第十一話 シュテルンの未来予想
バルドラッヘの一日は基本的に農作業と狩猟の繰り返しで、シュテルンから課せられる訓練といったら就寝中の仮想空間のものくらいだ。
シュテルンがバルドラッヘの精神面の成長をシキバ村での生活に委ね、戦闘に関する訓練は全て夢の中で済ませる方針を取っている為である。
昼日中からバルドラッヘに過酷な戦闘訓練を課せば、バルドラッヘに甘いシキバ村の住人達は、それが必要な事だと分かっていても口を挟んでくるのは想像に難くない。
それにシュテルンは経験上、感情が希薄な分、安定した力を発揮する者よりもここぞという時に感情を爆発させて心を力に変えられる者の方が、超常的な力を持つ規格外の存在との戦いでは往々にして有効なのだと知っていた。
今日も畑仕事に精を出すバルドラッヘを見つめながら、シュテルンは彼女の育成が事前の想定から少しずつ外れてきている現状に対して、考えを巡らせていた。
純粋な人間ではないが、赤ん坊を育てた経験がなかったことと奴との戦いで負った傷の修復に専念する為、シキバ村を頼った選択肢自体は間違いではない、と考える度に同じ結論に至っている。
(自分の生まれに対して捻くれず、不要な劣等感や諦観、虚無感を持たずに育っている。人造人間などはたまに変に拗らせる個体が誕生するものだが、バルドラッヘはその点、精神が安定している。
我ながら上手く作れた……いや、シキバ村の者達が良く育ててくれたお陰だ。獄徒共の被害は各地に広がりつつあるが、まだ国を挙げて対処しようとしている者達は少ない。俺を襲ってきた狩人や退治屋あたりが独自に動いている程度か。
バルドラッヘはあの外見と人並み外れた武力を示せばすぐに噂になるだろうが、その流れで有力な大名に仕えさせるか、それとも無官のまま動かす方か、あるいは傭兵団なりを組織するのが目的達成への近道か?)
現在、陽ノ本の象徴として都に帝がおり、その帝の下に武家の頭領である将軍を戴く幕府が存在する。いわゆる武家政権である。
だが既に帝も将軍もその力と権威を大きく落としており、各地の大名達は自分の考えにそって生き残りや勢力拡大を図り、戦を重ねている。
そうなると獄世の侵略を跳ねのけつつ、再び幕府や帝の威光を復活させて戦乱の世を平定させるか、あるいは有力な大名に天下を取らせるようバルドラッヘを動かすという選択肢もある
(もう少し情報を精査したいが、まだ半年近く猶予はあると考えるべきか、もう半年もないと考えるべきか……。獄世の側に前回の侵攻時と大きな変化がないのなら、五大勢力がそれぞれ別個に動いているとして、一つ一つ叩き潰していかんとか)
獄世側の情勢次第ではあるが、一朝一夕で彼らの侵略を阻む事は出来ないだろう、とシュテルンは結論付けてきた。
なにより大きな理由は、獄世側はこちらに侵入する手段を有しているのに対し、こちらから獄世側に渡る手段がない事だ。
これでは逆侵攻を行って獄世を征服するなり、彼らの本拠地に大きな打撃を加えて長期間侵攻を出来なくなるようにする、といった行動がとれない。その為、これまで陽ノ本を含めたこちら側の存在達は、護る戦いを強いられてきた歴史がある。
(人間の技術発展と年経た妖怪達の強大化が進んでいる現状を考えれば、アレの修理を進めて次元跳躍システムを復活させられれば、獄世にこちらの戦力を送り込めるようになる。場合によってはもう少し俺が踏み込んで介入するのも手だな)
シュテルンが考え得る可能性について繰り返し演算を重ねていると、その周囲に仕事を切り上げた村民達が徐々に集まり出した。家から御座や鍋を持ってきていて、シュテルンを囲むようにして座り始める。
木と木の間に縄を通してその間に布を張って、即席の天幕を作ったり、長柄の傘を地面に突き刺して夏の日差し対策を施す。そうして出来た木陰に家族単位で腰かけて、銘々に食事の準備を進めた。
これから昼食の時間なのだ。昼食を摂るのはなにもおかしな話ではないが、シュテルンを囲んでいる光景はいささか普通ではない。では、なぜ、村の者達がわざわざ集まってシュテルンを囲み、昼食を摂る準備を進めているかといえば……。
「シュテルン様、もうみんな集まりましたよ。また新しいお話を聞かせてくださいな」
