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お前みたいなヒロインがいてたまるか!~ある年の新年のお話~

作者: 白猫

こちらはアリアンローズ有志作家による新年短編企画になります。

各々の作品の新年をテーマにしております。

*こちらの企画は作家個人による企画となりますので、出版社、編集部とは無関係です。


お前みたいなヒロインがいてたまるか!の短編ですが、時間軸は明確には決めておりません。

あったかもしれないし、あるかもしれない話としてお読み下さい。


 ある年の大晦日、椿はジーッと微動だにせずに時計を見つめ、十二時を過ぎたのを確認して同じ部屋に居た両親の方を見る。


「明けましておめでとうございます。お父様、お母様」

「明けましておめでとう。椿ちゃん」

「明けましておめでとう。今年も椿ちゃんにとって幸せな一年であることを願っているわ」

「私も家族にとって幸せな一年であることを願ってます」

「そうなるように頑張らないとね。さあ、椿ちゃん。年が明けるまでは夜更かしを許可したけれど、もう寝なきゃいけないわよ?」


 腰に手を当てている母親を見て、椿はそういえばそんな約束をしていたことを思い出す。

 と、同時に彼女は、日付が変わったら電話すると夕方くらいにレオンからメールがきていたことを思い出した。

 母親のみならまだしも、父親の前で電話に出てしまうと新年から機嫌が悪くなってしまうかもしれないと思った椿は、早く自分の部屋に戻ろうとする。


「年を越すのが目的でしたからね。大人しく寝ますとも」

「おやすみ、椿ちゃん。良い夢を」

「おやすみなさい。お父様、お母様」


 両親に挨拶をした椿は自分の部屋へと戻り、本当にかけてくるかも分からないレオンからの電話を待つ。

 すぐにサイドテーブルに置いてある携帯電話が光り始め、携帯の画面を見るとメールに書かれていた通り、レオンから電話が掛かってきていた。

 確かドイツは十六時を過ぎたところのはず。

 ギリギリでレオンからの電話を自分の部屋でとれてホッとした、と同時に椿は通話ボタンを押した。


「もしもし?」

『あれ? 寝てなかったのか?』

「……寝てる前提だったら、何で電話を掛けてきたのよ」

『起きていれば良いなという希望を持って。あと椿は就寝中は携帯のマナーモードをサイレントにしていると言っていただろう? だから睡眠の邪魔にはならないと思ったんだ。それに夕方のメールを見ていない可能性もあったし、椿は早寝だからな。出なくても構わないとは思っていたから、出てくれて嬉しいよ。ありがとう』


