望まれぬ来訪者
どうしてこうなってしまったのだろう。我が終の棲家と定めたあばら家の戸に立つ人物を見て、途方に暮れる自分とそれを憐みの目で見る自分がおりました。
「昔、グウェン国の王城に勤めていたと村で聞いたが、お前のことか。」
燃えるような赤毛の若い男は、私よりやや背が高いぐらいでしたが、それ以上の威圧感をもって私を見下ろしました。
「はい、左様でございます。ほんの下働きではありましたが・・・。」
肩の勲章、胸飾り・・・いや、そんなものが無くとも分かります。
60年前、キルリア国を従えグウェン国に侵攻した大国シズマは、自国の第二王子にグウェン国の統治を任じました。第二王子は娘の婿にグウェンの隣国、アウラ国の王子を迎え、アウラ国の実質的な支配権も得ました。そうして成立した王家、シラギ家の第三王子が、今、私の目の前にいる御方・・・ガレン王子です。
「単刀直入に言う。グウェン国の王城・・・今は廃城となっているが、一つ、イバラに覆われた塔があるな?あれを調べる。案内をしろ。」
「・・・謹んで、お受けいたします。」
意思に反して、喰いしばった歯の隙間から声が漏れ出ました。
――こんな男を。
ガレン王子は、軍事において非常に優秀である一方、強引で身勝手な一面があるとの専らの噂でした。姿を見てすぐその人と分かったのも、市井の人ごみを蹴散らすようにして馬を駆る、その姿に見覚えがあったからです。今も、急に思い立ったのか供回りは少なく、離れた所から視線を感じるだけでした。
「では、来い。」
さっと踵を返すガレン王子の後を、取るものもとりあえず追いかけると、堂々たる白馬に足をかけている所でした。ガレン王子は振り返って一目こちらを見ると、私のことなどお構いなしに馬を走らせました。
イバラの塔は目と鼻の先―そう、私は、私が死を迎えるその時まで、姫様をお守りしようと思っていたのです。だというのに、このような男の侵入を手助けせねばならないとは。己のふがいなさに歯噛みしながらも、ガレン王子の横暴を思い出すと、老いた身はきしみをあげながらも必死に足を繰り出すのでした。
姫様の眠る塔は、いまだにイバラに覆われており、美しい花を咲かせています。ですが、建物の老朽化が始まっており、崩れ目から入ろうと思えば入れなくもない―そう、何度も探索しました。もしかすると、それが噂になってガレン王子の耳に入ったのでしょうか。なぜこんなことに、そう思っていましたが、身から出た錆ということでしょうか。
歩みを緩めた白馬にようやく追いつきました。王子は馬を下りるとぐるりと顔を巡らせました。塔は、近づくと大樹の根のごとくイバラが根を張り。その上にコケがむし、ツタが絡み付いています、見上げればちらほらとバラの花が咲いているのですが、真下までは日の光が届かないのか鬱蒼としています。騎馬のまま入れるようなものではありません。王子は馬を手近な根に結びつけると、黙ってこちらを見ました。案内しろ、と言っていましたので、そういうことでしょう。痛む肺をなだめ、以前来た時に入れそうだ、と思った窓へとのろのろ向かいました。そこはイバラの締め付けで窓枠が歪んでおり、案の定少し力を込めて揺さぶっただけで簡単に外れてしまいました。
ガレン王子はさっさと黙ってその窓をくぐって中に入ってしまい、私も後に続きました。塔の中は地中のように薄暗く、ひんやりとしていましたが、どこか懐かしくもありました。イバラの蔓は、ところどころ窓を突き破ってはいましたが塔の中まで侵入するものはなく、我々を遮ることもありません。ずんずんと突き進んでいたガレン王子が急に立ち止り、イバラに触れました。
「・・・妙だな。」
「何が、でしょう?」
「実は、ここに来るのは初めてではない。いや、中に入るのはこれが初めてだが・・・以前来た時は、近づくだけで精一杯だったのだ。このイバラが、鬱蒼と茂っていてな。私が迂回しようとしても、先回りするかのように猶茂る。なかなか気味が悪かったぞ。それが、今日はどうだ。やすやすと我々を受け入れ、道を開けるではないか。」
「左様でございますか・・・」
相槌を打ちながらも内心、私は首を傾げておりました。私が幾度か塔を見に来た時には、イバラがそのような動きを見せたことはありませんでした。今のように、ただの植物らしく塔を覆い、風に揺れていただけです。イバラが意思を持つかのように動いて見えたのは、大地が揺れ、塔がイバラに覆われた、ただあの日亜義理。
「・・・花が増えてきたな。」
ガレン王子の言葉に塔の外を覗いてみると、いつのまにか塔の上部まで登ってきており、絡み付くイバラも生気を増して色艶やかな花を咲かせていました。
「この部屋か。」
塔の最上部、年老いた私はもちろん、ガレン王子も少し息が上がっています。返事もままならずただ頷くと、ガレン王子はきしむ扉を押し開けました。
予想に反し、その部屋は陽のにおいがしました。室内は、私の記憶の奥底に埋もれたそれと変わらず―姫様の眠る寝台も―そこにありました。そう、そこに、姫様が・・・
私が呆けている間に、ガレン王子はずかずかと室内に踏み入り。真っ直ぐに寝台へと向かいました。はっと気付いた時にはもう、帳を上げ…波打つ金の髪が見えました。
「これは・・・驚いたな。何と美しい・・・。」
姫様がお眠りになってから60年。姫様は、60年前の私の記憶と寸分違わぬ美しいお姿のまま、身を横たえていらっしゃいました。
ガレン王子も私も、しばらくその神秘的な美しさに見とれておりましたが、気が付くとガレン王子が、ご自分の顔を姫様の寝顔に近づけるような動きをしております。
―そんなこと、させてなるものか。
激しい怒りが湧き上がるものの、我が老体は恐怖にくじけ、震えるばかり。
―動け。でないと、姫様が。私の、大切な姫様が・・・
すくむ足をなだめつつガレン王子の背後に立ち、震える手で近くにあった椅子を握りしめました。ガレン王子は身を屈め、無防備にその背中をさらしだしています。後は、この椅子を、振り上げ、振り下ろすだけ・・・それだけなのに。動け。頼むから、動いてくれ。でないと、私は、何の為に。
ガレン王子の手が、姫様の、白く、瑞々しい頬に触れ、私は思わず目を閉じました。