家族と一緒に顔を出した村長が気心の知れた調子で、シュテルンにそう願い出た。
「ん、おお、昼時か。まったく気まぐれに口を滑らせたら、村の者達全員にまで話が広がるとはな」
昼食の時間を利用して、村の者達がシュテルンの周りに集まるようになったきっかけは、気まぐれにシュテルンが彼らに語り聞かせたおとぎ話だった。
シュテルンにはこの世界から遠く離れた生まれ故郷のありとあらゆる情報が記録されており、その中から選んだ話を分かりやすいようにアレンジして聞かせたのだが、娯楽の少ないシキバ村の村民への受けはシュテルンの予想を大きく超えて、今ではこうして朗読会めいた状況が出来上がっている。
「昼を食べる時の空いた時間くらいは良いでしょう。仕事の手を止めて、さぼっているわけではありませんし」
「別に咎めているわけではない。しかし、何時と知れず、何処とも知れぬ土地の話だと聞いて楽しいものか?」
「ええ、とっても。わし達には想像もつかないような異国のお話。会う事もお話する事もない誰かの喜びや悲しみ、人生を聞かせていただけるのはすごく、こう、胸の中が弾むような心持ちになります」
「お前達にはバルドラッヘ共々世話になっているから、これくらいは家賃代わりと思えば安いものだ。さて今日はどうするか。アンデルセンの人魚姫か沼の王の娘、グリム兄弟の星の銀貨、赤ずきんもいいな。
リグ・ヴェーダやラーマーヤナ、マハーバーラタ、ギルガメッシュ叙情詩、星の王子さまに老人と海……候補を上げればきりがないな」
なにしろシュテルンの保存している情報量は膨大であり、彼を作り出した人類の文学作品の全てを網羅していると言っても過言ではない。
「ふふ、我々にも分かるように工夫していただいているようで、ありがたいことです」
「大した手間ではないさ。あとでココ達にも聞き逃した話を聞かせて、とせがまれるのは手間に感じないでもないが」
この場にはミヤ、ククリ、ギンは残っているが、シテン、ココ、バルドラッヘの姿はなかった。三名以外にも姿の見えない者が居て、彼らは揃ってシキバ村を離れている最中で、今頃は月狼山を下りて麓の村に向かっている頃合いだろう。
「今日は庄屋のところで商人達との取引だったな。それにバルドラッヘを立ち会わせると」
「あの子もそろそろ他の人間と接しても良い頃でしょう。わしらの他に言葉を交わしたとなると、山の友好的な妖怪や妖精、利見殿や他の村から来たシバ族くらいのもの。いずれあの子を外の世界に送り出すのなら、人間とのかかわりは避けられません」
「目立つようにと異国の人間の風貌にしたが、そこらの妖怪よりも驚かれるかもしれんが、まあ、その程度で傷つくような繊細な神経はしていないからな、あいつ」
実の孫娘も同然にバルドラッヘを可愛がっている村長は、創造主とは言え辛辣なシュテルンの言葉に反論したかったが、これまでのバルドラッヘの行動や性格を振り返ると、驚かれたり罵倒されたり、あるいは石を投げられたりしても悲しむどころか、なにを、このヤロウとやり返すのがありありと思い浮かび、否定できなかった。
「逞しく育ちましたから」
「? そうだな。これまで病気一つしていないし、逞しく育つのは良いことだ。作る時にバルドラッヘには俺のブラッド・ナノマシンを血液代わりに投与しておいたから、そこらの毒や病原菌など即座に駆逐するがな! わっはっはっはっは!」
村長とシュテルンとではバルドラッヘの頑丈の意味が異なっていたが、幸い、シュテルンは互いの齟齬に気付かなかった。
なおブラッド・ナノマシンとは、文字通りシュテルンが製造される際、長期戦や支援の及ばない場所での戦闘を想定してメンテナンスフリー化の為に、血液代わりに機体内部で循環させているナノマシンを指す。
シュテルンの体を構築している素材も自己修復機能を持たせており、かつて行われた決戦で大破した彼がこの星で復活できたのも、この機能のおかけだ。
バルドラッヘの体が常人離れした身体能力を誇り、極めて高い病気や毒物への耐性を有するのも、彼女の体内に投与されたブラッド・ナノマシンの恩恵による。が、バルドラッヘがそれを実感するような目に遭うのは、もうしばらく先のことである。




