6/13(土)
翌朝の6時、オンタイマー機能で自動的に点いたテレビから流れるニュースの音で僕は目が覚めた。
『アラートが解除された東京ですが昨日に続き20人以上の陽性者が確認されております。皆様くれぐれも3密の状況は避け感染予防策に努めてください』――――
アナウンサーが苦々し気な顔で伝える。
そんないつもと同じ光景が昨日のことは夢じゃなかったんだという事実として改めて僕の胸にのしかかる。
クソッ、コロナどころじゃねぇんだよ!
理不尽な八つ当たりをアナウンサーにぶつけていた時、すぐ隣にある子供部屋の襖が開いた。
「おはよう……あれ、おとーさん?」
予想より1.5倍派手な寝ぐせを立てたパジャマ姿の愛美がお気に入りのクマのぬいぐるみの手を引きながら現れた。
「おっ、おぉ、愛美おはよう」
「おとーさん、こんなにはやいのめずらしいね! えらいえらい」
愛美は可笑しそうにそう言い、うなだれ気味だった僕の頭を撫でてくれた。昨日からシャワーも浴びていない僕の髪はべたべただったのだろう。愛美は「キャー」と笑いテーブルに手の平を何度も擦りつけた。
「あっ! 愛美、お父さんの事嫌いになってる!」
僕がそう言ってわざと大袈裟に顔を背けると「えへへっ、なってないよー!」と言いながら愛美は僕の胸に飛び込んできた。
「すきすきだから、だいじょーぶだよ?」
愛美が僕の耳元でそう囁く。
そしてそのまま、こうも言い加えた。
「ねぇ、おかーさんは?」
ふと顔を見るとさっきまであんなに笑っていた愛美の顔が今度は心の底から不安そうな顔に変わっていた。
天国から地獄に叩き落されたような気分だった。
まさか、抱きしめた瞬間に伝わってしまったのだろうか、三歳とはここまで繊細な存在なのか。
三年も父親をやっていながら、僕はそのことに今、初めて気付いた。
「ねぇ、おとーさん。おかーさんは? おかーさんはどこ?」
愛美の目が潤む。僕の胸の中で愛美の体が微かに震える。
恐れていたことが起きた。
どうする? どうすればいい?
なぁ、佳子。なぁ、どうして……。
目の前の愛美に重なる佳子の面影をかき消すように、僕は咄嗟に頭の中に浮かんだ言葉を吐き出した。
「愛美、ほらっ、最近コロナウイルスって流行ってるだろ?」
「……ころな?」
愛しい我が娘が不思議に首を傾げているのを見ながら僕は心の中で呟いた。
はぁ? コロナ?
自分でも意味が分からなかった。僕の脳みそが機転を利かせて言ってくれたというよりはたまたま朝のニュースで聞いた言葉がするりと網の目から零れ落ちてしまったような、そんな感じだ。
事実、次に続く言葉が出てこない。僕の脳みそは「えっ? 僕っすか?」というようにアホ面ぶら下げて聞いてくる。
あぁ、そうだ。
僕だよ。僕しか愛美を支えられないんだ……少なくとも今は。
「バイキンマンみたいに悪いウイルスだよ」
「人から人に感染するとっても厄介な奴なんだ。だから少し前、愛美の保育園もお休みだっただろ?」
「おかーさんはね、どうしても大事な理由でお出かけしたんだけど、もしかしたらコロナウイルスさんに出会ってしまったかもしれないし、愛美にうつさないように暫く別の場所で頑張るって言ってたよ」
「家に帰って来れるのは、このコロナウイルスさんが居なくなった日だよ」
「いいかい? お母さんは愛美の事が大切だから今はどうしても帰れないんだよ。そんなに泣いてたらお母さんも悲しむよ?」
「そう。偉い偉い。大丈夫。お母さんはコロナの人が居なくなった日に必ず帰ってくるからね」
吐き出してしまった砂のお城のような嘘。その嘘が崩れ消え去らないように次から次にサラサラのどうしようもないような嘘を重ね続ける。
僕は本当に馬鹿だ。最後に吐いた「必ず帰って来るからね」って嘘に、愛美は自身の涙を染み込ませ二度とだって崩れる事の無いように泥のような希望で固めてしまった。そのことに僕はあの時ちっとも気付けやしなかった。
抱きしめあう僕ら2人を包み込むように、アナウンサーはすっかり飽き飽きしたようにテレビの向こうから呼びかける。
「昨日の感染者数は25人だったと都知事より発表がありました。皆様くれぐれも手洗いうがいなど自衛に努めてください。繰り返します……」――――