9・とつぜんのわかれ
壮絶な野望を抱いてから数日が経過した。
ベロの気配に常時警戒心バリバリだった母さんも落ち着いてきて、今では俺がベロにベロベロされている傍らで赤ん坊が腹を蹴ったと同じくご懐妊中なナジェさんとはしゃぐ余裕が出来たくらいだ。どうでも良いが日を追うごとに俺をベロベロする頻度が高くなってきてる気がするんだが、どうしてくれようこの爬虫類。
「グレイキン、来なさい」
おっと、母さんがお呼びだ。
右手に雷をチラつかせてベロのベロベロ攻撃から逃れ、母さんの傍に行く。
「はい、お母さん」
「触っても……いえ、触りなさい」
「分かりましたよ、お母さん」
言われるがまま、母さんのポッコリお腹に触れる。比べるのもおこがましいが、親父のオーバーな腹とは段違いのハリと重圧感が伝わってくる。うん、でも慣れてる。前世含めて19年の人生で何回この手の体験をしたか。妹、弟、クエレブレ君、そして今回の弟か妹とナジェさんの子。正直通算一年分は触った気がする。
しかし、子爵家長女グレイキン・ヴァルゲンはまだまだ通算三ヶ月分程度だ。そんな冷めた態度を取れる訳が無い。
「うわぁ~! われのきょうだい!」
「そうよ。次はナジェの番」
「はい、奥様。さ、グレイキン様」
「うん! わぁ、ナジェさんのお腹にも赤ちゃんいっ、蹴った!」
タイミングどんぴしゃでナジェさんのお腹から重いような優しいような衝撃が届いた。何回も経験しているから分かる。これは赤ちゃんがお母さんのお腹を蹴ったヤツだ。
「グレイキン様と会えて嬉しい、と言っているんですよ」
「私もそう思うわ」
「われも嬉しいよ!」
名前の決まっていないお腹の子に感謝の意を示すと、偶然なのか必然なのか、今度は先ほどの衝撃が二回。嬉しいじゃないの。
「また蹴った! 蹴った!」
「むぅ……この子は元気が無い」
母さん、そこで拗ねるのは無しだよ。赤ちゃんがお腹蹴るのって誰かがどうにかしてどうにかなるものじゃないし。ナジェさんも苦笑しているじゃないか。
……っと。
「ベロ! 噛んじゃダメだよ!」
「ガァ、ァァァ……」
赤ちゃんに元気が無いと呟いた母さんに反応してベロが母さんに噛み付こうとしたので、俺は強い口調で叱り付けた。一瞬不満げに鼻を鳴らしたベロだが、すぐに以前叱られた時を思い出したのか分かりやす過ぎる程にシュンとしおれる。
これは別にカニバリズムの類ではない。
ベロは前にも母さんの似たような呟きに反応して同じ行動を取って、俺に撃退されている。正確には、俺が撃退に見せかけて殺気満々の母さんからベロを遠ざけた。周囲の空気が二℃は確実に下がってた。本当に恐ろしかった。
気を取り直し、クーメス経由でベロを三時間ほど尋問した結果、どうもカルダニアルスは妊娠中の個体に噛み付いて激励するような習性があるらしく、友人である俺の母親が不安を感じていると直感的に気づき、励ます為に噛み付こうとしたそうだ。まったく、肝に悪い習性があったものだ。
「ありがとう、グレイキン。ベロ、励ましありがとう。でも噛み付くな」
母さんの素っ気無い言葉にとりあえず元気は取り戻したと判断したのか、今度は牙ではなく舌を向けて母さんの腹をぺろぺろ舐める。俺に対する遠慮ないベロベロではなく、あくまで撫でるように優しくだ。その優しさを俺にも分けて欲しい。
「あ、蹴った」
何、俺ではなくベロに反応したのかきょうだいよ。それはちと薄情じゃないかね? お兄さん、泣いちゃうよ?
なんて、馬鹿な事を考えるお転婆お嬢様グレイキン・ヴァルゲンではない!