 控え目なレオンの返答に、ぶっきらぼうに答えてしまった椿はなけなしの良心が痛んだ。


『あぁ、そうだ。明けましておめでとう。椿にとって今年が楽しくて有意義な一年になることを願っているよ』

「……明けましておめでとう。レオンにとっても来年が良い一年になればいいわね」

『そうだな。少なくとも、こうして椿と話せたんだから、良い一年のスタートを切れたと思っているよ』


 まるで年を越したかのようなレオンの言葉に、我慢しきれず椿は口を開く。


「……ねぇ、時差の概念理解してる!? そっちまだ三十一日の十六時過ぎたあたりでしょう! 何、すでに年越したみたいな言い方をしてるのよ!」


 良い一年のスタートどころか一年が終わってもいないだろうに。


『大丈夫だ。俺の心の中ではすでに年は越えている』

「気持ちの問題じゃないでしょ! 時空を歪めるな!」

『どうせ、あと八時間も経てば一日になるんだ。変わらないさ』

「八時間は結構な差だよ!?」


 さして大きな問題は無いと言っているレオンであったが、考え方が前向き過ぎる。

 畳み掛けるような椿のツッコミに、レオンは楽しそうに笑い声を上げている。


「何がそんなに面白いのよ」

『っいや、悪い。律儀にツッコミをいれてくれる椿の声を聞いて、昔から変わらないなぁと思っただけだ』

「ツッコまれるようなことをレオンが言うからでしょう」

『だが、サラッと流せば良かっただけじゃないか。椿は真面目だな。まぁ、そういうところも可愛らしいとは思っているんだけどね』

「……そりゃ、どうも」


 さり気なく、本当にさり気なくレオンが椿を褒める言葉を口にしたことで、彼女は少し照れてしまいぶっきらぼうな口調に戻ってしまう。

 本気で本音でそんなことを言う物好きはレオンくらいのものだ。


『どうせ物好きな男め、とか思っていたんだろう?』

「べ、別にそんなことは」

『いい。分かってる。俺が勝手に想ってるだけだから気にするな。こうして話してくれるだけで十分なんだから。それじゃ、そろそろ電話を切るよ』

「随分早いわね」

『初めから新年の挨拶をしたら、電話を切ろうと思ってたんだ。椿も眠いだろ?』


 確かに椿は物凄く眠い。

 普段の就寝時間は日付を越すことなどないから、尚更眠い。


『今日は電話に出てくれてありがとう。話せて嬉しかった。それじゃ、また』

「えぇ。また」


 レオンからの電話を切った椿は、すぐに服を着替えてベッドに横になり、間もなく眠りに落ちた。



 数時間後、眠りから覚めた椿は瞼をこすり、体を伸ばす。

 ふと横を見ると、ベッドに手をついて椿を覗き込んでいる菫と樹と目が合った。


「「姉様、明けましておめでとうございます!」」


 いつからそこに待機していたのかは分からないが、椿が自然に目を覚ますまで大人しくしてくれていたなんて……! と彼女は目頭が熱くなってくる。


「明けましておめでとう。菫、樹。いつからそこに居たの?」

「ちょっと前からです。私も樹も朝ご飯を頂いたので、姉様を起こしに参りました」

「まぁ、ありがとう。ところで今何時か分かる?」

「八時を過ぎたあたりです。お母様がお寝坊さんねって笑っていましたよ?」


 つまり八時間近く寝ていたということである。

 七時の時点で佳純か純子が起こしてくれても良かったのに、とも思ったが彼女達は新年の支度をしていただろうから、自力で起きろという話だ。


「随分と寝過ごしてしまったわね。起こしに来てくれてありがとう」

「まだ声を掛けておりませんでしたから、起こした訳ではありませんよ?」

「菫と樹の気配で目が覚めたということよ。さて、着替えなくちゃ」

「では、私と樹はリビングでお母様達とお話ししてますから、用事が終わったらいらして下さいね。行こう、樹」

「後でね。姉さま」


 樹と共に菫が部屋から退出し、椿は普段着に着替えて髪を軽く梳かして身支度を整えてから部屋を出た。

 顔を洗ってから一階のダイニングへと向かうと、菫から椿が起きたことを聞いていたのか暖かい朝食がすでに用意されている。


「おはよう、純子さん。明けましておめでとう」

「おはようございます、椿様。明けましておめでとうございます。今年も椿様が怪我も病気もなく一年を過ごされることを祈っております」

「純子さんもね。勿論、直孝さんや佳純さんや志信さんも」

「お優しい言葉、ありがとうございます。怪我も病気もないように精進致します」


 去年と同じ言葉を純子と交わし、椿は朝食を済ませる。


「椿様、午後から音羽様、水嶋様、八雲様がいらっしゃいます。昼食後にお着物に着替えて頂かなくてはならないので、頭に入れておいて下さいませ」

「分かったわ。着物には慣れたとはいえ、やっぱりお腹が苦しいし、動きにくいのよね」

「和服とはそのようなものでございます」


 純子の言うことも分かるが、和服は動きにくいし昼食もあまり食べられないのが残念でならない。


「じゃあ、午前中は自由な訳ね。佳純さんは掃除? 志信さんは車を洗っているのかしら?」

「はい。そのように聞いております。挨拶に伺うのですか?」

「勿論よ!」


 力強く言い放った椿は、純子に別れを告げてキッチンに居た直孝に挨拶をして佳純と志信を探しにダイニングを後にした。

 掃除をしている佳純よりも居場所が分かっている志信の方が見つけやすいと思い、椿は上着も着ずに車庫の方へと足を向ける。

 外の寒さに耐えながら車庫へと向かった。


「あ、やっぱり車庫に居た」

「これは椿様。……なぜ上着を着ていらっしゃらないのですか?」

「ちょっとそこまでだからいいかなって思って」

「お風邪を召したらどうなさるのですか。すぐに屋敷に戻りましょう」


 志信に強く言われ、椿は言われるまま屋敷内へと戻る。

 

