第十話 造物主と被造物
「んにゃあ~」
バルドラッヘは猫のような声を出しながら眠りから目覚めた。山奥なのでまだマシかもしれないが、夏となればやはり暑く、家の戸は開かれていて虫除けの効果がある草や花を乾燥させたものが飾られている。
シテン、ミヤ、ククリ、ギン、ココの四名はそれぞれ距離を取り、板張りの床の上に御座を敷いてまだスピスピと鼻を鳴らして眠っている。
冬ならば布団を敷いて五名でくっつきあうようにして眠るが、この季節となれば距離を置きたくなる。ましてや全身を毛で覆われた彼女らにとって、夏は辛い季節だろう。
バルドラッヘは家族を起こさないように音を立てずに立ち上がり、草履を履いて台所にある水瓶に向かう。
蓋の上に置いてある柄杓を取って、水を一掬い。軽く口の中をゆすいでから顔を洗い、家の外へと出る。
日の出と共に起きる生活をしているが、バルドラッヘの起きた時刻は更にその前だ。まだ周囲は暗がりが広がっている。今日一番の早起きさんはバルドラッヘだろう。
その暗がりの中で白くぼうっと光るようにして佇むソレと、バルドラッヘの目が合った。この村で白いと言ったらバルドラッヘの髪か、居候のシュテルンと相場が決まっている。
相変わらず傷の治っていないシュテルンが黄金の瞳を被造物へと向ける。
お互い、つい先程までバルドラッヘの夢の中の仮想空間で訓練に集中していたから、再び顔を合わせるまでに一夜も経過していない。
「おはよう。目覚めはどうだ、バルドラッヘ」
シュテルンの問いかけを受けて、バルドラッヘは朝の挨拶を返しながら目覚めてからの調子を素直に答える。
「おはよう、シュテルン。んー、普通? いつも通り」
「ふむ、不調でないのならなによりだ。普通というのは案外、大切なものだからな。頭の回転が鈍ってはいないか?
お前の脳に負担が及ばないように、演算処理はすべて俺が引き受けているが、現実とほとんど遜色のない情報量で構成された仮想空間だ。
あそこでの怪我や疲労が肉体に影響を及ぼしている可能性がある。お前の状態は俺が常にモニタリングしているが、お前自身の体感を知っておきたい」
「寝ている間の訓練が終わったと思ったら、朝からまた訓練の話? ちょっとうんざりしちゃう」
むう、と小さく唇を尖らせて拗ねるバルドラッヘに、シュテルンは苦笑した。ずいぶんとまあ人間臭い仕草だ、と言外に含めた苦笑だった。
「呂蒙曰く、男子、三日会わざれば刮目して見よ、と言うが、お前の場合はどう言えばいいのだろうなあ。女の子だし、育つのも早いし」
「りょもう? だぁれ? シュテルンのお友達?」
「俺を作った世界の大昔の人間だ。逸話が残るくらいには有名な人物でな。先程の言葉はもっぱら慣用句として使われている。
少し見ない間に思わぬ成長を遂げているといった意味合いと覚えておけば、大きな間違いではない」
「そっかあ。ねえ、私、そんなに成長してる? もうお姉ちゃん達よりもおっきくはなったけれど」
コテンと首を傾げ、こちらを見上げて尋ねてくるバルドラッヘに、シュテルンはやれやれと言わんばかりに首を振りながら答えた。こういった情緒面の成長が、彼の予測を超えているのは確かだ。
「ああ、成長しているとも。俺の思いもしなかった方向にな。それは悪い話ではないのだろうが、意外とままならんものだとも思い知らされたよ」
シュテルンは口にした通りこれも悪くないと、心から思っているようだった。少しくらいは、シュテルンにもバルドラッヘに対する父性が芽生えつつあるのかもしれない。
それを指摘されたならシュテルンは否定したかどうか。シュテルンは遅れて起床し始めたココ達と朝の挨拶を交わしているバルドラッヘをじっと見つめていた。
その黄金の瞳にどんな感情が宿っていたのかは、誰も見る者がおらず、シュテルン自身にも分からない事だった。
「ねえ、シュテルン」
「なんだ?」
わざわざ言葉にしなくても頭で考えるだけで会話の行える両者だったが、こうして面と向かっている場合にはまず言葉を使ってコミュニケーションを図っている。
まだ生まれて半年も経っていないバルドラッヘに会話の練習をさせる為と、意外とシュテルンが楽しんでいるからかもしれない。
「シュテルンは何の為に作られたの? 何をする為に生まれてきたの? 私は最初から目的を持って生まれてきたけれど、私を作ったあなたは何かの為っていう目的はあるの?」
「ほう? お前の生まれてきた目的を果たすのには、不必要な情報だな。そういった不要なものを欲するようになってきたか。お前の情緒面の成長は目覚ましい。
そうだな。お前は普段から文句こそ言うが、音を上げずに俺の課す訓練をよくこなしている。褒美代わりにお前の質問にくらいは答えてやるか」