「きょうだい、ベロが好きなんだね! 仲良くしてくれるかなぁ?」
「きっと仲良くするわ。いえ、させるわ」
その断言は少し怖いです。
それから少しして俺は父さんの実験室へ足を向けた。
実験室というか、実験棟というか、実験小屋というか。
とにかく、今の俺が持てる全ての力を注いでつい昨日建造した建物の中に入る。こういう時は扉を開けた途端トンデモ発明で誰かが吹っ飛ぶのがデフォだが、残念ながら父さんはそこまで危険な魔法術を持っていない。召喚獣もどちらかと言えば回復系や補助系に偏っていると言うし、少なくともあと五年はその類の実験が行われる事は無いだろう。俺が暴走しないかぎり。
最近教えてもらい始めた魔法術具の道具がとりとめもなく散乱する一室を抜けると、父さんがどこかマッドな表情で怪しげな薬を調合していた。
「来ましたか」
「もう完全に俺をクエレブレとしか見てねぇな。それはそれで親としてどうよ?」
「家にいる時はグレイキンに優しくしていますし、きちんと愛情を見せています。ですがこれだけはやめられないのです」
開き直ったダメ親の発言がこれである。
確かにその方が俺も楽だし、この建物にいる間だけ自由に表に出ても許されているが、むむむ……
まあ、文字通り俺の子じゃないしいいか。
「そんな事より、早速実験に入りますよ。今日はトラグル草と多角蛇の肝臓を用意しました。トラグル草は魔力の定着力を強化する成分を持ち、多角蛇の肝臓はそれを更に強化します」
「なるほど。今日のテーマは魔法術の緻密さ……いや、この場合輪郭か。輪郭の精密さによって付与される属性力に違いが出るかどうか、だな?」
「ご明察です。それではさっそく実験を開始しましょう」
ま、俺としても未来の為にやっておきたい事だ。ここは父さんが魔法術研究バカでよかったと思うしかない。
そもそも、実質的に問題は無い。
俺がグレイキンだ。
「とりあえず、昨日の実験の後に生成した黒色魔結晶を使ったブレスレットが三つある。一昨日の実験の時より純度が高くて細工も精密だから、ぶっ壊れる事は無いだろ」
いや、ホント。一昨日は大変だった。
初日に作った父さんのペンダントと同じ程度の出来のネックレスに闇の魔法術を付与しようとしたらいきなりネックレスが砕け散って、危うく隻眼になるところだった。せっかくオッドアイなのに片方潰れたら魅力が半減してしまう。本当に危うかった。
あれは父さん曰く、黒色魔結晶自体に宿る魔力と補助装飾の強度が足りなかった為に起こった属性の暴走なんだとか。あれだな、瞬間的な根腐れが派手になった感じが一番簡単な例えだろう。
「なるべく実験項目に変化を加えたくは無いんですけどね」
「器が大きいか大きくないかだけだろ。それに、同じものが二つ以上あるんだから宿る属性の強さで違いが推し量れるだろ?」
「……そうですね」
ええい、この研究馬鹿め。もっと物事を柔軟に考えたまえよ。
そもそも、この実験小屋は俺が強くなる研究をする為の施設だ。確かに、細かい実験をしなければ詳しいことは分からないだろう。だが、わざわざ弱くなると分かっている実験に何故労力を払わなければならない? それこそ無駄の極みというものよ。べ、別に実験失敗で失明するのが怖いとか思ってないんだからね!? こ、今回はブレスレットだから大丈……やっべリスカの危険!?
