7/18(土)
コロナ離婚という言葉があるらしい。
テレワークで近くなった夫婦の距離がお互いの嫌な部分を炙り出し、同じ屋根の下にいられなくなるといった現象だ。
確かに近くにいると、今まではどうでもよかったような些細な事に気付くようになるだろう。
だけど僕はその逆もあるんじゃないかと思う。
夫婦の距離が遠くなったことで僕は沢山の事に気付けた。
例えば僕と愛美の朝は佳子に支えられていたこと。
当たり前すぎて気にも留めなかったが朝起きた時、パンとコーヒーそして新聞が食卓に用意されていること。それは想像を絶するような努力の上で成り立っていたんだってことに僕は毎朝愛美の幼稚園用の制服を洗濯物の山の中から捜索しながら気付く。
例えば子供というのは自動的に起きて自動的に寝るような生き物じゃないということ。
愛美は素直で良い子だが勿論ご機嫌斜めな日もある。訳も分からない程ハイで夜通し踊り狂うんじゃないかと父親の僕ですら怖くなる日もある。そんな愛美を宥め、優しく寝かしつけてくれていたのは他の誰でもない佳子だったのだ。そんな佳子の努力にも気付かず僕はこれまで仕事から帰るなり風呂に入り飯を食って西武ライオンズの勝敗に一喜一憂した後何も言わずベッドに潜り込んでいた。
今思えばせめて佳子におやすみのキスでもするべきだった。それを佳子が喜んでくれたかどうかは分からないけど。
そして何より大事なこと。僕は一度だって佳子の身になって考えたことがなかった。
僕はこんなにもわがままでどうしようもない父親であり夫だったのだとこのコロナ禍の日々で気付かされた。
きっと佳子はコロナで不安な日々の中、僕のほんの些細な所を許してくれたり怒っていたりしていたのだろう。一方の僕は佳子のどこかを特別嫌いになることもなければ特別好きになることもなかった。
夫婦という関係性の名前の響きは普遍的でどこか退屈だ。だけど僕は改めて思う。この世界中の中でたった1人。僕らは互いを選びあったのだ。何十年先何百年先にも自分達が愛し合ったという証拠を残しましょうなんて仄めかし笑いあいながら衝動的に満月の夜に繋がる。左手の薬指にはめたプラチナの絆を太陽に透かし相手の顔を思い浮かべた後僕らはまた笑う。
あぁ、どこが退屈だっていうんだよ。どうしてそんなことに気付くのは全てが遅いこんなタイミングなんだよ――――
僕は佳子へのlineを見返す。
未読ばかりが続く。僕からの佳子へのメッセージ。
「なぁ、せめて理由を聞かせてくれよ」「こっちがどれだけ迷惑してるのか分かってるのか?」「母親の自覚あるのかよ? 愛美の事いったいどういうつもりで考えてんだ?」
違うだろ。
僕が送るのは初めからこれでよかったはずだ。
僕はベッドに丸まりながらスマホの画面に指を滑らせる。
「今までごめんよ」
「本当にこれまでありがとう」
そして最後にコロナのニュース記事のリンクを共有し「気を付けてな」とだけ送った。
僕は深いため息を吐きスマホをベッドサイドに置いた後、部屋の電気を消した。
眠りについた僕は気付けなかった。20分後、そのメッセージに既読がついたことを。
次で終わりです。