【短編版】転生令嬢は愉悦する~名推理もなにも、この世界は初見じゃないの。ごめんなさい?~
連載開始しました(21/6/22)
雪が舞い落ちる冬の日。
商人や職人たちが集まる騒がしい市場。色とりどり外套がせわしなく行きかう。
そのメインストリートのひとつ奥――ちょうど帽子屋の角を曲がったところ――に、オークの木でできた分厚いドアの喫茶店がある。
雪がうっすら積もる窓枠越しには、豊かな赤毛を無造作な三つ編みにした女の子が座っているのが見える。
近所の名門魔法学園の制服をまとっているが、ブラウスの襟元を少しくつろげて、ネクタイも外してしまっている。
そんなはしたない着崩し方をするなんて相当な不良で、名門学園に通っているといえど、身分は下の方、せいぜい最近ひと山あてた成金商家の娘か何かだろうと思われていそうだ。
赤毛の女子学生の前にはしおりを挟んで閉じた本と冷めた飲みかけの珈琲、今しがた運ばれてきたばかりのショートケーキが置かれている。
目の前に腰掛けるのは同じ学園の制服を着た青年、レイモンド。こちらはきちんと緑色のネクタイを締めている。ようやくケーキが運ばれてきたのを見て、落ち着かない様子で急かしてきた。
「お望みのケーキが来たんだし、早く推理してくれよ」
「これ食べてからに決まってるでしょ。ちゃんと奢る気あるの? うるさくするなら帰って」
「それはないだろローラ!? え? 帰れってマジで言ってる?」
ローラと呼ばれた赤毛の少女がしっしと手を振ると「ローラってたまにマジなことあるから」とレイモンドは顔色を変えた。
「何それそんなに信用ないわけ? 本気にしないでよ。ちゃんと先にやるわよ」
(で、レイモンドも次から次へとよくもまあ。「依頼者」を連れてくるわね)
だってだってと言い募るレイモンドを完全無視して、その隣に座る男性に視線をびしりと定める。左右の髪をきっちりと撫でつけ、毛先をくるりと左右対称にはねさせていて、見るからに几帳面な印象だ。
本題に入るまでに、やれ今飲んでいる珈琲代を出せ、やれケーキを奢れと言われたわりに、ここまでひとつの文句も言わない。
「……よほど困っているようだけど、なんで?」
ローラがそう声を掛けると、男性は一瞬視線を彷徨わせてから、覚悟を決めた顔で話し出した。
「私はクリージェント魔法学園で事務員をしておりますエリックと申します。この度は『窓際の探偵令嬢』と名高いローラさん? でよろしいでしょうか。お力をお借りして、是非解決していただきたい厄介ごとがございまして……」
誰が言い出したのか、気づけば「窓際の探偵令嬢」と呼ばれていた。
ローラが学園の放課後になると毎日のように、この喫茶店の窓際に陣取って本を読んでいたことには違いない。
珈琲やケーキを見返りに、何かしらの厄介ごとに巻き込まれた人たちに知恵を貸してやることも少なくない。
(ただ、探偵令嬢っていうのは仰々しいんだよねえ……)
名推理もなにも。
――私にとって、この世界は初見じゃないの。ごめんなさい?
ここは前世で汗水たらしてやり込んだ、あの史上最高の乙女ゲーム「あなたはどのイケメンと結ばれたい? 黄金のユリが輝く学園ストーリー」の世界。ファンブックも制作陣のトークライブDVDも全て! 全て買い漁ったんだから!
そう、愛しい愛しい『どのユリ』の世界に転生したのだから、この世界で起こることは全てわかるに決まっている。
「へええ? うちの学園の事務員さんねえ。それは美味しい……」
ローラがにんまりと笑う。
(あああ、このセンター分けくるんヘアーの事務員さん。とっても見覚えのあるシルエット……)
裏設定でもなんでも、徹底的に堪能してやる。
レイモンドがちゃんとやってくれよという視線を送ってくるが、反応するのも面倒臭いのでやっぱり無視する。
大丈夫、レイモンドはこのくらいではへこたれない。強く育ってローラさんは嬉しいです。
ローラはカップを取り上げひと口飲むと、エリックに続きを促した。
***
「……というわけで、私が戸締りの当番の日に限って、食堂厨房の食材が無くなっていると苦情が入ったんです。最初は料理人の数え間違いかと思ったんですが、そんなはずがないって。今度は私が盗んだんじゃないかと責められて。確かにうちはそんなに裕福な家柄ではないですが、盗みなんてしませんよ……!」
エリックは話し終えると、苛立ったようすでトントンとテーブルを叩いた。
レイモンドもちらちらと気遣わしげにエリックをうかがいながら頼んでくる。
「エリックさんは真面目でいい人なんだ。学園でもいつも親切にしてくれる。あらぬ疑いを掛けられているのを黙って見てはいられないよ。ローラ、少し考えてみてくれないか?」
「え? 犯人を捕まえればいいんじゃない? そうね、戸締りをした1時間後にでも、もう一度厨房に行けばいいわ。明かりがついているんじゃないかな」
