第2話:ギャルに催眠!今度こそエッチな展開に持ち込んでやる!
「……今回は、ガチでいける気がする」
放課後の教室。
机に頬杖をつきながら、相沢直也はスマホの《マインド・コントローラー》をにらみつけていた。
(昨日は……ひまりを安眠させて終わった。あれはあれで良かったけど、ダメだ。俺は誓ったはずだ。青春を、もっとこう……エッチに! いや、アダルティに!)
脳内で意味のわからないフレーズが駆け巡る。
だがそれほどまでに、彼の中の“男子高校生としての正義”は揺るぎなかった。
(今度のターゲットは……ギャル。そう、ギャルこそがエロの象徴……!)
そのとき、教室のドアがガラリと開き、ちょうど良く“彼女”が現れた。
「はぁ~、まじダリぃ……って、あれ? 相沢じゃん。めずらし」
その声の主は――杉山玲奈。
金髪にピアス、短めのスカート。いわゆる“ギャル”という外見そのままの彼女は、クラスでもちょっと目立つ存在だった。
「なんだよ、ジロジロ見て。あたしの顔に何かついてんの?」
「い、いや……! そ、そんなことないです!」
直也は思わず直立不動になった。
普段あまり話さない玲奈に突然話しかけられて、うろたえるのも無理はない。
(な、なにこの神展開!? 今日、俺……ギャルと接点できてる!?)
「ふーん……ヒマだし、相沢でもいじって遊ぼっかな~」
「へっ?」
玲奈はにやりと笑って、直也の隣の席にストンと腰を下ろす。
ほんのり甘い香りが漂ってきて、直也は鼓動が早くなるのを自覚した。
(ま、まさかこれ……誘ってる!? いける!? 今日、俺、男になる!?)
「なぁ、相沢ってさぁ……童貞でしょ?」
「うぎゃああああああっ!!」
思わず奇声を上げてしまい、隣のクラスから壁ドンが飛んできた。
玲奈は腹を抱えて笑っている。
「はっは! まじウケるんだけど! ほんとに叫ぶとは思わなかったわ!」
「な、なんでそんなこと聞くんだよ……!」
「だって顔に書いてあるし~。ってか、あんた真面目そーだし、女子とか苦手でしょ?」
図星すぎて何も言い返せない。
だが、こんなチャンスは滅多にない――そう考えた直也は、勇気を振り絞った。
「……なあ、ちょっとだけ、話せる場所ないか?」
「はぁ? どゆこと?」
「い、いや、ちょっとだけでいいんだ! 10分だけ! お願い!」
玲奈は不思議そうに眉を上げたが、しばし考えた後「ま、いいけど」と立ち上がった。
「変なことしたら、スマホぶっ壊すからな?」
「ぜ、絶対しない! うん、誓う!」
(いや、する気満々だったけど!?)
ふたりがたどり着いたのは、学校裏の体育倉庫前。
放課後は人通りもなく、ちょうどいい“実験場”だった。
「で? ここで何すんの?」
玲奈は壁にもたれ、足を組んでこちらを見る。
その姿が妙に色っぽくて、直也は言葉を失いかけたが、すぐに我に返る。
(落ち着け……冷静に……! 今度こそ“催眠で大胆になってもらう”んだ!)
「えっと……催眠、って知ってる?」
「ん? ああ、なんかテレビとかで見るやつ? 変な芸人が鶏の真似してたり?」
「そ、それそれ!」
直也はおもむろにスマホを取り出し、《マインド・コントローラー》を起動した。
(よし……いける……! 今度こそ……ッ!!)
「れ、玲奈……催眠にかかると、心が軽くなるっていうか……素直になれるっていうか……」
「は?」
「だから……ちょっとだけ、協力してくれたら……その……楽になると思うんだ!」
玲奈は目を細め、じっと直也を見つめた。
「……なに、それ。あんた、あたしのことからかってんの?」
「へっ……?」
一瞬で、空気が凍った。
空気が一変した。
直也の背筋に、ぞくりと寒気が走る。
玲奈は笑っていなかった。
さっきまでの軽口を叩くギャルの表情ではない。
目の奥が、どこか冷めていた。
「催眠ってさ、そういうのって――他人を操って、好き勝手にできるとか、そういうの想像してんでしょ?」
「え……そ、そんなつもりじゃ……!」
「ふーん……ほんとに?」
玲奈は壁にもたれたまま、ポケットからスマホを取り出してクルクルと回し始めた。
(や、やばい……地雷踏んだ!? 俺、なんかとんでもないことしようとしてた!?)