「えらそー」
「お前を作ったんだぞ? ならお前よりは偉いさ」
鼻で笑うシュテルンの反応が面白くなくて、バルドラッヘは分かりやすく機嫌を損ねた。自分の感情を隠そうともしない、あるいは隠す事さえまだ知らない幼い子供そのものの仕草だ。
「むー」
「むくれてもなにも変わらんよ。ココあたりなら可愛いと褒めるかもしれんが、俺は褒めん」
「えらそーな上にケチだ」
「ケチ!? ケチ、ケチか……」
シュテルン相手には容赦のないバルドラッヘの言葉を耳にして、シュテルンは目を丸くした。色々と罵詈雑言を投げつけられた経験はあるが、それにしたってケチとは初めての言葉である。
利見に渡している報酬を考えれば、むしろ太っ腹な方なのだが、バルドラッヘからすれば褒め言葉一つを惜しむケチでしかない。
初めてバルドラッヘがシュテルンに口で勝った奇跡的な場面なのだが、当のバルドラッヘもシュテルンも気付いていないのだから、皮肉的と言おうか喜劇的と言おうか。
「俺がケチかどうかはともかく、少なくともお前が役目を果たした時には目一杯褒めてやるともさ。そうでなくとも褒めるべきだと思ったら、褒めるぞ」
「ふーん。とりあえず信じてあげる」
「創造主よりも偉そうにする被造物か。世の中は広いから、お前くらいはそうでもいいだろう。大抵の奴は怒り出しそうだな。さて、なんの話だったか」
「シュテルンが作られた目的とか、意味とかを教えてっていう話だよ」
忘れちゃったの、とバルドラッヘは眉を寄せて少しだけ怒った様子だ。これもココをはじめシキバ村のシバ族達なら揃って可愛い、可愛いと褒めて甘やかすところだが、シュテルンの相好はまったく崩れない。
それでも口を開いて、バルドラッヘとの話を続けたのだから、彼も少しはバルドラッヘを可愛いと思う心があるのだろう。
「そういう話だったな。まあ、俺もお前と似たような目的で作られたよ。外敵を倒す為の切り札としての役目を持たされて、俺は作られた。戦う為の存在だが、お前と同じで戦いの果てに平和を齎す事を期待されたな。もうだいぶ昔になる。本当に古い話だ」
「シュテルンが戦わないといけなかった相手って、とっても強かったの?」
「んん? そうだな、強かったとも。きっとお前が戦わなければならない奴らよりも、ずっと強かったとも」
思い出すのも嫌になるくらいに辛く苦しい戦いだった、と顔を歪ませるシュテルンの前で、バルドラッヘがなにやら動き始めていた。
「どれくらい? これくらい?」
バルドラッヘは両手を思い切り伸ばして、シュテルンに尋ねるが、シュテルンはそのあまりに子供っぽい仕草につられて小さく笑った。
戦う為に作り出した命である筈なのに、目の前のバルドラッヘからはそのような出自をほのめかす雰囲気は露ほども感じられない。
どちらかと言えば問題なのかもしれないが、それでもいいだろうとシュテルンは思い、その思いが彼に笑みを浮かべさせたのだ。
「その程度ではまるで足りないな。シバ族全員の手足を借りてもまだまだ足りないくらいだ。獄世の連中もなかなかやるが、俺が戦わなければならなかったのは、もっとやる奴だった。獄世の奴らもアレと戦う羽目になったら泣き出すかもな」
「シュテルン、見栄を張っていない? 大げさに言わずに正直に言っていいんだよ? 恥ずかしいことじゃないから」
バルドラッヘはシュテルンが大げさに言っているのだと判断したらしく、哀れみを交えた目で創造主を見る。
これまでシュテルンに嘘を吐かれた経験はないが、素直なバルドラッヘにしてもちょっと信じがたい内容だ。
「お前を相手に見栄を張ってどうする。お前の物の考え方はちょっとした謎だ」
「毎日、たくさん厳しい訓練を重ねて、備えている相手よりもずっと強い奴と戦ったんだぞって言われたら、いい気分はしないよ~」
バルドラッヘからすればシュテルンに自分の方が苦労したんだぞ、と自慢されたような気分だ。そうなれば多少は機嫌を損ねるだろう。シュテルンもそこに思い至ったようで、その場を取り繕うようにして話を仕切り直す。
「いずれにせよ、俺が昔戦った奴については心配する必要はない。決着はもうついている相手だからな」
「シュテルンだけで戦ったの?」
バルドラッヘの質問に対して、シュテルンは少しだけ間を置いてから答えた。それは色あせない過去の記録を参照し、記憶を呼び起こす作業に伴う感傷を抱いた為だった。
バルドラッヘのように作られた存在である彼は、確かに心を持つ存在だが、最初から心を持って作られたのか、あるいはなにかのきっかけによって後天的に心を得たのか。
シュテルンは淡々と書物でも読むように自分の過去を語り始める。作られた自分が作り出したバルドラッヘに対して、思うところがあるのだろうか。
