毟り取る男、富賀河透流 15
――危ない橋を渡ることになるが……この手に賭けてみるしかない……。
富賀河は意を決すると、ふかふかの絨毯の上に土下座をした。
「……どうした? 富賀河」
「頼む、剣ヶ峰……いや、剣ヶ峰サン。俺はこれから『マイライ』を言う……。『ダウト』での荒稼ぎは金輪際しないと誓う。延期される規制法が施行されて、もうできなくなるってのもあるが、絶対にしない! ……だから、俺の『マイライ』を見逃してくれ! 頼む! 頼む!」
富賀河は嘆願の言葉を連ねながら、土下座の深さを増す。
――頼む、頼む……。「ダウト」を言うな、言うな……言うんじゃないッ!
富賀河は、この期に及んで引き分けを……土下座までして引き分けを嘆願する滑稽さの中に、自身の「規制法延期」発言の滑稽さを潜ませた。
どういう理屈なのか富賀河には見当がつかないが、直近のアプリAI判定で「規制法延期」が「本当」とされているのだから、この、土下座までした滑稽さにのみ注目させれば、今、すでに成した「マイライ」の発言を見逃される可能性は十分にある、と富賀河は踏んだのだ。
問題なのは、富賀河が「規制法延期」を「マイライ」に設定していること。
一度「マイライ」に設定された言葉は、それがゲーム途中で「本当」になろうが、「ダウト」指摘されると負ける。
富賀河は、これを切り抜けなければならない。
他の発言部分についても、富賀河は「ウソ」を吐いていない。
「ダウトをやめる」――この勝負を最期に、「ダウト」アプリのギャンブルから足を洗う、とは勝負前から考えていたことだ。
「これから『マイライ』を言う」――この嘆願を聞いた人間の大方は、「相手に許されたあとに『マイライ』を発言する」と解釈するだろうが、富賀河はこの言の後、自身の「マイライ」をすでに言っている。これ以降、富賀河が黙り込んだとしても、これは「ウソ」にならない。
いずれにしても、富賀河の命運は剣ヶ峰の対応に委ねられた。この瞬間、危ない橋を――「規制法延期」の「マイライ」を「ダウト」で指摘されることさえなければ……。
「ハァ……みっともないな、富賀河」
剣ヶ峰はため息とともに、口を開いた。
――言うな、言うな言うな言うな、言うなぁッ! 「ダウト」を言うなよぉぉぉッ!
「……わかった。見逃してやる」
――ぃよぉぉぉぉおおぉぉぉぉおしぃッ!! 渡りきったッ! 危ない橋を、俺は渡りきったァァッ! ……そしてぇえぇッ!
「ダウトォォオッ!」
富賀河は大声で「ダウト」を宣言しながら立ち上がると、剣ヶ峰を指差す。
その額には血管が浮き出し、喜悦が過ぎて頬が痙攣している。笑みなのか威嚇なのか、歪んで吊り上げられた口の端からは涎が細かな泡となって噴き出す。
そんな彼の対面で、何が起こっているのか、判別がつかないでどこかキョトンとしている剣ヶ峰の様。それが、今の富賀河には滑稽に映る。
「『リョウ』ッ! 『マイライを見逃す』ッ! 五千万の勝負だぞッ! 相手の「マイライ」発言を見逃すヤツがいるわけねえだろぉ、バカがぁッ! サイッコーォのパターンにハマってくれたぜ! このバカ峰はァッ!」
――この土下座の中で最悪だったのは、「規制法延期」に「ダウト」をかけられること。
だが、これをやり過ごせたら、最低でも引き分け。最高でこの「ダウト」!
「マイライ」を消化して引き分け以上は確定。さらに、ヤツの「マイライを見逃す」発言を引き出せれば俺がそれに「ダウト」をかける。
――それは、絶対に「ウソ」だ。
「剣ヶ峰! テメエは俺の『マイライ』の言葉を引き出すため、『見逃す』なんて『ウソ』を吐いた! どこの世界に『マイライ』と判ってて言われた言葉を『ダウト』しないやつがいるモンか! この、五千万もの大金がかかってる勝負でよぉッ!」
富賀河は天井を仰ぎ、身体を震わせる。今なら宙に浮くこともできそうなほどの、高揚感。
「勝ちだァッ! 今度こそ、俺の勝ちなんだあぁッ!」
「……ふぅ~」
剣ヶ峰が大きくため息を吐く。
「アンタ、救えないね」
呆れの色が濃い言葉に目を遣ると、安芸島が蔑視の視線を富賀河に浴びせかけていた。
「何とでも言え、クソアマがぁッ! これで、俺の五千ま……」
『ダウト非成立!』
「……はっ?」
「ダーリンは、優しい人だよ~。私たちの目的はもう済んじゃったから、本当に見逃してあげる気でいたのに」
「目的……だと……?」
「そう」
安芸島は富賀河に自身のスマホ画面を掲げて見せる。
「この、さっき撮ったアンタの絶望一杯の顔。勝負がまだ続く中、拠り所としてた『規制法のマイライ』と『アンタの必勝の策』、二つを奪われて、五千万っていう圧力に圧し潰されてひしゃげた顔。これを撮って、ある人に見せてあげる。私たちの目的はずっとコレ。アンタに初めて会った夜から、徹頭徹尾、目的はコレ。必ずしも、『ダウト』に勝ちきることじゃあなかったの~」
「勝つのが……目的じゃない、だと?」
剣ヶ峰がいかにも落胆しきったように、首を振る。
「正直言うとな、五千万なんて、ドブに捨ててもさほど惜しくないんだよ……。富賀河、テメェの絶望顔っていうドブにな」
『あと十秒!』
システムボイスがプレイタイムのリミットをカウントダウンしはじめた。
プレイ時間はあと十秒で終了となる。その後、十秒間の『ダウト』宣言専用フェーズを迎える。
「見逃すつもりではいた」
『あと五秒!』
「だが、これだけ虚仮にされて、黙ってる俺でもない。カオルなんか、もっとそう」
『プレイ終了! 十秒間の「ダウト」フェーズ開始!』
「あんまり俺を……俺たちをナメるんじゃねえよ」
富賀河は、剣ヶ峰の目に冷酷な炎が猛っていくのをただただ眺めていることしかできない。
残り一回の「ダウト」。富賀河がそれを使おうにも、今、剣ヶ峰は、本気のことしか言っていない。富賀河にも、それだけは判った。
『あと五秒!』
「テメェの『ウソ』は、俺たちにとってはどう転んでも救えねえ『ウソ』になった」
『フェーズ終りょ……』
「ダウト」
「ッ?!」
ついに、剣ヶ峰の口から「ダウト」の言葉が発せられる。
「『トオル』。『延期される規制法』」
判定結果もまだだというのに、富賀河はその剣ヶ峰の言葉に断ぜられるように、膝から崩れ落ちた。そのまま、ふかふかの絨毯へと音もなく倒れ込む。
『……ダウト成立! ユールーズ!』
『……ダウト成立! ユーウィン!』
一足遅れて室内に響くハイトーンボイスは、激しい耳鳴りに襲われ始めた富賀河には届かなかった。




