エピローグ
葬儀は厳かに進む。
先日の大妖魔の襲撃で命を落とした騎士を悼む儀式は、王宮の講堂で行われていた。
参列者は生き残った騎士と治癒士。一様に黒い喪服を着て、悄然と肩を落として長椅子に座っている。
いくつもの棺が並ぶ前に王が立ち、深刻な面持ちで弔辞を読み上げていた。騎士たちがいかに勇敢だったか、妖魔がいかに恐ろしいものか、しかし我々は団結しこの脅威を退けないければならない云々。
人々の押し殺したすすり泣きが、潮騒のように寄せては返す。
わたしは少し顔をあげ、棺に目をやった。
どれも簡素な白木の棺だったが、そのうち、二つだけが美しい飾り彫りで彩られていた。まるでその中で眠る騎士の特別さを示すように。
死んでからも、特別な人間は特別らしい。簡素な白木の棺で眠る騎士だって、誰かの特別だったはずなのに。
なんて思うのは、わたしがあの二人を大嫌いだったからだろうけれど。
王の弔辞が終わり、参列者は棺に白百合を一輪供えるためにぞろぞろと列をなし始める。
わたしも立ちあがって列に並ぼうとしたところで、一際甲高い泣き声が耳を打った。
聞き覚えのある声だった。特別な二つの棺に取りすがり、姉が泣き崩れていた。
誰もが痛ましげに姉を見ている。彼女を中心とした三角形の話は、王宮では常識だった。愛を失った悲劇のヒロインを前に、誰もが声を失ってしまう。
わたしは、早く終わらないかな、と思いながら神妙な顔で列の最後尾に並んでいた。
——あれから。
実はすぐあとに、第三部隊の姉までもが駆り出されて二人を発見し、治癒を施したらしい。だがその甲斐もなく二人は亡くなったのだそうだ。なんでも、大妖魔の怪我は魔の汚染が尋常ではなく、今の治癒士では太刀打ちできない深刻さだったとか。
あのときわたしが治癒していても、きっと結果は変わらなかった。
なんというお笑い種。わたしが殺したことにさえならない。
棺に寄りかかって泣き濡れる姉を置いて、わたしはさっさと献花を終えて講堂を出た。眩い陽光が降り注いでいて、思わず目を細める。
「——どこか、遠いところへ行こうかなぁ」
行けない。
今回の襲撃で妖魔への対策は急務となるだろう。まがりなりにも第一部隊に属する治癒士の辞職が許されるはずもない。
まあ、姉は辞めるかもしれないけれど。心の傷とかで。
でもわたしはだめだ。もう姉と悲しみを分かち合うことはできない。
あの日のように手をつなぐことはできないし、約束も交わせない。
だってわたしはちっとも悲しくない。
こんなに清々しい気分は生まれて初めてだ。
わたしは講堂を一度も振り返らず、陽の射す道を歩いた。
■ ■ ■
棺の前で泣き崩れる少女は、先ほどからずっと同じことを呟いていた。
「私のせいよ……私のせいで二人は死んだの……私が治せなかったせいで……!」
その周りに集まった治癒士や騎士が口々に慰めている。かつて愛されていた美しい少女を。あれは大妖魔の怪我だ、誰でも無理だった、と。
マリアンテは泣き濡れてなお可憐な顔を上げ、ぶんぶんと首を振った。
「違うわ、わたしに魔力がもっとあれば、二人は助かったわ……!」
「そうだな」
そのとき、第一部隊長のミナが、花を供えに棺のそばへやって来た。彼女は全ての棺に白百合を捧げており、この二つの棺が最後だった。
ミナはマリアンテを見下ろし、淡々と告げた。
「たとえば私なら助けられたかもしれん。あるいは、アイビーなら」
マリアンテの瞳が潤む。首元を探るように手を動かし、それからもうそこに探し物がないことに気づいたようにぱたんと手を下ろす。
「アイビーが?」
「そうだ。あの子は部隊でも一番の魔力持ちだ。お前ではなく、アイビーだったら助かったかもしれない。だが、アイビーはそこにいなかった。これは巡り合わせだ」
言い聞かせるようなミナの声は、もはやマリアンテには届いていないようだった。マリアンテはみるみる顔を青ざめさせ、きょろきょろと講堂を見回す。
「アイビーはどこ?」
どこか幼い声が、講堂の天井に跳ね返る。
「アイビー! こんな時にどこ行っちゃったの!」
しかし答えは返らず、残響だけがうつろにこだました。
「アイビー! 私たち、同じ悲しみを抱いているはずでしょう! こんなの私一人じゃ耐えられない。お願いよ、一緒に悲しんで——!」
誰もが目をそらし、狂乱する少女に手を貸そうともしない。一人、また一人とその場を離れていく。
虚しい願いだけが、講堂にはいつまでも尾を引いて響いていた。
※
マリアンテを観察しながら、ミナは手巾をそっと手元に隠した。