ていうか、いくら無限に生み出せるとはいえ、無駄に壊れるかもしれない物なんて造りたくない。一応アレも俺の魔力から生まれたような物だからな。それなり以上には愛着がある訳よ。
「では、今回は前回と同様。レベル9でお願いします」
「了解」
闇の魔法術を展開する。
ちなみに、レベルとは俺と父さんの間で儲けられた魔法術ランクの事だ。付与の魔法術は理論上時間さえかければどんな規模の魔法術にも干渉する事が出来るが、実験の為に一々そんな時間はかけていられないため、父さんと俺で一番相性が良い魔法術の規模をレベルという形で表したのだ。魔力比率は父さん1:俺3って感じだな。燃費がよろしい。
俺が生み出したのは闇のエンブレム。どちらかと言えばツチノコに似たトカゲの形で、性質としてはクーメスがよく使う炎の犬が一番近い。魔法術としての質と属性力が強いだけで攻撃力は皆無だが。
「神秘の御業を秘められたる物へ闇の力を貼り付けよ」
父さんが付与魔法術唯一にして全ての詠唱を行う。
同時に俺の闇の魔法術がまるで圧縮されるかのように縮小していき、右腕に装着した黒色魔結晶へ注ぎ込まれる。
破損……しなかった。
「ふぅ……成功です」
「なるほど、レベル9の魔力ならこのレベルの装飾品でも耐えられるのか。頑張ればレベル10に耐えられる程度の装飾品を量産するか」
「……レベル10は宮廷魔法術師直属部隊の平均魔力とほぼ同じなんですが」
「さて、召喚するか」
父さんのツッコミを軽くスルーして召喚の魔法術を形作る。
実は召喚の魔法術も付与の魔法術と同じで、魔力の扱いに習熟さえしていれば誰かに習うまでも無く使える。ようは、触媒に宿る属性&魔力という呼び水を増幅&拡散して召喚獣からこっちに来るよう仕向ける。それだけらしい。契約に成功した召喚獣を呼び出すときは触媒に魔力を被い被せればいい。
もっとも、その増幅&拡散のさせ方がシビアで、どっちかが多すぎたり少なすぎたりどっちも少なかったりするとまず来てくれない。しかも同じ触媒で乱発すると触媒に宿る魔力と使用者の魔力が何かおかしな反応をして触媒がぶっ壊れてしまうらしい。そこら辺が誰にでも使える訳では無い、という理由だ。
まあ、俺は有り余る魔力で増幅も拡散も余計なほど大きくするからあんま関係無いんだけどな。
なお、余談ながら魔法術を行使する魔力の動かし方は、生まれつき備わっている知識だ。それが自覚出来るか出来ないかで魔法術士の質は大きく変わる(と、父さんが言っていた)のだが、そこを自覚出来ない奴が多いから一般的とは言い難い説なのだとか。そんな状態でも後付の詠唱で何故魔力が動くのかと言えば、無意識に眠っている魔力の動かし方が詠唱によるイメージで呼び起こされるからだそうだ。
「何が来るかな……」
その呟きとほぼ同時刻。
目の前の空間が黒い稲妻と共に光り……いや、闇を放ちつつ、存在感を放出した。
やった。成功だ。
俺の初召喚獣!
「……」
そこにいたのは影だ。
もう一度言う、影だ。
シャドーだ。ゴーストだ。ユーレイだ。
そんな感じの表現がしっくり来る。なんか弱そうだな。
「ゴースト系の魔獣とそっくりですね。しかし、それにしてはあまり存在感が薄いようですけど……」
「……」
「無形の者、か」
「……あの?」
「…………」
「なるほど、それは難儀だったな。安心しろ、俺はこの触媒に付いている魔結晶を量産する事が出来る」
「意思疎通が出来るんですか!?」
「……」
「よし、では契約成立だ。今日からお前の名はラトラルだ。よろしくな」
「……」
生まれつき他の同族と違って召喚に使われる触媒を恒常的に摂取しなければ人間の世界に顕現出来ないらしい、曰く無形の者に名前を付けると、そいつ……ラトラルは右腕のブレスレットへ問題なく入り込み、そのまま居ついた。
よっし! これで俺もこの国……召喚大国ヅィアメイディアの一員だぜ!
