勇者と聖女の旅立ち
うちの母さんは貞操観念が低い。そんなことないと母さんは否定するが、そうでなければ俺の常識がおかしいのだろう。
二歳ずつ離れた俺ら兄弟の父親が全員違うといえばわかってもらえるだろうか。子供は三人。兄さんと姉さん。末っ子の俺だ。
兄さんは金髪碧眼。とは言ってもそのもっさりとした伸び切った前髪で目なんてほぼ見えない。伝説の剣士の父親による英才教育で超一流の剣の腕を持っているが、残念なことに流血沙汰を一切受けつけず、一滴でも血を見ると気絶する。父親との特訓に嫌気が差して引きこもりになってしまった。
姉さんは黒髪碧眼。艷やかなストレートヘアが似合う清楚な美少女だ。普通身内は数段低く見えるものだと聞くが、それでも姉さんが町一番の美少女だと俺は即答できる。母さんが聖職者を誑かしてできた子供なのは公然の秘密だ。
貞操観念の低い母の娘、しかも美少女ということで苦労したらしく、姉さんは生粋の男嫌いである。引きこもるのではなく、催涙スプレーやスタンガンで積極的に攻撃する質なのが始末に負えない。
そして、俺。茶色の目と髪の地味な男だ。木こりをしている平凡な父さんの子だけあって俺も凡人だ。ちなみに父さんが母さんの現夫だ。俺が産まれたときは剣士が夫だったはずだが、そんなこと気にしたら負けだ。
俺たちは、木こりの父さんと引きこもりの兄さんと問題児な姉さん、自由な母さんと平凡な俺の五人で平和に暮らしていた。
* * *
長閑な田舎町にある日突然訪れた王城の使い。この地に勇者と聖女が目覚めると宣託があったらしい。
大した話題もない田舎なので、王城の使いが乗った派手な馬車が町に入ってきた話は、あっという間に拡がった……そうだ。と、言うのも俺の家は近所から浮いているので、噂には疎いのだ。
馬車は町祭りをやる町で一番大きな広場に留まると、中から二人の使いが出てきて、家の中に敷くのも勿体ないくらい立派な赤絨毯を広げた。その上にちょび髭の小男がふんぞり返って立ち、こう宣言した。
「勇者と聖女の選定の儀をはじめる」
ここまでは広場で居合わせた幼馴染の男に聞いた情報だ。奴から話を聞いたとたん、嫌な予感がした。そういうのが似合いそうな身内が二人もいるからだ。
広場には町人がどやどやと押しかけてごった返していて、俺には無数の後ろ頭くらいしか見えない。買い物に出てどの店も休みだったから、うっかり様子を見に来たのが失敗だった。さて帰ろうと踵を返したところで使いの言葉が耳に入ってきた。
「十五歳以上、若い方からこの剣と杖を取れ」
タイミング悪い。このまま帰ったら俺が王城の使いの指示を無視したみたいじゃないか。我が家はご近所に睨まれがちなので、一番まっとうな俺と父さんくらいは社会に従順すぎるくらいがちょうどいいのだ。
しかも俺はちょうど十五歳。十六歳からにしてくれれば楽だったのに。めんどくさいけれど、居合わせてしまったのなら仕方がない。余計なことをしてもっとめんどくさくなるのは嫌だ。
俺はさっさと剣を試す列に並んだ。
前の方からは野太い声で重てーとか、こんなの抜けねーよとか言う声が聴こえてくる。使いは次、次と言ってどんどん人をさばいていった。次は俺の番だ。
三人がかりで渡されるのは、派手な鞘に入った巨大な剣。なんとか持つとずしりと重く、こんなの振れるやつはトロールかなんかだろと思う。俺が持てたことで使いがほうと息を吐いた。
「抜いてみろ」
「いや、抜けません」
実際、全力で抜こうとしてみてもうんともすんとも言わない。
俺はあっさり開放されて家に帰った。
家にはいつもの通り人の気配。兄さんと姉さんだ。
姉さんは居間でごろ寝しながら、痴漢撃退用の自作スプレーに毒草のどれを入れるか選んでいる。その調子だと、また男絡みで勤め先の服飾店を早退するはめになったんだろう。ふふっ、ふふっと漏れる笑いが気持ち悪い。
兄さんは相変わらず部屋から出てこないので、なにをしているかわからない。部屋の外に置いておいた飯が見当たらないから食事中かもしれない。ちなみに食事を作るのは毎食俺だ。
俺はいつもの日常にほっとした。安らぎは平凡な生活にこそあるのだ。