「あー暖かい」

「椿様、私に用事がございましたら、母か姉に言付けて下さいませ。薄着で外に出るようなことはなさらないように」

「分かってるってば」


 志信から強めに注意をされた椿は、ちょっとそこまでの短時間だから良いと思ったのにと口を尖らせる。

 言葉と態度がちぐはぐな椿を志信は、この方は本当に分かっておられるのか、と思いながら見つめていた。


「……それで椿様。私に何か用事がございましたか?」

「あ、そうそう。新年の挨拶をしようと思ってたのよ。明けましておめでとう! 今年もよろしくね! そしてコンビニに行こう!」

「使用人である私にも新年の挨拶をして下さるとは有り難いことでございます。ですが、コンビニにお連れすることは出来かねます」

「じゃあコンビニじゃなくてもホームセンターとかで良いから!」

「場所の問題ではございません」


 話のついでに出したら勢いでOKしてくれないかと思ったが、そう甘くはない。

 

「もー。ちょっとくらいいいじゃん」


 ブーブーと椿が文句を言っていると、掃除をしていたはずの佳純が音も無くこちらへとやってきていた。

 廊下で話をしている椿と志信を見て何事かと声を掛けてくる。


「椿様、志信が何か粗相を致しましたか?」

「私が何かしたという前提で話を進めるのは止めて下さい」

「それは失礼。それで椿様、いかがなさいました?」


 椿は佳純へ先程までの志信との会話を説明する。

 表情の変化がまるでないので、佳純が何を考えているのかは椿には分からない。


「……大奥様や大旦那様がコンビニまで買い物に行かれることもございますから、毎日でなければ問題はないかと思います」

「本当!?」

「姉さん!」

「黙りなさい、志信。貴方は椿様が何でもかんでも手に取った物を買うような方だと思っているのですか? 椿様は控えめな方ですから、買いすぎることはありません。仮に買いすぎるようなら、貴方が目を光らせていればいいだけのこと」


 佳純に説得され、志信はグッと言葉に詰まる。


「それに、我慢をさせすぎてこっそりお一人でコンビニに向かわれる、なんていうことになったら、そちらの方が問題です。使用人にこうしてちゃんと伺いを立てて下さっているのですから」

「……それは、そうですが」

「椿様もたまにでよろしいですか?」

「勿論だよ!」


 嬉しそうな椿を見て、佳純はゆっくりと頷く。

 どちらかといえば椿に甘いのは志信の方だと思っていたので、まさか佳純が味方になってくれるとは、と椿は驚いてしまう。


「あの、佳純さん。ありがとうね」

「総合的に判断した結果でございます。感謝の言葉などいりませんよ」

「それでもありがとう。あと明けましておめでとう。今年も学校まで送迎よろしくね」

「はい。明けましておめでとうございます。今年も私が朝の送迎を担当致しますので、よろしくお願い致します。それでは、仕事が残っておりますので私はこれで」


 椿に頭を下げた佳純が立ち去り、彼女はチラッと強引に納得させられた志信を見る。

 彼は表面上は表情を変えていなかったが、佳純の後ろ姿を睨んでいた辺り機嫌はよろしくはないようである。


「志信さん。そんなに頻繁にはコンビニに行こうとは言わないから」

「椿様が気になさる必要はございません。私の中で椿様は未だに初めてお会いした時のままだった、ということに気付かされただけです」

「……さすがに、蔓に掴まってターザンごっこはもうしないよ」

「……」

「いや、水嶋家に居た頃の話だからね! こっちではしてないよ? 昔の話だし。だから、うわぁ……みたいな目で私を見てくるの止めて!」

「いえ……お元気なのが何よりでございますから、決して椿様が仰るようなことは考えておりません」


 何ともいえない空気が二人の間に流れる。

 お蔭で志信のよろしくなかった機嫌は直ったようだが、彼の中で椿の評価が下がったことだけは間違いない。


「椿様、私も仕事がございますので、失礼致します」

「え? あ、うん。お仕事頑張ってね」


 それでは、と挨拶した志信が外に出て行ってしまい、椿は二階のリビングに居るであろう家族のところへと向かい、昼食まで時間を過ごした。



 昼食後、赤地に四季折々の花が散らばった振り袖を着せられた椿は、音羽真知子を初めとする一家の前で新年の挨拶をして頭を下げた。


「佐和子さん、お久しぶりね」


 大人達が会話を始めてしまったので、すかさず椿はポツンと立っている佐和子に声を掛けた。

 初めて訪れる他人の家でどうしようかと悩んでいたのか、彼女は椿から声を掛けられたことで安堵の表情を浮かべる。

 同時に菫も佐和子へ挨拶して会話が始まるが、椿は周囲を見渡して樹はどうしているのかと探すと、彼は大人組の輪の中に入っていたので無理に呼び寄せなくてもいいかと会話に戻った。