「話を聞いてください!」
「ああもう、うるさいやつだ。グレイキンが初召喚に大興奮だったから抑えるのに苦労してたんだよ」
「なら問題ありません」
うるせぇ、この親馬鹿。
「とにかく、レベル9の魔力程度ならこのブレスレットは破損しない。なら次だ。さっさと薬渡せ」
「これです。非常に苦く不味いので……なんでもありません」
「気にするなって」
味覚障害者の俺に苦くて不味いなんて、大した障害ではない。
父さんから見るも毒々しい薬を受け取り、躊躇無く蓋を開けて飲み干す。ふむ、喉越しコッテリだが、風味は中々……トラグル草の自家栽培と多角蛇の家畜化を検討しなければ。
「美味い。風味が」
「……マルティクト薬を美味い、ですか。いえ、分かっている事ですが、しかし……」
過去に飲んだことでもあるのか、父さんは顔を顰めながらブツブツと言い訳を重ねた。そうか、これはマルティクト薬と言うんだな。うん、覚えた。
そしてある意味劇薬という事も。
「……おい、なんか味覚を除いた全感覚がアホ程敏感になってるんだが?」
「マルティクト薬の副作用です」
そこはアッサリと言い放ってはいけません。説教です。
「そういうのを平然と自分の娘に……待て」
この足音……クーメスか? クーメスがこっちに向かっている。それもかなり速い。何か緊急事態が起きたのか? クソッ! 敏感すぎて頭が痛くなってくる!
「……どうやら実験はここまでにしておいたほうが良さそうだ。クーメスが凄い速さでこっちに来てる」
「……分かりました」
そこ! 残念そうにしない!
ツッコもうとしたところで、バンッ! と扉が開いた。
クーメスだ。
「大変でございますベルネルト様! グレイキン様!」
「今はクエレブレ殿です。何があったんですか、クーメス?」
「フリスチーナ様がお倒れに!」
「なんだって!? どこですか!?」
「お庭のすぐ近……」
「『闇包め橙!!』」
ダッシュ。
略式魔法術使用。闇で父さんの全身を包み、衝撃が中に届かないようにして闘法術を使う。身体能力と脚力を分けて強化し、実験小屋を飛び出る。
見つけた!
「お母さん! ナジェさんも!」
グレイキンを表層意識に移した俺は、そこで急ブレーキをかける。と同時に闇の魔法術と闘法術を解除し、父さんを解放。慣性の被害を最小限に留めるよう風の魔法術を使った。母さんは横に倒れている。ベロが心配そうにペロペロ。
うわぁ! 母さん、もしかして意識無い!?
「イタタ……フリス!」
「……ベル、ト」
「お母さん! 大丈夫!?」
減衰したとはいえ、流石に尻餅をついていた父さんが慌てて母さんに駆け寄る。それでも荒事に近しい公務員が研修で習う物とよく似た応急診断を行うあたり、流石は回復の魔法術の救国者か。
幸い、母さんは最初の呼びかけに弱弱しくも応えてくれた。最悪の場合は心臓マッサージだからな。妊婦の母さんにさせる訳にはいかない。
母さんの無事を確認した父さんは、すぐさまナジェさんに取り掛かる。意識を保っているということは、それだけ死と遠ざかっているという事。もし比較的軽症だった母さんを優先し、実はすぐにも死にそうだったナジェさんを放り出してナジェさんが死んだら……この先は俺の考える事じゃない。
「だん……、ま…………」
本当に幸いな事に、ナジェさんも意識はあった。
しかし、朦朧としている。明らかに母さんより重い。
父さんが叫ぶ。
「クエレブレ殿! フリスに問診をお願いします!」
「ふぁ、ふ……任せろ! すまんが体借りるぞ、グレイキン!」
わざわざ言わなくても良いが、言うだけならタダだ。
「母さん! どこか体に異常は!? 頭痛いとか、胸が不自然にドキドキするとか!」
「……クエ、レブレ…………」
咄嗟に言ってしまった『母さん』に反応して鋭い視線を俺に向ける母さんだが、優先順位を自覚しているからか、すぐに外れた。
「呪い……足と、腰」
「……それは、足と腰に呪いがかけられた、ということ?」
「……そう。痛み、ナジェ、だめ」
「ナジェさんには耐えられない痛み!?」
母さんは辛そうに首を縦に動かした。
母さんとナジェさんの辺りを炎と風の魔法術で暖め、水の魔法術で霧を生み出し水分濃度を濃くする。病気の時、一番辛いのは熱と乾きだ。疾病の原因だからな!