父さんが仕事から、母さんが散歩から帰ってきて、家族皆――もちろん兄さんの分は部屋の前に置いてある――で夕飯を食べ始めようとしているときだった。
家の戸がうやうやしくノックされた。開けるとちょび髭の小男がふんぞり返って立ち、後ろに他の使い達が剣を三人がかりで、杖を一人で捧げ持って立っていた。
何でも町の他のみんなは子供も含めて全員試すことになり、二歳のマーサから九十五歳のトムじいまでみんな試してダメだったらしい。ご苦労なこった。
広場で聞いたのと同じ説明を受けると、母さんは私は杖でいいのよね、と確認して杖を持った。杖は初めて見たが、宝石のような飾りのついた立派な杖だ。
「はい。これでいいかしら?」
杖は持てるだけではダメみたいだ。確かに三人がかりで運んでいる剣とは違い、杖は使いも一人で運んでいる。
父さんは、剣が持てずすぐに使いが支えていた。なるほど、力仕事で鍛えた父さんでも持てないとはなかなかだ。
俺はもう試したことを伝えると、ちょび髭が姉さんを見た。姉さんはゴミ虫を見るような目でちょび髭を見た後、片手を出して顎をしゃくった。
そして杖担当が差し出した杖を半目で見やると、ゴミでもつまむみたいに杖をつまんだ。
その時だった。ぱあっと辺りが眩く光り、その光が姉さんに吸い込まれた。
姉さんはそれを見て嫌そうな顔をすると、ぽいっと杖を捨てた。杖担当の使いが慌てて杖を受け止め、ちょび髭がきいきい騒ぐ。姉さんは我関せずだ。
姉さんが聖女か。容姿的には順当だが、人格的には最悪の選択だ。
そうすると兄さんも危なそうだ。ちょび髭が騒ぎ続けているので、おそらくその替わりに剣を持つ使いの一人が他に人はいませんかと聞いてきた。母さんは二階に息子がいるわ、と普通に答え、二階へ上がる階段の方を指差した。
使いが三人がかりで剣を二階に運び、ドアをノックするが兄さんは出てこない。仕方なく母さんも二階に上がり、ドアの外から声をかけた。
「こちらの方もお仕事なんだからそれくらい付き合ってあげなさい。そうしないと明日からごはん置いてあげないからね」
作っているのも置いているのも俺だが、選択権など俺にはない。
兄さんは渋々外に出てきた。兄さんを見るのは一ヶ月ぶりだ。トイレには出てくるからタイミングが合えば姿が見られるのだ。伸び放題の前髪が清潔感なく汚らしい。ヒゲがあまり生えない質なのだけが美点だ。
三人がかりで運ぶ剣を兄さんは軽々と振り、鞘から抜いてみせた。やっぱり兄さんが勇者か。
こうして我が家から、勇者と聖女が旅立つことになった。二人とも性格やその他諸々に色々問題を抱えているけれど、きっとうまくやってくれるだろう。
伝説の剣と杖に選ばれたんだ。それくらいの補正はあって良いと思う。
兄さん、姉さんお元気で。父さんと母さんのことは俺に任せてくれ。
料理も洗濯もしっかりやって、木こりの仕事もきちんと継ぐよ。そして、毎日朝晩兄さんと姉さんの無事を祈るよ。
選定から数日後、家族皆で夕飯を食べたあと、俺は兄さんと姉さんの旅立ちのための服やら物品やら食料やらを準備していた。姉さんは居間の片隅で『王都甘味百選』の雑誌を読んでいる。兄さんがちょうどトイレに出てきたので、俺は二人に気をつけて行くように伝えた。
それに姉さんはきょとんと首を傾げ、兄さんは俺の腕を指先で引っ張った。
「何言ってるのよ? そしたら私の食事はどうするのよ」
「……外は怖い……」
いで、痛いから! 兄さんの仕草はちょっとかわいいけど、腕力トロールだし。姉さんは言っていることが鬼畜のそれだ。
はっ? そんなこと赦されるわけないだろう。そう思って母さんを見ると、母さんはにっこり笑った。
「まあ! それはいいわね。私も二人のことは心配だったし、お父さんと新婚気分も悪くないわ」
母さん、俺のことは心配じゃないのか? 新婚気分って父さんが間男スタートだったから堪能できなかっただけだろう。しかし我が家では母さんがルールブックだ。父さんも兄さんも、姉さんでさえも母さんには逆らえない。もちろん俺もだ。
こうして、俺の意志などは関係なく、俺は旅立つことになった。勇者と聖女と一般人の旅がこれから始まる。