ローラがさも当然のようにそう言い放つと、エリックがぎょっとして身を乗り出してきた。
「で、でもローラさん! しっかりと戸締りしているはずなんです。それも毎回きっかり同じ時間に! 鍵も壊されていないんですよ? 誰かが中にいるなんてあり得ません!」
「あ、たぶん予備の鍵を失くした事務員がいるわよ。そうね、ちょっと太ったおじさんがいるでしょう? その人に、この前鍵を失くさなかったかって、……例えば花壇のあたりでとかで。適当にかまをかければ白状するわよ」
あとは犯人捕まえたら煮るなり焼くなりすればいいじゃんと言って、ローラはケーキにフォークをぶすりと指した。大ぶりにすくい取ったそれを愉快そうに口に運ぶ。
エリックは釈然としないようだが、ちょうど明日だし厨房に行くなら付き合いますよとレイモンドが宥めている。
(だってこの髪型の事務員だけが時間通りに戸締りしにくるから、その後を狙って侵入しているのよ……「ヒロイン」が)
「他の事務員だと、いつ厨房に来るかわからなくて困るのよ。それじゃあ上手くクッキーが焼けないんだよねえ」
あれこれ話し合っている向かいのふたりには、聞こえるか聞こえないかの大きさで呟く。
ばらしてしまってヒロインは恨むだろうか? エリックに上手く言い訳をしなければ、もう厨房を使わせてもらえなくなるぞ。可哀想に。
でも、ローラだってケーキを奢ってもらってしまったのだから仕方がない。たぶん。
「放課後はいつもここにいるから、どうだったか教えてね」
気楽な調子でそう言うと再びケーキに向かう。
「まあローラさんがそういうなら信じましょう。この辺りで窓際の探偵令嬢は有名ですからね。事情を聞いただけで、『まるで見たことがあるかのように』真実を言い当てるって」
「そうなんだよ! ローラって愛想はないけど推理は本物なんだよ!」
「は? レイモンドは私に喧嘩売ってんの? 表に出ろ」
「いやいやいやいやローラ待って違う、完全に誤解!」
砕けた口調で言い合っていると、エリックがクスリと笑う。
「レイモンドくん、明日は頼みます。ではローラさん、答え合わせはまた明日にでも」
多少すっきりした様子で立ち去るエリックに、ローラは小さくうなずく。
ヒロインはびっくりするんだろうなあ。いや、エリックさんの方が驚くかも。明日のことを想像すると、ローラの相好が自然と崩れる。
「明日が楽しみだなあ」
**
「いらっしゃいませえ~~」
翌日、ローラがオークのドアを開くと、にこやかに微笑むマスターに出迎えられた。
がっしりとした筋肉質の巨体で、いかにも強そうな男性ではあるが、とても可愛らしい花柄のエプロンと、それと同じくらい柔和な空気をまとっている。
そう、いわゆるオネエキャラだ。
「マスターはいつも素敵だねえ……」
(ギャップのあるオネエキャラからしか摂取出来ない栄養もあるのよ……)
ほんわりとした気持ちでそう言うと、マスターがちょっとちょっとと話し掛けてくる。
「ローラちゃんっ! 昨日会っていたお兄さんたちがローラちゃんに会いたいっていうから、いつもの席に座らせちゃった! よかったかしら?」
「あー、エリックさんたちか。いいよ、ありがとうね」
「やん! お安い御用よお。注文はいつものやつね?」
すぐに持っていくわねえ! と可愛らしく言ってから、マスターはいそいそとカウンターの方に去っていった。
ローラが初めてこの喫茶店に訪れたときから、マスターだけは何故だかずっとよくしてくれている。
マスターのちょっと濃いけれど親しみやすい性格のおかげで、この喫茶店はとても居心地がよく、老若男女問わず常連客がついている。
庶民向けの市場から近く、労働者階級の客も多いのだが、もめ事を起こしそうな様子があればすぐにマスターが仲裁してくれるので、騒ぎになってこともない。
正直あそこまでゴリゴリのマッチョに凄まれたら――しかもあの口調で花柄エプロンである――いろんな意味でパンチが効いていて、誰でも一旦冷静になる。
そういうわけで、放課後に寮を抜け出して本を読むのにぴったりの喫茶店なのだが、今日はお気に入りの席に先客がいた。
「遅かったなローラ!」
「やあローラさん」
いつもの席のちょうど向かいに陣取るレイモンドとエリックを見て、ローラは嬉しそうに微笑んだ。
「ふたりとも、昨日より随分と機嫌がよさそうね。言った通りだった?」
ローラが席に着くと、エリックが勢い込んで話し始める。
「本当に驚きました! まさか特待生のヴァネッサ・リリー嬢が入り込んでいただなんて!」
「でしょう? で、ヴァネッサさんはどんな様子だった?」
「ローラさんのおっしゃる通り、予備の鍵を紛失した事務員がいました。リリー嬢はそれを偶然拾って、こっそり厨房に入り込んでいたそうなんです! リリー嬢が謝りに行ってくれましたので、私への疑いが晴れましたよ」
「……だから、ヴァネッサさんの様子はどうだったの?」