「父さん! 母さん曰く原因は呪いだ! 足と腰にかけられているらしいが、どうもそれだけじゃなさそうだ!」
「呪いですって!? ……いや、待て、そうか。違う、それは呪いに良く似た症状という意味で、ここら辺にそういった魔法術を使って獲物を獲る魔獣が……」
「ガァァァァァ!!」
「ベロ!? ちょ、ま、うわぁぁぁぁぁ!?」
と、ナジェさんに回復魔法をかけながら父さんが叫ぶ。すると、今まで心配そうに母さんを舐めていたベロが急に怒り狂った咆哮を上げ、顎を器用に使って俺を引っ掴み、空へと投げた。これは……乗れ、か!
ベロの意図を察し、風の魔法術で落下位置を調整する。ベロの頭に乗ると同時に胸ポケットからドングリモドキを取り出し、木の魔法術を使ってベロと俺を固定。闇の魔法術も追加だ。
「ガァ!!」
怒りの咆哮が盛大に木霊する。あの、近くに病人がいるのでやめてもらえま……
駆け出した。
外でも内でも悪態なんて吐く余裕はなく、闘法術で必死に身体強化。ちょ、時速何キロ出てんだよ!?
「べ、ぐべ、あばばばばばばばば!!」
やべ! 下手に口開いたせいで風圧が口に!? イヤァァァ! 口の中ぼそぼそするー!? 水水水! の前に風!
偽物の魔法術でフルフェイスヘルムを作り出し、どうにか顔面崩壊の危機から救われる。あぶねぇ、絶対女の子がしちゃいけない顔だったわ。乙女のピンチ。
……とりあえず、姿勢を低くして風の抵抗を減らしながら口内に水の魔法術を作り出す。口と喉を潤す冷たい水は、何故かしょっぱかった。
魔結晶の応用でフルフェイスヘルムの上に透明な層を作り出し、フルフェイスヘルム本体を解除する。うわぁ……ここは高速道路か? ベロの本気ってすげぇな。
ベロが一歩を踏み出す度に、草原が一定の間隔で吹き飛ばされていく。無粋なガードレールや枠など存在しない、瑞々しくも爽やかな、晴れの日を連想させる立草の波。湧き上がるイメージ通り、陽の光を受けた閃光と風は混じり合い、まるで本当に幻想の世界にいるかの……
……チッ、今はそれどころじゃねぇ!
「ベロ! お母さんとナジェさんを苦しめた奴を逃がしちゃ駄目だよ!」
「ガァ!」
意味なんて通じていないだろうに、ベロは律儀にも短く答え、さらに加速する。この分だとゴミ敵野郎の目処はついているようだ。その生きたゴミ塊にどんな処理を加えるか、も。
……マジゴミが!
「ベロ!」
「ガァ!」
短い意思のやり取りでベロが盛大に跳躍。俺はベロとの繋がりを物理的に断ち切り、風の魔法術と闘法術を駆使して地に降り立つ。土の魔法術でおわん型の岩を眼下に生み出して足が地面にめり込むという道化ルートを回避し、ゴミ目掛けて駆ける。
「ひぁっ、ひぃぃぃ! なな、なんで、こんな所に……!」
「ゴミが喋らないでよ。耳が穢れるんだからさ」
上面を含めた四面を壁で覆った檻の近くにいた人型のゴミを即席で生み出した水晶のツヴァイハンダーで叩き斬る。とはいえ、この程度で殺しては俺達の気が治まらん。ゴミの反応なんざ全て無視して四肢を断ち落とし、間髪入れず蹴り飛ばしてそれぞれをベロの餌にする。
そして回復の魔法術を使い、現時点での生物学的死を防ぐ。
後頭部を柄でガツンと、死んでもいいけど絶対には死なない、程度の力でぶん殴り、運よく気絶させた。
ベロの方は俺が蹴飛ばした手足を飲み込んだ後、檻をぺしゃんこに押しつぶして直接的な原因を物理的に潰した。何か悲鳴が聞こえるが、どうせ魔獣だ。どうでもいい。
「ベロ、ゴミはお母さんが直々に片付けたいと思うんだよ。だから連れて帰るよ」
「ガルルルル……ガァ」
今すぐ殺そうと殺気を放ったベロを窘め、指先に雷をチラつかせる。暴徒はより大きな暴力により鎮圧された。
今度は自力でベロの頭に乗り、ゴミを氷の魔法術と木の魔法術の併用でベロに繋いだ俺は、早急に帰還指示を出した。
右腕のブレスレットを魔力で包みながら。
家に戻った。
まだ母さんたちは倒れてる。
ベロが立ち止まり、降りる。駆け寄って、母さんとナジェさん二人に無理矢理回復の魔法術をかけている父さん。クーメスはどこだ?
