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6月~7月

 それからの日々は嵐のように過ぎて行った。

 愛美がアナウンサーの言葉に一喜一憂してから僕らの朝は始まる。

 飛び起きた僕は子どもの頃いつか見たミスタービーンよろしく着替えながらパンを咥え髪を整える。勿論合間に愛美の事を手伝いながらだ。

 片手でズボンのベルトを締めながら、もう片方の手で愛美の歯磨きを手伝う。

 愛美のトイレを待ちながら、スマホで電車の時刻表を確認する。いつも乗っているやつには間に合いそうにない。僕は頭の中で計算する。愛美を保育園まで送る時何分立ちこぎすればいいだろうか。

 結局毎日、中学生以来の立ちこぎをかましながら息も絶え絶えに愛美をママチャリで保育園まで送る。どこで覚えたのだろうか愛美は後ろで「ん~いい風ね」と髪をなびかせながらすまし顔で呟く。

 汗だくだくの僕に引きつり笑いを浮かべた保育士さんに愛美を預けた後、今度は駅まで全速力で駆け抜ける。

 最初の内こそ駅の駐輪場にいかにもなママチャリを停めることに若干の気恥ずかしさも感じたが今はもう慣れた。というより見渡してみれば意外とそんな男の人も多いことに気付く。そしてそれと同じくらいクロスバイクを颯爽と乗りこなす女の人がいる事にも。

 電車に乗っても一息つけるわけでもない。一本遅れた分車内の乗客は幾分混み合う。まぁ、ただそれに関してはコロナ禍以前に比べれば大分マシで、運が良ければ座れる日もある。咳払い一つでピリつく車内の空気にはもううんざりだけど。

 始業ギリギリに会社に飛び込む。白い目を向けてくる上司に僕は何度も頭を下げる。勿論マスクの下で思い切り舌を出しながら。

 コロナ禍にあり、わずかだがほんの少しずつ仕事が減ってきている。そんな状況に今までの僕は焦りを感じていたが今は違う。定時ちょうどに帰る僕に上司はまた朝と同じような白い目を向けてきた。僕は足早に気まずさを感じているふりをしながら職場を出る間際すかし屁をかましてやった。コロナ流行以降常時稼働するようになった換気扇のおかげで僕のおならはしっかり上司の席まで届くはずだ。まぁその間にいる何の罪もない他の同僚にまで被害は及ぶのだろうけど。

 帰りの電車の車窓から見える飲み屋街は目に見えて寂れた。

 このコロナをきっかけに年齢の事も考え暖簾を下した老舗と只々運が悪かっただけの新規店が軒並み街から消えた。後に残るのは何度か行ったことのある中堅店ばかりだ。どこの誰とも名付けられない白いタオルを頭に巻いたビール腹のオヤジを思い出す。いつかきっと行くからキンキンに冷えたビールとハツを用意して待っていてほしい。愛美用に甘い玉子焼きも用意しておいて欲しいし佳子用に……佳子用にピーチウーロンとチーカマも……いつか、きっと。

 保育園からの帰り道、愛美を自転車に乗せながら僕は必ずその自転車を押して歩いて帰る。

 朝の喧騒を忘れてしまいたいというのもあるし、何より夕暮れ色に染まっていく空の下、愛美と過ごすこの時間を大切にしたいと思っているからだ。

 プリキュアの布マスク越しに愛美はその日あったことを全部教えてくれる。マキちゃんと隠れんぼをして遊んだこと、ヒュウガ君とおもちゃの取り合いでケンカしたこと、アヤ先生が『がらがらどん』の絵本を読んでくれたこと――――

 僕はこの帰り道、いつもとても罰当たりな事を願っている。


 コロナよ。このまま永遠に流行り続けてくれたらいい。


 ゴミみたいな意見だ。分かっている。本当に被害を被っている人もいる中、看過出来ないクソみたいな願いだ。

 それでも僕はいつか来るコロナが終息した日の事を考えると夜も眠れないのだ。

 アナウンサーが感染者0を告げた日、愛美は狂喜乱舞し僕の元に駆け寄ってくるだろう。

「おとーさん! おとーさん!」と笑う愛美が「……おとーさん?」と首を傾げる瞬間、それを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。

 どうかこのまま感染者数は横這いで日々を過ごすことは出来ないだろうか?

 勿論それが何の解決にもなってないことは分かっている。例えば愛美が今付けているお気に入りのそのマスクは佳子の手作りだ。

 コロナと戦うためのマスクを愛美は頑なに佳子の手作りマスクに拘る。毎朝どさくさ紛れに僕がいくら使い捨てマスクをカバンに滑り込ませてもだ。

 コロナに支えられた僕らの不安定な日常の中で気付いたことがある。

 愛美はいつの間にかこんなにも強い子に育っていたのかと実感すると同時に僕はこんなにも弱いのかってことに気付いた。

 嘘に嘘を重ね世界の事を差し置いてわがままを貫く。

 なぁ、佳子。君はひょっとして僕のそんなところが嫌になったのかい?

 僕のどうしようもない様な溜息は季節風に変わり雨雲を運んできたかと思うとそのままどこかに逃げるように消えていった。

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