直也はあわててアプリを閉じ、両手をぶんぶん振る。
「わ、悪気はなかったんだ! 本当に変なことしようとかじゃなくて! ただ、その……!」
「……本気で思ってる? あたしがそういうことされても笑って許すタイプに見えた?」
玲奈の声には、怒りというよりも、疲れが滲んでいた。
そして、少し沈黙があってから――ふ、と彼女が笑う。
「……でもさ、やっぱ相沢って面白いね。変なやつ」
「え……?」
急激な温度差に直也の頭が追いつかない。
「マジで催眠とかやるとは思わなかったし。……けど、まぁ、ちょっとだけ話し相手にはなってあげるよ。どうせ暇だったし」
「え、あ、ほんとに……?」
「うん。でもひとつ条件つきね」
玲奈は、さっきまでとはまるで違う声で言った。
「変なこと言ったら、ぶん殴るから」
「……がってんです!」
直也は即答で敬礼した。
倉庫裏の小さな石段に並んで座るふたり。
すっかり夕焼けに染まった校舎の影が、長く伸びていた。
「ねえ、相沢」
「な、なに?」
「もしもさ、催眠がほんとに使えるとして……誰かに『悩みとか、全部忘れて笑って生きろ』って命令できるとしたら……する?」
「え……それは……」
突拍子もない問いかけに戸惑うが、直也は真面目に考えた。
(催眠で全部忘れさせる……か。たしかに、それができたら楽かもしれないけど……)
「……ううん、しないと思う」
「どうして?」
「悩みって、消したら楽になるかもしれないけど……それって、自分が頑張ったり、大事にしてたものまで消えちゃう気がするから。……都合よく忘れるのって、ズルい気がするんだ」
玲奈は、ほんの少しだけ目を丸くした。
「ふーん……意外と、真面目じゃん」
「お、おい、馬鹿にしてんだろ……」
「ちょっとだけね」
玲奈はくすりと笑った。
その笑顔は、学校で見せるギャルのそれとは違い、少しだけ儚げだった。
「……あたしさ、家でちょっとめんどくさいことがあってさ」
玲奈がぽつりと言った。
「母親がいなくて、父親はほとんど帰ってこないの。妹の面倒見なきゃだし、家事もやらなきゃだし……で、学校では“ギャル”ってことで、気楽に見られて」
「……」
「別に、かわいそうとか思ってほしいわけじゃないけど……。なんか、たまにむなしくなるんだよね。“元気でバカなギャル”やってんのも」
直也は、ただ黙って彼女の言葉を聞いていた。
心の中では混乱していた。
(え、なにこれ……ギャルって……こんなに……ちゃんと“人”だったの……!?)
当然だ。
けれど、普段の軽いやり取りや見た目に騙されて、そんな当たり前のことを見落としていた。
そして、今。
直也はようやく“催眠”の使い道を変えようと思った。
「玲奈」
「ん?」
「……催眠、かけてもいい? 変なことしない。むしろ、ちゃんと心を軽くするやつ」
玲奈は少し驚いたように直也を見て、ふっと息をついた。
「……あんた、やっぱ変なやつだわ。でも――そういうの、嫌いじゃないかも」
――催眠なんて、信じてなかった。
それが玲奈の本音だった。
でも目の前の直也の顔は、真剣そのもので。
「信じてなくてもいい。眠くなるわけでも、意識がなくなるわけでもない。
ただ……少し、心が軽くなるかもしれないから」
夕焼けの中、まるで別人のように穏やかな声で言う直也に、玲奈はほんの少しだけ、興味を抱いてしまった。
「じゃあ……やってみなよ」
玲奈は軽く目を閉じた。
その横顔はいつもの“強がったギャル”じゃなく、どこか無防備だった。
直也はそっとスマホの催眠アプリを起動し、“安心誘導モード”を選ぶ。
画面に浮かぶヒントを見ながら、彼はゆっくりと語りかけた。
「……呼吸に意識を向けて。吸って、吐いて……世界が少し静かになる……」
玲奈の肩がすっと落ちる。
「まるで、湖の底に沈んでいくみたいに、ゆっくり……ゆっくり……」
周囲の音が、遠くなった気がした。
「今、心の中に浮かんできたこと……言葉にしなくてもいい。ただ、それを“そのまま”見つめてみて」
直也は手のひらを広げて、玲奈の方へ向ける。
「……そこに、“悲しい”って書いてあるなら、そのまま。
“怒ってる”なら、それもそのまま。……ぜんぶ、正しい感情だから」
玲奈の表情がわずかにゆるみ、眉間のしわがほどけた。
その瞬間、直也の心に、何かあたたかいものが流れた気がした。
(……これでいい。これが、俺の催眠の使い方で……いい)
そのときだった。
「……泣いて、いい?」
玲奈が、ぼそりとつぶやいた。
目を開けることなく、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「なにが“強く生きてる”だよ……泣きたい時くらい、泣かせろっての……」