「お父さん!? 何してるのよ!」
ありえない。なんで二人なんて一気に回復出来るんだ? 回復の魔法術は質が良くなっても仕様上二人以上にかけることは出来ない。いや、理論的に言えば出来るのかもしれないが、制御に難がありすぎて多分俺でも出来ない。
なのに、どうやって。
「そんな事より家へ行って薬を取ってきてください! 僕も長く持ちません!」
そうだ、確かに今はそっちが優先だ。
「分かったよ! でもどんな薬なのか教えてよ!」
「青い透明な小瓶です。こんな事もあろうかと玄関のすぐそばに置いてありますから!」
「分かったよ!」
走りながら考える。
青い透明な、って言うとアレか。玄関近くの棚に置かれているアレか。なるほど、あれは薬だったのか。この近辺に生息する例の魔獣対策の。
思い浮かべればすぐに見つかるもので、三十秒とかけず青い透明な小瓶を持って父さんの元へ。
「ありがとう、グレイキン……すみません、二人に飲ませてください」
「分かったよ」
言われるまま、緑の粒子に包まれたナジェさんの口を無理矢理開いて小瓶の中身を注ぐ。気道を塞がないよう、細心の注意を払いながら。
ナジェさんの喉が微かに動いた。よし、成功だ。
次は母さんだ。
母さんはまだ体力が残っていたのか、俺が注いだ薬を自ら咀嚼してのけた。流石母さん。
どちらも確認した父さんが回復の魔法術を止める。
「呼びかけに応えてください、カーバンクル!」
グレイキンの働きに注意を払っている時間すら惜しいとばかりにペンダントを握りながら叫ぶ父さん。緑の稲妻と光が父さんの前方空間に発生する。中から存在感が現れ、やがてクリーム色の兎耳鼠が現れる。
「キュゥゥゥゥ!」
「カーバンクル、フリスとナジェを癒してください!」
「キュゥゥ!」
まるでお安い御用だと言わんばかりに一声響かせたカーバンクルは、額の宝石を輝かせながらキュゥキュゥ鳴いた。すると宝石から緑の粒子が溢れ出し、母さんとナジェさんを包み込んだ。その様たるや、父さんのものとは比べ物にならない。圧倒的な癒しの波動と言っても過言ではない。っ! 顔色が!
「ふ、ふぅ……」
父さんが額の脂汗を拭う事すら出来ず、その場で気絶して倒れた。とりあえず達成感が顔に浮かんでいたから、母さんたちは治った、って事だろう。そうだろう、そうでなければならないだろう。
「お父さん、お疲れ様」
ぶっ倒れるほど魔力を制御した父さんに労いの言葉をかけて、楽になるよう寝かせる。カーバンクルは既に父さんのペンダントへ戻っていて、機嫌が良さそうに明滅している。いや、分からんけど。
母さんとナジェさんも闘法術で抱き上げ、お腹の赤ちゃんに影響が出ないようゆっくり慎重に気を使いながらベッドまで運んだ。途中でクーメスとクエレブレ君に出会った。どうやら襲撃者を警戒して家の中に籠もっていたようだ。うん、確かに良い選択だ。
と、家を出てからどっと安堵の感情が溢れ出し、気付けば腰が砕けていた。う、うう、この浮ついた感覚、未だに慣れない……
今回は、前世も現世も含めて最大の危機感を抱いた。
何せ、大切な二人がいきなり倒れたのだ。一歩間違えればそのまま死んでいたかもしれないと思うと。
しかし、助かった。
助かったのだから、もう心配する事も無い。過度な心配は相手に気を使わせるだけだし、無駄だろう。今俺に出来る事は、せいぜい快復祝いにヴァルゲン子爵家のエンブレム付ペンダントを作っておく事くらいだ。
なのに。
それなのに。
なんだろうな、この妙な胸のざわ……
バ、ダン。
……ベ、ロ?