「俺の時は随分と追い詰められた状況だった。本当に種族が滅亡する瀬戸際と言ってよかった。敵を倒す為に動員できる可能な限りの人員とあらん限りの資源、許される限りの時間を用いて討伐する為の準備を進めていたよ。
俺は敵を滅ぼす為の切り札の内の一つで、俺と同じ存在が他に二機いた。俺の名前は星を意味しているが、それぞれ太陽と月を意味する名前を冠する俺の兄弟達だ。
他にも俺達を確実に敵の中枢に届ける為に、夜空の星にも負けないくらいの数の軍勢が用意されて、俺達はいつ終わるとも知れず、勝てるとも分からない戦いに挑んだものさ」
在りし日を思うシュテルンは当時の戦いの前後の様子を脳裏に思い描いていた。自身が完成して初めての出撃となった戦い、初めて兄弟機達と肩を並べて戦った戦い、最後の戦いに挑む前に自分達に希望を託して見送る者達の眼差し、祈りと期待の込められた言葉……。
もし詳細に語ったならばどれだけ時を必要とするか分からない程の膨大な記録が、欠ける事無くシュテルンの中に残っている。
当然、良い記憶ばかりではないが、その全ては今となっては、彼自身にとってかけがえのない思い出だった。
(バルドラッヘが俺の与えた役目を終えた時、良い旅だったとでも思ってくれたらいいが、それこそ俺には口にする資格はないか)
押し黙るシュテルンをバルドラッヘが覗き込む。そうして色違いの瞳からの視線を受けて、シュテルンは改めてバルドラッヘに向かい直す。
「それでも勝ったからシュテルンはここに居るんだよね。戦いが終わっているから、私を作り出す余裕があったんでしょう?」
「まあな。今から振り返って演算し直してみても、あの戦いは勝率が限りなく低かった。無に等しかったが、無でないのなら戦う価値がある。そういう戦いだったな。
バルドラッヘ、お前が挑む戦いは仮に勝てなくともこの世が滅びるとか、人間や妖怪達が滅びると決まった戦いではない。お前以外の誰かが人間や世を救う可能性も大いにある。だから、なにがなんでも自分が成さなければならないと思い込まんでいいぞ」
「戦乱を鎮める為に私を作って、戦わせようとしているシュテルンがそれを言っちゃうの? あっきれたぁ」
バルドラッヘになら、これくらいの文句を言う権利はあるだろう。温情のあるシュテルンの台詞だが、それを口にするのがバルドラッヘに戦いを強いているシュテルン自身とは、捉えようによってはこの上ない皮肉だ。
「俺もそう思ったところだ。我ながらかなり面の皮の厚い台詞だった。すまん。だが、まあ、そう気負わずに行け。お前を旅立たせるのはもう少し先の話だし、起きている間はココ達と家族としての時間を過ごせばいい」
「もう少し先かぁ。今のまま私が成長していったら、冬くらい? 雪と共に旅立つ、みたいな?」
バルドラッヘは春が終わるころには五歳相当に成長し、夏の盛りを過ぎた今は十歳ほど。季節が一つ巡る旅に五歳ほど年を重ねているから、本人の予想通り冬の始まりに旅立つならば十五歳ほどに成長しているだろう。
バルドラッは、自分の成長速度はシュテルンの匙加減で増減はあるが、今の成長速度が自分を最高の状態に仕上げるのに最適だと判断しているはずだから、このままの速さで成長して行く可能性が高いと考えていた。
さて被造物からの問いかけに、創造主はこう答えた。
「このまま育てば次の春が目途だ。そうなればお前の体は完成して、身体能力において全盛期を迎える。並みの豪傑や妖怪程度なら相手にもならん。武器もその頃には用意しておくから、楽しみにしておけ」
「はーい。その時までには村を出たら次にどうするか、決まっているかな?」
「利見の奴は役に立っている。隠している情報はあるかもしれんが、偽りの情報を伝えてきている可能性はない。ああいうのは、自分の仕事に誇りを持っている口だ」
「すぐ終わるかな? 一年くらいでシキバ村に帰ってこられる?」
「獄世の連中を陽ノ本から叩き出すだけなら、それで済むかもしれんが、奴らの暗躍に乗じて悪さをしている妖怪共や人間共まで相手にするようなら、五年や十年では終わらんかもしれんぞ」
「え~? そんな~」
「情けない声を出すな。それにシバ族の寿命はそこらの犬猫よりもずっと長い。十年、二十年経とうが、寿命でくたばる奴はいない」
「じゃあ、長くなりそうだったら時々、村に顔を見せに戻ってきてもいい?」
「……まあ、手の空いている時ならいいだろう。お前のやる気がなくては、倒せるものも倒せないだろうからな」
「わあ、ありがとう、シュテルン!」
「お前は本当に創造主である俺に対して、敬意とか遠慮がないな」
そうは言いつつも、シュテルンもまた満更でもないのだから、バルドラッヘの態度が改まらないのも無理はなかった。