「佐和子様、あの時はありがとうございました」

「気にしないで。私が勝手にしたことなのだから」


 二人の会話を聞いた椿は何のことを言っているのだろうかと疑問を持つ。


「菫さん? 何かありましたの?」


 椿が問い掛けると菫は何やら言いにくそうに口ごもってしまう。

 見かねた佐和子が代わりに説明をしてくれた。


「前に食堂で菫さんの髪の色をからかっていた男子がいたので、私が文句を言ったんです」

「……へぇ」

「ね、姉様! 皆さん黒髪ですから私の髪の色が珍しかっただけなのです」


 声のトーンが低くなった椿を見た菫が慌てて男子生徒のフォローをしたが、彼女の機嫌がそれで直るはずがない。


「髪の色で言えば杏奈さんもですが、彼女がそれでからかわれたりしたことはございません。全く……」

「本当にくだらないと思います。私も髪が黒いので、菫さんのような明るい色に憧れはありますが、からかうなんて思考にまずなりませんもの。それに髪が細くて癖もありませんし、サラサラで羨ましいとすら思っておりますのに。私、このように剛毛ですから」

「いえ!私は髪が細いので髪のセットが難しいんです。だから佐和子様や姉様のような髪質に憧れているんです」

「ないものねだりですね」


 菫と佐和子が顔を見合わせて笑い合っている。

 非常に穏やかな空気が流れているが、椿はまったく穏やかでは無い。

 どこのクソガキの仕業だと怒りで満ちていた。

 上級生である佐和子が注意をしてくれて良かったが、母親と同じく控えめな性格をしている菫だ。

 我慢の限界になっても男子生徒に言い返すことなど出来ないので、この先もそういうことがあったらと思うと椿は心配になってしまう。


「あ、椿さん。実はこの件、担任の先生には報告してありますので、処罰がないということはないと思います。仮にも水嶋家の孫であり朝比奈家の令嬢である菫さんに対しての暴言ですから」

