7/19(日) 完
「ニー、キュウ、ゼロだよ! おとーさん! おとーさん! ゼロってことはすくない?」
日曜日、今日も元気に愛美の声が響く。いつにもまして元気なのは昨夜の笑顔理論を素直に実践しているからだろうか。
「あっ、あと5分な」
僕が何度そう言ったって愛美は聞く耳を持たない。
「ニー、キュウ、サンよりはすくない? ねー! おとーさん!」
僕の耳たぶを噛みだすんじゃないかという勢いで愛美は聞いてくる。
「少ない! 少ないよ!」
そんなやり取りをしているとチャイムの音が鳴り響いた。
「あれっ? おきゃくさん?」
愛美は僕の体から降りると「はーい!」と叫びながら玄関に向かった。
いつのまに来客対応出来るようになったのか? 僕はまた愛美の成長に驚かされながら流石に一人でさせるわけにはいかない、と愛美の後を追いかける。
配達だろうか? そういえば愛美にせがまれAmazonで着せ替え人形を頼んでいたかもしれない。
玄関に向かっていると先にドアを開けた愛美の素っ頓狂な声が響いた。
「あれー? ころなのひといなくなったの?」
何を言ってんだと思いながら覗くとそこには、マスクで顔の半分隠れているが間違いない――――佳子がいた。
「おかーさんだ! おかえり! おかえり!」
愛美は無我夢中で佳子に抱きつく。佳子は最初は遠慮がちに惑いながら、そしてやがて耐えきれなくなったように膝をつき愛美を強く抱きしめた。
「ねぇ、おかーさん! ごめんじゃなくてただいまでしょ?」
不思議そうに愛美は首を傾げる。
マスク越しに愛美の耳元で囁く佳子の声はここまで届かない。だけどそれはもうどうでもよかった。
「どこに行ってた?」
僕の言葉に佳子は小さく震えながら「県外とかそういうところには行ってないから……」と辛うじて聞き取れる声量で応えた。
――――この町にいたのか? 誰の所に行ってた?
山ほど浮かんだ聞きたいことを僕はぐっと堪えた。
一瞬流れた不穏な空気を吹き飛ばすように愛美は佳子の手を引き言った。
「ねぇ、おかーさん! きてきて! このまえよーちえんでねんどしたの! まなみね、おかーさんつくったんだよ!」
愛美の手に引かれるまま佳子はヨタヨタと家に上がる。
すれ違いざま僕は意を決し佳子の背中に声を掛けた。
「なぁ」
佳子の肩がビクッと跳ねる。
まるで油の切れたブリキ人形のように佳子はゆっくりこちらを振り向いた。
僕は鼻を鳴らし呆れたように笑い洗面台を指さす。
「家に帰ったら手洗いうがいだろ? おかえり。佳子」
僕はそう言って目の前の2人を追い越し先にリビングに入った。
「おかーさん? どうしたの? そんなにないてたらころながきちゃうよ! はやくわらって! ほらっ! にー! にーって!」
慌てたように叫ぶ愛美の声が家中に響き渡った。
久し振りに家族三人そろった朝日差し込む食卓は本当にいつか見た映画のワンシーンみたいに綺麗だった。
「ふぇーおふぉーさん。ふぉろなのふぃとふぃなふふぁってよふぁったね」
愛美はパンを口いっぱいに頬張りながら聞いてきた。
「愛美、ごっくんしてから喋りなさい」
佳子はそう言うと少し懐かしそうに笑った。
愛美は口の中のパンを牛乳で流し込んだ後もう一度聞いてきた。
「おとーさん。ころなのひとがいなくなってほんとうによかったね!」
愛美はそう言って満面の笑みを浮かべる。一方佳子は不思議そうな顔をこちらに向けてきた。
僕はそんな2人を見ながら思った。
――――本当にコロナが終息した日。その時は家族3人で遊園地に行こう。水族館も良いし映画だって良い。幼稚園のお友達皆を誘ってキャンプもしてみたいし、じいじやばあばの家にだって連れて行ってあげたい。2人にお勧めしたいお店だってあるんだ――――
いつか必ず来るその日を祈り、僕は愛する2人を強く、強く抱きしめた。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。