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仕事について

その頃私は、十二歳かそこらの少年でした。城下町に生まれ育った私は兄弟の中でも、同世代の子ども達と比べても体が大きい反面、無口で大人しかった為、専ら力仕事に従事しておりました。父は大工、母は王城の小間働きでして、その母の伝手で、私は王城に奉公することとなったのです。王城には実に多くの仕事があり、多くの人が働いています。

私は最初、掃除や荷運びなどその日その日によって違う仕事を任されておりましたが、やがて腕力と寡黙さを買われて王宮図書館の下働きとなりました。ここでの私の仕事は、本を借りに来た大臣や官僚の為に、書庫から本を運び出す仕事です。

図書館の受付で借りたい本を司書に伝えると、司書はその本に割り与えられた番号を私に伝えます。そして私は、広い書庫を欠け、求められた本を探し出し、時には何冊もの重たい本を抱えて速やかに受付まで運ぶのです。この仕事に、何故腕力だけでなく寡黙さが求められるのかと言いますと、それは、誰が何の本を借りたのか、秘密を保持する為です。どこそこの大臣が、どういう本を借りた。そういった情報が漏れると、政治上厄介なことに繋がり兼ねないのだとか。

実際、私の元に「内大臣が先日、図書館へ向かったが、どういった本を持ち出した」などと聞きにくる物が時折おりました。けれども私はきまって、「字が読めませんので分かりかねます。」と答えます。実際、その頃の輪足は簡単な字と数字ぐらいしか読めませんでしたので、嘘ではありません。そういえば、司書の元にはそういった者は現れなかったのでしょうか。今の司書はリグ様と仰る方で、八年程前からこの王宮の司書を務めてらっしゃるそうです。あの方はあの方で、恐ろしい所もある人でしたが・・・さておき。

先述の通り、私は字が読めませんでしただ、それは私に限った話ではなく、国民のほとんどは字が読めず、本というものは上流階級、知識人のステータスでもありました。ですから、王宮での仕事は辛いこともありましたが、私は誇らしく思っておりました。

司書から数字の書かれた紙切れを受け取ると、私は書庫へ向かう扉へと小走りに向かいます。扉を開くと、一瞬だけ扉の向こうから風が吹き寄せ、すぐにこちらの背から吹く風に押し流されていきます。書庫の中はひんやりと薄暗く、私の足音がかんかんと響き、足元からぐるりと壁を伝って屋根に上がり、また私の耳にまで降ってくるかのように聞こえます。規則正しく並ぶ本棚はどこまで伸びているのか分からないぐらいで、点々と置かれている見取り図が無ければ迷宮も同然。一〇〇六九番の本を探していた筈が、三〇〇〇〇番台の本棚に迷い込んでいた、ということもままあります。

書庫の中には、万一でも火事が起きてはならない、という理由から、手燭を持ち込むことができません。本が傷む、という理由で明かり取りの窓もあまり設けられておりませんので、真昼以外は薄暗がりに呑まれてしまいます。ですので、日が暮れてから書庫へ入る際は、特別な灯り―花灯をお借りしていきます。それは瓶に干からびた花弁が入っているだけのものですが、王城に勤めていらっしゃる魔法使いの方が何事かを唱えて水を注ぐとしばらくの間、ぽうっと翠色に光るのです。しかしこれは貴重なものですので、使う時には速やかに本を探しだし、魔法使いの方にお返しせねばなりません。また、よっぽどの急用か王命でもない限り、暗い中本を探しに来られる方はいらっしゃいません。

しかしその日は、昼過ぎから俄に雲行きが怪しくなり、夕刻には暗雲垂れ込め夕日の代わりに雷光が闇を照らすほどとなりました。城内の人々も恐れおののく、とまではならないものの自然と縮こまるように静かになり、図書館でも通常でしたら花灯の必要のない時間から、書庫の中は真っ暗闇となりました。

リグ様が退屈紛れに背を伸ばそうとしていた所、荒々しく扉を開け放ち、ずかずかと歩み寄ってきた者がありました。その男は武官らしく恵まれた体格をしており、太い眉をつり上げて何かの資料をリグ様に求めました。リグ様が正確を期すため問い直すと、

「いいから言われたものを早く持ってこい!」

と机を叩きました。司書の目配せを受けて私は部屋を飛び出し、図書室からほど近い所にある魔法使いの部屋の戸を叩きました。しかし顔を出したのはその魔法使いの弟子で、

「俺も一応出来るけど、そんなに保たないんだよなぁ。」

などと呟きながら瓶に水を注ぎ、気持ち弱々しく光る花灯を渡してきました。

私が戻ると武官はまだ何か怒鳴り散らしており、司書は私の姿を認めると走り書きを私の手に握らせて書庫に押し込みました。武官の怒声を背に聞きながら走り書きに花灯を近づけ、大体の場所を把握すると、かすかな光で足元を照らしながら走りました。

図書館には、急かしてくる方はいらっしゃっても、あそこまで怒りっぽい方はそうそう来られません。些か不愉快な気持ちを抑えながら、一冊目を手に取りました。残りは一つ下の階のようです。ここは地下に増築された書庫で、一層暗く寒々としております。降りる階段の両脇にも所狭しと本が並べられ、何かの弾みに倒れようものなら、本の下敷きともなりかねません。