アイビーが刺繍を施した手巾だ。ミナが見たときよりもだいぶ進んでいて、美しい薔薇と蔦が白い布を覆っている。
これは西側の斜面で見つけた。おそらくアイビーは落としたことにも気づいていないだろう。紛れもない、アイビーがそこにいた証拠だ。
これを発見した瞬間、ミナには一部始終が察せられてしまった。
最初からミナは、いつかこうなるのではないかと思っていた。あの姉は妹に甘えすぎている。ほとんど自分と同じものとして扱っていて、無視していたことさえ理解できていないのではないか。そしてそんな扱いをすれば、周囲の心ない人間がアイビーをどう軽んじるかにも思いが至っていない。
だがミナは第一部隊の隊長で、どんなときでも優秀な治癒士を優先する。
別にマリアンテがいなくなっても構わない。だが、アイビーは別だ。彼女の魔力量は膨大で、今後増えるであろう大妖魔の襲撃に対し、なくてはならない存在だ。
そもそも、とミナは思う。
アイビーはあの二人を見捨てたかもしれないが、代わりに他の怪我人を何人も助けたのだ。アイビーのおかげで今生きている騎士はいくらでもいる。救われた彼らの命は、軽重なく平等に重いものだろう。
アイビーもあまり思い詰めないといいが——と考え、それからゆっくり首を振る。
ミナの推測が正しければ、きっとそんな心配は不要だった。
■ ■ ■
あてもなく歩いていたわたしの肩を、誰かがふいに叩いた。
ハッと振り向き、そこに立っていたのが見覚えのない男だったので首を傾げる。
「……どなたですか?」
「アイビー・リリベルさんですよね?」
気の弱そうな青年だ。喪服を着ているのでさっきの葬儀に参列していたのだろう。騎士団の一人だろうか。
「はい、そうですけど……わたしに何か?」
聞き返すと、青年はもじもじと顔を赤らめ、「ええと」とか意味のないことを言っていた。ふと視線を感じ、わたしは近くの柱に目を向ける。そこには心配そうに青年を見つめる騎士たちの姿があった。友人か何かだろうか。「がんばれー」とか小さい声が聞こえてくる。本当になんなんだ。
しばらく青年はもごもごしていたが、やがて覚悟を決めたようにばっと顔を上げると、勢い込んで言った。
「ぼく、大妖魔の襲撃のときにあなたに助けられたんです! あなたは命の恩人です!」
ああ、とわたしは頷く。あの西の斜面で倒れていたうちの一人だったのか。顔までは覚えていないから気づかなかった。
「お気になさらないでください。それが治癒士の仕事ですから。それより、今はもうなんともありませんか?」
「は、はい。すっかりよくなりました。あなたがいなかったら、ぼくは今頃死んでたって友達にも言われて……」
ちらちらと青年は友人らしき騎士たちに視線を送る。そちらの騎士たちは固唾を呑んでこっちを凝視している。
握りしめられた青年の両拳がぶるぶる震えていた。彼の顔はもう真っ赤だった。
「きっとあなたにとっては仕事だったと思うんですけど、でも、ぼくには本当に特別なことだったんです。一生忘れません!」
名も知らぬ青年のまっすぐな言葉は、澱んだ胸の底を光でさらうようだった。
わたしは声もなく立ち尽くす。青年の顔を見返した。赤くなった顔の中、榛色の瞳だけが、真剣な色をたたえてこちらに向けられていた。
「ありがとう……ございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
じわじわと温かなものがこみ上げて来て、両手で胸元を押さえた。
どうしようもなくねじれた性根が、爽やかな風でほどかれてゆく。
本当に、よかった、と思う。誰かに感謝されることがこんなに嬉しいだなんて、久しく忘れていた。
青年はそわそわと両手を組み合わせ、「その、それで……」とモゴモゴ言った。
「もしよかったら、ぼくと一緒に街へ出かけませんか?」
唐突な申し出に、わたしは驚く。青年はそれを見て取ったのかワタワタと両手を振り回し始めた。
「す、すみません、突然すぎですよね! だいたいぼく、まだ自己紹介もしてないですし! いやでもぼくなんて名乗るほどの者でもないんですが!」
その慌てぶりがおかしくて、わたしは思わず笑ってしまった。
「いいですよ。一緒に行きましょう」
「えっ、本当に!?」
「はい、まずはお名前を教えてください。わたしもあなたの名前を呼びたいですから」
わたしは微笑み、頷く。
男の友人たちがわあっと騒ぐ声が、春の青空に吹き抜けていった。
〈了〉
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