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  作者: 深江 碧
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 少年は夜の世界しか知らなかった。

 明るい昼の陽射しも、青い空を流れる白い雲も、風にそよぐ木々の美しい緑も、光に照らされて輝く色とりどりの花も、楽しげに野原で遊ぶ村の子どもたちも、少年はこの世に生まれ落ちてから一度も見たことがなかった。

少年の生きる時間は日が落ちた後、目に映る外の景色はいつも闇に塗りつぶされていた。

彼の見ている景色は、闇を照らす青白い月や、夜空を流れる灰色の雲、風にそよぐ木々の葉は墨を落としたように黒く、色とりどりに咲いていた花もつぼみを閉じ、野原で遊ぶ子どもたちは一人もおらず、村の大人たちさえ特別な用のない者は出歩かなかった。

特に今夜のように月のまったく出ない新月、星の光の弱々しい深夜に外を出歩く物好きな村の者など、少年以外にありえなかった。

村の家々の窓から漏れる明かりはほとんどなく、村人は皆寝静まっているようだった。

夜空に浮かぶ星以外に、地上に灯る明かりは見られない。

 こんな闇の深い夜は、夜目の効く山の獣とてねぐらの外に出ないだろう。

 村の人々でさえ、その夜は山神、あるいは異形のものが出歩くとして、恐れて外に出ようとしなかった。

 誰も出歩かない今夜、少年は外に出た。

 夜目の効く少年は、夜に光る明かり石を使わなくても、夜道を歩くのに何ら支障がなかった。

 下草の刈りそろえられたあぜ道を、夜とは思えない軽快さで歩いていく。

 夜露を含んだ秋草が夜風にさわさわと音を立てて揺れている。

 少年は着物の襟を寄せ、冷たい風に身震いする。

季節は夏が終わり、秋に差し掛かっていた。

 もうしばらくすると村の田んぼの稲が黄金色に色付くだろう。

 村人たちの待ちに待った収穫祭が執り行われるのを、少年は話だけは知っている。

 話だけは知っている、と言うのは、少年が村の収穫祭に参加したことが一度もなかった。

 少年は両親から収穫祭の様子を伝え聞くだけで、実際に村の衆に紛れて参加することは許されていない。

 人気のないあぜ道を、少年は慣れた様子で歩いていく。

 闇はねっとりと絡みつくように重く、空気も息苦しく感じられる。

 こんな夜は、山から山神が降りてくる、異形のものが降りてくる、と村人たちが信じているのもまんざら嘘とは言えなかった。

 こんな闇の深い新月の夜は、異形のものが闇にまぎれて村のあぜ道を歩いていたとしても、何ら不思議ではない。

この闇にはそんな空気が感じられる。

(山に入る前に、山神様にごあいさつをしていかないと)

 山に用のある少年はそう考える。

少年は村の大人たちのように特別信心深い訳ではなかったが、だからと言ってこの村で広く信じられている八百万の神々をないがしろにしている訳でもなかった。

薬師の父と元まじない師だという母に育てられた少年も村の人々と同様に、巡りくる四季折々の自然の中に目に見えない不思議を感じ取っていた。

毎年実りを与えてくれる山や川、田畑に神々が宿っていたとしても不思議ではないと、少年の薬師の父はよく言っていた。

少年は山神の祭られている神社への石段を上る。

苔むした石段は滑りやすくなっており、少年は転ばないように注意して上っていく。

山神の祭られている社は、山道の登り口に建てられている。その昔、山神の怒りを鎮めるために、異形のものが山から下りて来るのを防ぐために建てられたと、村の古い文献には記されている。

 少年もその文献に目を通したが、異形のものがどういったものなのか、どうして山神の怒りに触れたのかなど、詳しい内容は記されていなかった。

 ただ季節の折りに触れて山神への祭りは欠かさず執り行われ続けていた。

 旅回りの薬師でこの村に来た少年の両親には、代々執り行われている村の祭祀の深い意味を知る術もなかった。

 少年が生まれてから後、両親はこの山深い小さな村に定住するようになったが、それまでは薬を売りつつ各地を転々としていた。

 定住してからまだたった十年と少し経ったばかりの新参者に、古くからの村のしきたりや歴史が理解できるはずもなかった。

 ――りん。

 不意にどこからか澄んだ鈴の音が聞こえる。

 階段を上っていた少年は足を止め、きょろきょろと暗闇を見回す。

 ――りりん。

 また聞こえる。

 少年は着物の腰に下げた魔よけの鈴を見下ろす。

その鈴は母が持たせてくれた物だった。

鈴は中身の玉が抜いてあって、普段は決して鳴らないようになっている。

 母が少年のために魔よけのまじないをしてくれた鈴だった。

 ――りんりん。

 普段は鳴らないはずの魔よけの鈴がこうして鳴っている。

それはいかにもおかしいことだった。

村の大人たちが恐れている異形のものが山から下りて来たのだろうか。

それとも新月の夜に少年が出歩いていたことが、山神の怒りを買ってしまったのだろうか。

 夜を生きる世界だと定め、闇を怖がらない少年でさえ、足元から震えが上がってくる。

 石段を上る足が動かなくなる。背筋を悪寒が這い上がってくる。

(落ち着け、落ち着け)

 少年は跳ね上がった心臓を必死になだめにかかる。

 大きく息を吐き出し、気持ちを落ち着けようと努める。

 少年がそうしている間に、何者かは去って行ったようだった。

 鳴っていた鈴の音が止む。

 辺りは再び静寂に包まれる。

(去ったのか?)

 夜にしか外に出ない少年は、度々こういった不思議な現象に出くわすことがある。

 生まれてからこのかたこういった寒気に襲われるのも、これが初めてではなかった。

 少年は腰に下げた魔よけの鈴に手を伸ばす。

 指でそっと触れてみる。

 鈴を揺らしてみても、からからと玉の音はしない。

 やはり玉は抜いてあるようだった。

 この鈴が鳴ることなど、まずありえない。

 石段の半ばほどで立ち止まっていた少年は、両側の林を見る。

 暗闇の物音に耳を澄ませる。

 林からは何の物音も聞こえなかった。

 葉擦れの音や、動物の足音はおろか、虫の声さえ聞こえなかった。

 少年は石段の下を振り返り、次いで上を見上げた。

 先程の恐怖からか、引き返そうとする気持ちが胸に生まれる。

(今夜はやめておこうか)

 帰ろうと傾いた気持ちを必死に奮い立たせ、少年は石段に足をかける。

(いや、今夜じゃないといけないんだ。そうしないと、また一ヶ月待たなくてはならない)

 新月の夜にだけ花を咲かせるという山に生える珍しい薬草を、少年は家に持って帰らなくてはならない。

 その薬草の煎じ薬だけが、村の子どもたちの間に流行っている病の唯一の治療薬だと、父は言った。

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