灯りが一段と弱くなった気がして、瓶を振ってみましたが何も変わりません。急ぎながらも慎重に進み、何度かうねうねと角を曲がると残りの五冊はまとまって同じ書棚にありました。あの武官に怒られてはかないませんので、番号に間違いがないかしっかり確認すると、私は暗闇の中で出せる全速力で駆け戻りました。戻る道は行く道よりも簡単です。それでも本棚というのは変わり映えの無いようで、見る角度によって印象が変わるので油断がなりません。もう少しで階段、という所で、

「あ。」

と誰かが息を呑む音を聞いた気がしました。思わず足を止めましたが、書庫の中には今、私以外の誰もいるはずがありません。盗人か、あるいは物の怪の類いか・・・私は震える足をなだめつつ、思案しました。

―気のせいだ。そう思うことにしてすぐにでも戻るべきか。それとも・・・

 恐怖に打ち勝ったのは、若さ故の無謀でもあり、幼さ故の好奇心でもあったのでしょう。声の聞こえた方に花灯を向け、そっと近づくと、どうも人影らしきものがありました。そしてその人影も私の方に、恐る恐る、といった様子で近づいてきます。

「―どなた?」

 先に口を開いたのは、私ではありませんでした。

「・・・ライと申します。この図書館に勤めさせて頂いております、王の下僕の端くれです。」

思いがけず若い女性の声でしたが、その気品と威厳は間違いなく高位の貴婦人のそれでした。それにしても、どなたでしょうか。どうしてこのような所にいらっしゃるのでしょうか。私が考え込む暇も無く、瓶の灯りがいよいよ弱まってきました。

「とにかく、ここを出ましょう。どうぞ、こちらへ。」

私が歩き始めると、その方も大人しくついて来られました。階段では流石に手を貸すべきか、とも思いましたが、私も片手に本、もう片方の手に花灯を提げており、そうもいきません。諦めて階段を上りきって振り返ると、特に苦労する様子も無くついてきており、それどころか躊躇いなく私に近づいてきたので思わず顔を逸らしました。

「兵法の書と、後は全部地理書ね。西方・・・ラムス、ヘグナ・・・キルリア国との国境付近・・・軍事会議でもなさるのかしら。ひょっとして、キルリア国に何か動きが・・・?」

私の気配りなど知らぬ顔で、その方は何やらぶつぶつ呟き始めました。先程かれ、私のような下層の男に平然と近づいたり、政治や軍の事に詳しかったりと、並みの貴婦人とは思えません。一体どなたかと、私はそっと向き直り、光をその方のお顔に近づけました。薄緑の光に照らされて輝く髪、つやつやと陶器のように白い肌、湖の面のように涼やかな瞳・・・遠目にしか見たことはありませんが、間違いありません、この国の姫殿下、イシュリア姫様です。

「な・・・どうして、あなたのような方が、こんな所に・・・」

姫様は私の問いを無視して花灯に目をやると、

「急ぎましょうか。また暗闇に取り残されたくはありませんし。」

と言って私の手から花灯を取り上げました。その瞬間、翠色の光が少しだけ輝きを増したように見えました。が、姫様が魚のようにすいすいと迷うことなく、本棚と本棚の間をすり抜けて歩き始めましたので、私も慌ててついて行くしかありませんでした。今まで何度もこの書庫に潜り込んでいたのでしょうか。姫様は私すら知らなかったような道筋・・・おそらくは最短経路で書庫の出入り口まで進み、そこで私に花灯を返しました。

「先に出て下さる?」

「は、はい、しかし・・・」

姫様はこれからどうなさるおつもりなのか。私はどうすれば良いのか。すぐにでもリグ様に報告すべきか・・・いや、今はあの乱暴な武官がいる、きっと面倒なことになる・・・

「ほら、早く。私のことならお構いなく・・・でも、できればご内密に。」

暗がりの中、姫様がちらりと笑った気がしました。しかしそれに見とれる間もなく背を押され、私はその勢いのまま書庫の出入り口の扉を押し開きました。

「遅い!いつまでちんたらしとるのだ!全く、仕えない連中ばっかり・・・」

転がり出るなりいきなり頭を殴られ、私は危うく本と花灯を取り落とす所でした。どちらも貴重品だというのに、何と粗暴な。私は心の内の抗議が顔に出ないよう抑えながら本を差し出しました。武官はろくに確かめようともせず大きな手で本をわしづかみにし、もはや聞き取ることすら難しい程声を荒げて何かを怒鳴りましたが、思ったよりもあっさりと背を向け、早足で図書館から出て行かれました。

 ふーっと、長い溜息をついたのは、私ではなくリグ様です。

「どうしたのです、随分時間がかかったようですが。おかげでずっと怒鳴られましたよ。」

「・・・申し訳ありません、その、光が弱く、探しづらくて・・・」

リグ様は椅子の背にもたれかかると天井を仰ぎ見るようにし、目を閉じました。

「まぁ、いいでしょう。さっき殴られてましたし、あれでもう、お咎め無しという事にしておきましょう。それに・・・」

リグ様が唇の端に、ちらと笑みを浮かべました。

「待たせておいたらいいんです、あんな人。あの人も大方、恐ろしい上官様の命でお遣いに来たのでしょう。今頃、私達以上にきついお叱りを受けていることでしょう。」

その時、背後の扉の方から微かに人が動く気配を感じました。思わず振り返りそうになりましたが、ぐっと堪えます。

「あぁ、もうその花灯、返してらっしゃい。何だかもう、疲れました・・・」

ふっとリグ様が目を開き、光らなくなった花灯を指差した時にはもう、人の気配はありませんでした。私は花灯を返しに図書館を出て、左右の回廊を見渡しましたが、姫様のお姿はどこにもありませんでした。


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