7/17(金)
「ねぇ! どうしてなの!」
愛美の声がこだまする。目には薄っすら涙が浮かんでいた。
無理もない。その気持ちは痛いほど分かる。
「どうしてころなへらないの!?」
まさか画面の向こう側で三歳児が泣き叫んでいるともつゆ知らずアナウンサーは「本日の東京の陽性数は293人となりました。これは非常事態宣言解除後最大の数となります」と淡々と伝える。数の大小がまだあまり分かっていない愛美でもその『最大』という言葉の響きとおどろおどろしい字幕で表示された『293』の数字で勘付くものがあったようだ。
僕のミスだ。
金曜日の夜、ここ最近で唯一の楽しみになっている晩酌に勤しんだ。
缶ビールに身を任せ何も考えずテレビを点けた。無観客で始まったプロ野球の結果を肴にチマチマやっているといつもは一度寝たら絶対起きない愛美が偶々起きてきた。
「おとーさん、なにやってるの?」と聞いてくる愛美を膝に乗せ一緒にただまんじりとテレビを見る。「おさけくさーい」と身をよじり笑う愛美を僕は手で追い抱きしめ続けた。
それが全ての間違いだった。結果的にスポーツニュースが終わった後再び始まったコロナ関連のニュースが愛美の目に飛び込んでしまった。
「これじゃあおかーさんがかえってこれないよぉ!! まなみ、マスクもまいにちつけてるのに! てあらいもガラガラもきちんとしてるのに!」
愛美はそう言って泣き叫んだ。
「ねぇ、おとーさん! さみしい! わたしおかーさんにあいたい!!」
愛美はポカポカと僕の胸を叩く。
いつの間にこんなに力が強くなっていたのか。
僕は確かな胸の痛みを受け止めるように、もう一度愛美を強く抱きしめた。
ごめん。愛美。ごめん。ごめんよ。あれは全部嘘なんだ。
そう言ってしまえばどんなに楽になるだろう。きっと僕の心は鳥の羽のように軽くなるはずだ。
だけどそれは許されない。全てを話し罪の意識を和らげたところで、愛美はどうなる?
きっと父親を一生軽蔑するだろう。だが母もそして兄弟も居ない愛美は家の中で独りになってしまう。
それだけは絶対に避けたい。
この胸の痛みを受け入れ、嘘を吐き続ける事。それがおとーさんである僕の役目のはずだ。例えそれがどれだけ損な役回りだとしても。
「なぁ、愛美。そんなに泣いてたら、愛美までコロナウイルスに掛かっちゃうぞ?」
僕の言葉に愛美は「え?」と顔を上げる。
「いいか愛美。コロナはな、人が悲しい気持ちになった時に現れるんだ。だから今そうやって泣いてると……ほらっ、すぐそこまでコロナさんが来てるかもしれないぞ?」
僕が声を潜めると愛美は慌てたように両手で自分の口を抑えうんうんと何度も頷いた。
「愛美。おかーさんはコロナが居なくなった日に必ず帰ってくる。だからな、おとーさんがコロナに勝つとっておきの方法を教えてあげよう」
僕の言葉に愛美は目を輝かせた。
――――必ず帰ってくるってまた言っちゃったな。
胸がチクチクと痛む。そんな痛みを跳ねのけるように僕は渾身の笑顔を作った。
「愛美。笑うんだ。愛美、笑ってる人はな強いんだ。どんなウイルスにだって負けない体になるんだよ」
笑うことには少なからず免疫向上の作用があったはずだ。ためしてガッテンで見た。
事実を混ぜたからだろうか胸の痛みがほんの少し和らいだ気がする。それとも自分で無理やりにでも笑った効果が早速出たのか、はたまたこんな情けない父親の言う事を素直に聞いて浮かべてくれた愛美の笑顔の効果だろうか。
あぁ、愛美。
君がこんなにも素直な性格に育ってくれたのは、きっと僕の嘘が下手だからだ。情けないおとーさんを包むように君はただこんなにも素直に育ってくれた。
なぁ、佳子。君もそうは思わないか。