ。錬金術の真似事なぞ、前にしたのは何時の話だったかな? 次の命知らず共がやってくる前に完成させなければ」
制作者の命令に決して逆らわないようにするには、人工生命の材料に製作者、この場合はシュテルンの肉体の一部を加える必要がある。
その他にも三日月の夜露、霊的な力を含んだ特殊な香草など特殊なものが多くいる。
それに人工生命は人間の中に紛れて活動させる為に、見た目は人間と同じにしなければならない。
このままだと人工生命にはシュテルンの血肉の影響が強く出過ぎるから、人間の血なり肉なりを多めに使用する必要がある。
「基礎となる人間の遺伝情報か。戦いを終わらせる為に作るのだから、優れた戦士程度では足りないな。極めて優れた戦士か、あるいは英雄と呼ばれるような奴でなければならんだろう。確か、大昔に俺に挑んできた者達の中で……」
過去にシュテルンに挑み、命を落とした者の中でシュテルンが顔や名前を憶えている数は少ない。その数少ない記憶しておくに値する強者の中でもとびきりの強者達を思い浮かべ、シュテルンはまた保管庫の中を歩き始める。
ずらりと並べられている武具とは別に、過去に倒した強敵達の装備品をまとめた一角があり、シュテルンはそこから彼の爪牙によって切り裂かれたままの鎧や、半ばから折れた刀剣や斧、槍を前に足を止めてそれらにこびりついた血を集め出す。
シュテルンが記憶するに値すると認めた強者達の血を集めて、人工生命を生み出す材料にしようと考えたわけだ。
「くくく、この俺の血と貴様らの血を併せ持った生命体だ。それだけの強者ならば、必ずやこの鬱陶しい状況に終止符を打つだろう。我ながら妙案を思いついたものだ、フハハハハハハ!」
保管庫に響き渡るシュテルンの笑い声は、お世辞にも賢そうとは言えなかった。頭の良い馬鹿というものかもしれない。