剣なんでも屋店主、剣ヶ峰涼 2
クラブ「アトラース」。
重低音の音楽が流れる店内は全体的に暗く、赤や青のライトが絶え間なく交差する中、数十人がゆらゆらと揺れている。
「ありゃなんだ?」
「さぁ? パリピの趣味はマジでわかんない。カオルの趣味はダーリンだけ~」
「俺の趣味もカオルだけだな。さて……店の奥のブースって話だったな……」
二人はダンスフロアで踊る者たちをかき分けながら店内を奥へと進む。
たどり着いた先にはガラス張りで仕切られたブースがあり、中には二人掛け程度のテーブルセットが三つと、四人掛けの、マージャン卓程度の大きさのテーブルセットが一つ置かれている。どのテーブル席も満杯で、特にその中の一つ、男女の取り合わせの席には三人ほどの立ち見もついていた。
「あれだな? 富賀河透流……」
「うん、そうだね。桜音ちゃんから聞いてた背格好の特徴が同じ」
男の方、茶髪のショートを無造作的にセットし、カジュアルシャツにデニムボトムスとどこにでもいそうな感じではあるが、その顔に特徴がある。
十人中九人は好みそうな整った顔立ち。右目の下に泣きボクロがあり、今も浮かべているその笑顔をよりチャーミングに見せる効果を持たせている。
だが、彼に対している女の方は、ガラスの向こう、さめざめと泣いている様子だ。
「返して……私のお金、返してよ!」
剣ヶ峰がブースドアを押して中に入ったのは、女が叫びながら立ち上がった瞬間だった。
「おいおい、何をいまさら言ってんだよ。勝負の結果だろ? お前だって承知の上だったんだろうが」
「でも……」
女が言い淀む。
「こんなの絶対おかしい。ズルよ。私、ちゃんと『ダウト』したもの! 見せなさいよ!」
女が手を伸ばしたのに先手を打って、富賀河は自らのスマートフォンを手に取った。
「おっと~。ヒス女は何するか分かんねーからな。触らせやしねえよ」
「おかしい、おかしい、おかしい! 絶対何かある!」
「おい、トモ。コイツ、連れ出してってくれよ」
富賀河が指示すると、立ち見客の一人はどうやら彼の身内だったらしい。騒ぎ立てる女を引きずるようにしてブースの外へと連れ出していった。
「さ~て、お次は……と」
富賀河がさっきまでの騒ぎなどなかったかのように、顔にスキンクリームを入念に塗りながらブース内を見渡す。と、剣ヶ峰と目が合った。
「お、見ない顔。君たち、おいでよ」
富賀河に招かれ、二人は彼に対面する位置に立った。
「どっちかお相手してくれないかな? カレの方でも、カノジョの方でもいいよ」
「あの~……ボク、ちょっとよくわからないんですよね」
剣ヶ峰は愛想笑いを浮かべつつ、席に腰を下ろすと言った。
――ダーリン、「ボク」だって。かわいい!
剣ヶ峰はすでに今回の「仕返し」の筋立てを考えていたのである。
世間知らずの坊ちゃんと侮った相手に、富賀河は得意の「ダウト」ゲームの土俵で滅茶苦茶に負ける。その悔しさに震える顔を写メでも撮って三ツ路の溜飲を下げるのだ、と。詳細はなし。以上。
具体性の全くない計画だが、安芸島におだてられた剣ヶ峰はすっかりその気になっており、三ツ路からの情報が来るや否や、なんでも屋の事務所を出てきていたのだ。
「わかんないって、ここ? ここは『ダウト』専用ブース。……アンタ、まさか……『ダウト』を知らないってわけじゃあないよな?」
富賀河が怪訝な顔色に変わった。
――面倒を見なくてもいい、簡単なカモをご所望なんだな、コイツは。
「いえ、『ダウト』は知っていますよ。こういう、賭けるってのが初めてで……」
そう言うと、剣ヶ峰は目の前に真新しいスマホを置いた。その左手にはこれもまた真新しい、「アイ・リング・サード」のリング型機器が光る。
富賀河への仕返しの方法を「ダウト」にすると決めてから剣ヶ峰はスマホの契約をし、新しいリングも購入し、安芸島を相手に練習をいくらか重ねたのだ。
ただ、剣ヶ峰と安芸島はツーカーの仲で、安芸島は剣ヶ峰相手に甘やかし気味、手を抜きがち、ウソをつききれない性分、ということでほとんど練習の体をなさなかったのだが、当の二人はそのことを気にもしていない。
「はーん……。規制がかかる前にやっておこう、とか、そんなカンジ?」
「そんなところです」
ニッコリと、およそ剣ヶ峰らしくない微笑を浮かべて答える。
「そうだよな~。こうやって楽しく遊べるのもあと三カ月、なんだよな~」
富賀河は両手を組んで天井に向けて伸ばすと、うーん、と唸った。
「規制」……正式には、「電子ソフトの個人間取引に関する規制法」。
「ダウト」アプリ、また、その流行で多発した類型のギャンブルアプリにより相次ぐ個人間取引のトラブルの爆発的増加を受け、ある法律案が一カ月ほど前、国会審議を通過した。それが「電子ソフトの個人間取引に関する規制法」である。
さまざまな条文が盛り込まれているが、それらの悉くが意味するところは、手軽さがためにこうも普及した「ダウト」ゲーム・ギャンブルのシンプルさが奪われる、ということである。
一ゲームごとに本人確認、支払いに関する承諾が必要とされ、場合によっては後から追跡される可能性のあるギャンブルになど、誰が手を出すのだろうか。きっと「ダウト」ギャンブルは、規制法の施行とともにプレイ人口が激減して廃れていく、というのが世間の一致した見解だった。
その規制法の施行開始が約三カ月後、二月一日から……。
「俺もさ……今のうちに目一杯楽しんでおこうと、こうして夜な夜ないろんなサロンに顔を出してるってわけよ」
――楽しむ、ねえ……。女泣かせて力尽くで追い出すのが楽しいのかね、この男は。
剣ヶ峰はテーブルを蹴り飛ばしてやりたくなるのを堪えて、笑顔だけで富賀河の言に応じた。
「じゃあ、早速、楽しもうか」
――その吐き気がするテメエのニタニタ顔、悔しさ一杯に塗り変えてやるよ。
剣ヶ峰は、まだ手に馴染みきっていないスマホを持ち直した。