言葉にならない感情が、静かに、でも確かにあふれ出していた。
直也は何も言わずに、そっとハンカチを差し出した。
玲奈はそれを握りしめたまま、しばらく声を殺して泣き続けた。
日が完全に落ちるころ、玲奈の呼吸は落ち着いていた。
「……ごめん、変なとこ見せたね」
「ううん。……見せてくれて、ありがとう」
「……ふっ、なんそれ。クサっ」
玲奈は鼻をすすりながら笑った。
けれどその笑いは、いつもの強がったギャルのものではなく、どこかほっとした、素の笑いだった。
二人はゆっくりと立ち上がり、学校の裏道を歩き出す。
「それにしてもさ、相沢……あんた、ホントは何がしたくて催眠なんて始めたの?」
「えっ……あっ、それは、その……!」
一気に動揺する直也。
顔が真っ赤になる。
(ま、まずい……言えない! “エロいことがしたくて”なんて、絶対言えない!!)
「あー、やっぱ図星かー!」
玲奈はわざとらしく肩をすくめて笑った。
「そーだと思った。なんかエッチなことでも考えてたでしょ~?」
「ち、ちがう! いや、ちがくないけど、でもちが……!」
「あはは、なにそれ。否定しきれてないじゃん!」
玲奈は声をあげて笑いながら、すっと直也の腕を取る。
「まぁ、そういうのも含めて、あんたちょっとだけ見直した。……ありがとね」
その一言に、直也の動きがピタリと止まる。
「え……?」
「助かった。あの催眠。ちょっと、心軽くなった気がする」
笑顔でそう言った玲奈の顔は、いつになく――いや、“本当の彼女”そのものだった。
(……まただ。俺、またエロいことできなかった……)
内心の嘆きを抱きながら、それでも直也はどこか嬉しそうだった。
次の日の朝。
直也は教室に入った瞬間、異変に気づいた。
「……あれ? なんか、視線……多くない?」
普段は空気のような存在なのに、やけに女子たちの視線を感じる。
目が合うとそらされたり、小声でヒソヒソされたり。
(ま、まさか……昨日の催眠のこと、ばれた!?)
内心大パニックになっていると、後ろの席の男子・佐伯が声をかけてきた。
「おい直也、おまえ昨日のやつ、マジだったのかよ!」
「へっ?」
「杉山とふたりで、放課後いちゃいちゃしてたってウワサ、全校に回ってんぞ! しかも、“泣かせてた”って……」
「ちょ、ちょっと待って!? 違う、違うんだ! 俺はそんなこと……!」
そこにタイミングよく(悪く)、玲奈が教室に入ってくる。
「よっ、相沢。昨日はありがと」
「……って、それがダメだってぇぇええ!」
直也は机に突っ伏した。
「誤解が誤解を呼んで、俺がただのプレイボーイみたいになってるじゃねえかああ!」
「だって事実でしょ? 泣いたのはマジだし、寄り添ってくれたし。あれ、ちょっとキュンときたわ」
「それ言わないでええええ!」
直也の悲鳴が、朝の教室に響いた。
そんな騒動の裏で、ある“事件”が起きていた。
【SNSのトレンド】
「学校裏で泣いてたギャルを慰めてた男子、ガチで聖人説」
「手だけ貸して、身体は触らないってどんな紳士だよ」
「顔は地味だけど、実は彼女多い説(早くも5人目という謎のデマ)」
直也の知らぬ間に、校内の誰かがスマホで玲奈と直也の“密会”写真を撮り、
それがあれよあれよとネットに拡散されていた。
それはたまたま玲奈が泣きながらハンカチを受け取っている瞬間。
見ようによっては、かなり“青春ドラマ的”なワンシーンだった。
「あの子、杉山先輩じゃない?」
「なにあの男子、地味だけど優しそう……」
「てか、ちょっとカッコよく見えてきた……」
女子のあいだでも「相沢直也」の名前が急浮上し始めていた。
そんな空気とはまったく無関係に、本人は昼休みに一人、中庭で落ち込んでいた。
「……またエロいこと、できなかった……」
昼の光の中で、彼は枯れ葉を見つめながらつぶやく。
「俺……何してるんだろうな……」
その姿はもはや哲学者である。
「エッチなことしようとして、なぜか毎回相手の心を癒して……
気づいたらモテてる……って、どんな新手の修行なんだよぉぉぉおお!」
頭を抱えていたところに、ひょっこりと背後から誰かが現れた。
「またひとりでうじうじしてんの、相沢くん?」
「うおっ!?」
振り返ると、そこには昨日の幼なじみ――ひまりの姿があった。
「……昨日、ギャルの子と一緒に帰ってたでしょ?」
「え、あ、いや、あれは誤解で……!」
「ううん、誤解じゃないと思うよ?」
にこにこしながら言うその目が笑っていない。
「ま、私としては……“直也くんが誰と仲良くしてるか”は気になるけどね?」
「え、ひまり……?」
「ふふっ、なんでもなーい♪」
手を振って去っていくひまりを見送って、直也はまた頭を抱えた。
(やばい……なんか知らんが、修羅場フラグ立った……!?)