「何から何までありがとうございます。佐和子さんが同じ学校に居てくれて本当に良かったです」

「いえ、私が見過ごせなかっただけです。余計なお節介だとは思ったのですが、男子も菫さんからしたら上級生だったので、これはいけないと思いまして」

「まぁ、年上なのに菫さんに対してそのようなことを仰ったの?」


 本当にどこのクソガキの仕業だ。


「姉様、先生がちゃんと後のことはして下さいますから、大丈夫ですよ」

「菫さんは本当に考え方が大人ね。私は貴女が優しすぎて傷つくことになりやしないかと心配でならないわ」

「大丈夫です! 仲良くしてくれるお友達も沢山居ますから! 皆さんとても親切にして下さるので、学校生活がとても楽しいんですよ」


 これ以上ないくらいの笑顔で菫が言うものだから、椿は振り上げた拳を降ろすことにした。


「あの、椿さん。良かったら中等部のお話を聞かせて下さいませんか? サロン棟とか噂でしか耳にしたことがないので、興味があるんです」

「あ、私も伺いたいです! あと修学旅行のお話も」


 二人からねだられ、椿は時間の許す限り中等部の説明をする。

 まだまだ話し足りない三人であったが、佐和子が帰る時間が来てしまい玄関まで行き、音羽家の人達を見送った。


 しばらくして伯父と恭介、杏奈と恵美里が到着し、新年の挨拶を交わす。

 大人組と菫と樹は早々にリビングに向かい、玄関ホールに三人が残される。


「相変わらず派手な着物を着てるわね」

「自己主張が激しすぎるだろ」

「帯までキラッキラじゃない」

「目に優しくない配色だな。相変わらずセンスの無い奴だ」

「お前ら何しに来たんだよ!」


 開口一番に貶された椿は半泣きで文句を口にした。

 だが、杏奈も恭介も全く気にしていない様子で「だって」「なぁ?」などと話している。


「いいの! これが私なの! ありのままの私なの!」

「お前はもっと包み隠せよ! さらけ出しすぎだろうが!」


 即座に恭介からツッコまれた椿は頬を膨らませたままプイッと顔を背ける。

 そんな二人を杏奈が冷めた目で見つめていた。


「新年早々、下らないことしてないでリビングに行きましょうよ」

「下らないってなんだ」

「そもそも最初に貶してきたの杏奈でしょうよ!」

「私は感想を口にしただけだもの。貶しの大半は水嶋様よ」

「人に責任転嫁するなよ!」


 文句を言われつつも冷静なままの杏奈は、二人の言葉を聞き流してさっさとリビングへと移動を始める。


「椿ちゃん、ここまで話が聞こえていたわよ? あまり大声を出さないようにね」

「百合子……。問題はそこじゃないと思うのだけど」


 リビングまで声が聞こえていたと知った椿はやばいと焦ったが、母親のズレた注意に力が抜けてしまう。


「皆様、お茶の用意が出来ておりますのでお掛け下さい」


 さっさと席に着けという言葉を佳純から丁寧に言われ、三人はソファに腰を下ろす。


「伯父様、ご自宅にいらっしゃらなくて大丈夫なのですか? 新年の挨拶にいらっしゃるお客様が多いのでは?」

「だから、あまり長居は出来ないんだがな。お茶を飲んだら帰る予定はしている」

「明日、水嶋家に挨拶に伺うのですから、無理はなさらなくてもよろしかったのに」

「気持ちの問題だ。新しい年の最初の日に顔を見たかった、というだけだ」

「こちらとしてはお顔を見られて嬉しいとは思ってますけど」


 戸惑いがちに椿が口にすると、伯父は穏やかに微笑み「私もだ」と言ってくれた。


「さてと、慌ただしくて申し訳ないが失礼するよ。恭介はどうする? 親父と私が居れば十分だが」

「僕も帰ります。居なかったらそちらの方が問題ですから」


 席を立った伯父と恭介を見送り、椿は用意された和菓子に手を伸ばした。

 来て早々、お茶だけ飲んで帰るなんて大変だな、と思った椿であったが、まだ水嶋家で彼女が暮らしていた頃は、新年早々挨拶に来る客は多くなかったと記憶していた。

 だが、あの頃は離婚して精神的に不安定であった母親や椿のことを考えて、祖父や伯父が重要な客以外は取り次がないようにしていたので、どれだけ来客が多いのか彼女には想像が全くつかない。

 それに、この家に引っ越してからも、来客といえば伯父家族と杏奈家族、最近だと音羽家ぐらいのものだ。

 尚更、椿には想像がつかない。


「お母様、水嶋家に挨拶にいらっしゃるお客様はそんなに多いのですか?」

「私が学生の頃の記憶だけれど、本当にひっきりなしにお客様がいらしてたわ。夕食の前にはクタクタでご飯が喉を通らない、なんてこともありましたもの」

「……私、朝比奈家で本当に良かったです」

「こんなにゆっくり出来る新年があったなんて、と私も驚いたものだわ」


 しみじみと言っている母親を見ると、本当に水嶋家の新年は相当に大変なのだと理解出来る。

 ずっと猫を被らなければならないことを考えると、椿は今の状況に感謝である。


 この後も杏奈や恵美里と話をしていたのだが、時間が来たということで帰宅となった。


「じゃ、明日の新年会でね」

「今年は着物は着ていくの?」

「着るわけ無いでしょ。動きにくいし、そもそもこの顔に和装は似合わないんだもの。和装が似合う椿が羨ましいわ」

「ないものねだりって言ってた佐和子さんと菫の会話を思い出すわね」


 ポツリと椿が言うと杏奈が「何それ?」と訊ねてきたので、先程あった会話を彼女に説明する。


「てことは椿も私を羨ましいと思ってるってこと?」

「そりゃ、彫りの深い顔立ちや色素の薄さとかスタイルの良さとか、友人が多くてスポーツ万能で成績も優秀ときたら羨ましくもなるわよ」

「多すぎない!?」

「まだあるけど?」

「いい。聞きたくない」


 杏奈が拒否したことで、椿は他にも色々と言おうとしていたことを口に出すのは止めておいた。


「杏奈、帰るわよ」

「はーい。それじゃ、また明日」

「うん。また明日ね」


 玄関先で杏奈と恵美里に挨拶をして別れた後、椿は速攻で着物から普段着に着替える。


「あー、やっとお腹が苦しくなくなった」


 ソファに座り、肘掛けにもたれた椿は開放感に浸っていた。


「椿様、直に夕食となりますので、あまり」

「いや、さすがにこの時間からは食べないよ! テーブルの上にあっても食べないよ!」

「左様でございますか。これは失礼致しました」


 この使用人にすら椿は食べ物に見境が無いと思われているのはどうなのだろうか。

 遠い目をしながらそんなことを考えている内に時間は過ぎていき、来客もあった椿の新年は終わったのであった。

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[一言] こんにちは 久しぶりに書籍版を読み返していたら そういえば菫様の部分がカットされていたなぁ と思い出して改めてブクマさせて頂きました この作品は恋愛物が苦手な私に 悪役令嬢物って面白いん…
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