嬉しさと驚きで一気にまくしたてるエリックを、ローラが遮る。テーブルを人差し指でコツコツと叩いて、若干苛立っているのがわかる。
「え? リリー嬢ですか? ま、まあ、噂通り明るい天使のような方でしたよ。今回もどうしてもクッキーを作りたかったから、余り物の材料を拝借したかったようで。一生懸命謝る姿が、なんです? 可哀想というより、えーっと?」
「庇護欲をそそるというか、小動物みたいで助けてやりたくなったよな」
言葉に詰まったエリックに、レイモンドが助け舟を出した。エリックがそれです! と頷き、そのまま続ける。
「リリー嬢って、特待生として入学していますけれど、ご実家は貧しいみたいで。いろいろお話を伺っていると本当に頑張り屋さんなのがわかって、皆同情しちゃって。
これからは材料費の代わりに簡単な掃除をお願いすることにして、引き続き厨房を使っていただくことになりましたよ」
「ほうほう。説得の選択肢は全部クリアと。さすがね……」
「ローラ、なにいってんだ?」
訝しがるレイモンドには、こっちの話よと適当にごまかしておく。
マスターが運んでくれた珈琲を飲みながら、ふと思い出したことを口にする。
「そういえば、ヴァネッサさんはエリックさんのことを褒めていたんじゃない? 毎日時間を守って戸締りしにくるのはエリックさんだけだもの」
「……! そんなことまでお見通しなんですね! さすが探偵令嬢と名高いだけあります。おっしゃる通り、忍び込むには都合がよかったそうなのですが、私に迷惑を掛けることになって申し訳ないと泣いて謝ってくださいました」
「疑いも晴れたし、謝ってもらったからもういいんだとさ。エリックさんは心が広いよなあ」
「いや、付き添ってくれたレイモンドくんこそ。本当にありがとうございました」
「確かにレイモンドは世話好きよねえ……」
そう、レイモンドは何故だかとっても世話好きだ。
初めて出会った日からそうだった。他人のために散々心を砕いていて、ローラのところにたどり着いた。
突然ローラの目の前に立ったレイモンドは、「労働者階級の喫茶店に、探偵をやっているうちの生徒がいるって聞いた。君か?」と相当警戒して話しかけてきた。
そんなに警戒するならやめておけばいいのに、人のためになるのなら話しかける。そういう優しくて強い人だ。
ローラが目を見張って、「な、なんでうちの生徒がこんなところに! 貴族連中は嫌がって来ないような場所だよ!?」というと、そっくりそのまま返すと言われ、それから一瞬無言で見つめ合った後、ふたりで盛大に噴き出したのを覚えている。
『どのユリ』の世界に転生したと気づいて以来、この世界のあらゆるものを心のフィルムに焼き付けたり、遠くから攻略対象やヒロインたちを観察したりと楽しく過ごしてきた。
ただ、その特に誰とも近づきすぎない生き方では、自分がこの世界の人間ではないという感覚、疎外感が強くなる一方だった。
そこにきてレイモンドだ。彼はモブ、いやモブですらない。正直学園シーンに出てくるキャラクターを思い返してみても、全く記憶にない。
学園シーンにいた学生などではなく、単純に「ローラ自身の友人」として付き合うことができる。そんな存在を手に入れた衝撃か、ただ単に噴き出した拍子に喉に何か引っかかったのか、無性に胸が熱くなったのだった。
レイモンドは「不良娘を家に帰す」とかなんとか言いながら、暇さえあればちょうどローラが寮に戻る頃合いを見て、喫茶店まで迎えに来てくれる。
「暇なの?」
「はあ!? 最近暗くなるのが早いから、ひとがせっかく心配して……、いやいい。暇です。すごく暇です」
「ちょっと! 急に面倒臭くなるのやめて!?」
夕焼けで真っ赤に染まった道を、ぎゃいぎゃいと言い合って帰るのも嫌いではない。
そんなことを考えながら、ぼーっとレイモンドの方を眺めていると、ぱちりと目が合ってしまう。
「なな、なんだよ」
「いや? レイモンドは優しいなあって思ってた」
思い出した内容をそのままに、ふわりと柔らかい微笑みをレイモンドに返した。つんと凛々しいローラにしては珍しく、マシュマロみたいな表情をする。
するとどうしたことか、レイモンドがみるみるうちに赤くなった。
「おおおおおおい??? 急にどどどどうしたあ!?」
「別に何もないけど」
予想以上に慌てふためくレイモンドと、はてと小首を傾げるローラ。そのふたりをしばらく交互に見てから、エリックが「あはは!」と笑い声を上げる。さながら思わずと言った調子だ。
なんだかローラもつられてしまって、一緒にくすくす笑い出す。ああ、楽しい、楽しすぎる。みんな初見なのに、自分だけ通過済みのこの世界!
――転生令嬢は今日も元気に愉悦する。
お読みいただきありがとうございました!
今後連載を検討しております。よろしければ感想を教えてくださいませ。
追加5/27 22:45 誤字報告ありがとうございます!! とても感謝しております!!