「――というわけで、相沢直也の株が爆上がりしている件について」
放課後の男子トイレ。
個室の中で身を潜めていた直也は、スマホで友人の佐伯が送ってきたSNSのスクショを見て震えていた。
《モブ男子がギャル泣かせてる構図、尊すぎる》
《メガネ男子+ハンカチ=無敵》
《あのギャル、素で惚れてんじゃね?》
《相沢、意外とイケメン説》←!?
「な、なんだこの無駄なバズり方はぁぁぁああ!!」
思わず個室で叫び、他の利用者に咳払いされる。
こっそりトイレを出ると、すれ違った女子生徒にじろっと見られ、
「……あれがウワサの……」なんてヒソヒソされて、直也は顔を真っ赤にした。
(やばい。完全に“モテキャラ”扱いされてる……俺なのに……!)
モテたい願望はある。
けれどこれはなんか違う。だって、エロ目的で催眠使ったのに、毎回いい人認定されてるって――
「これは呪いか……?」
直也は虚空を見つめた。
その日の帰り道。
コンビニに立ち寄って出てくると、制服姿の少女が壁に寄りかかっていた。
金髪にピアス。どこか気まずそうな顔の玲奈だった。
「……よっ」
「お、おう……どうしたの?」
「別に。ただ、ちょっと話したいことあってさ」
玲奈はスマホを差し出した。
画面には――例の、ハンカチを渡してる写真。
「これ、知ってる?」
「うわああ! 見ないでえええ!!」
思わず顔を隠す直也。
だが玲奈は、それを見て笑った。
「安心して。撮ったの、私じゃない。だけど……この写真、好きだなって思って」
「え?」
「“自分がちゃんと弱くてもいい”って思えたの、たぶん初めてだったから」
玲奈の目は、まっすぐだった。
「だからさ……ありがと。あたし、ちょっとだけ変わろうって思った」
「……それ、催眠のおかげ、だったのかな」
「ちがうよ」
玲奈はあっさり否定した。
「催眠なんて、たぶん半分くらいしか効いてなかった。でも、あのときの“相沢の声”が――素だったから、救われたの」
直也は言葉を失った。
(……俺、ただエロいことがしたかっただけなんだけどなぁ)
「……ま、だからって惚れたりはしないけど?」
「そ、そりゃ、そーだよな!」
「……でも」
「え?」
「ちょっとだけ、“あたしのことちゃんと見てくれた”って、思ってるよ」
そう言って、玲奈はウィンクを残して歩き出す。
「あんま調子乗んないでよね~、童貞!」
「おいぃぃぃいいい!」
いつもの調子に戻った玲奈の背中にツッコミを飛ばしながら、
直也はようやく“何かが変わり始めた”ことを実感していた。
(……でも、次こそは、エロいこと……してやるからな……!)
ふたたび拳を握りしめ、空に誓う直也だった。
だがその数歩後ろで、幼なじみのひまりがこっそり彼の様子を見つめていたことに――彼は気づかない。
「……ふーん。そっか。やっぱり、直也くんって……そういう人なんだ」
その声は、どこか寂しげで。
そして、ほんの少し――闘志を秘めていた