14 ハリス視点
「はぁ…」
私は今殿下の執務室の扉の前に立っている。誰もこの部屋に入れるなとの指示だ。執務室の中にある文官室には殿下とシルフィー殿がいる。
「無事に終わってくれればいいのだが…。はぁ…」
私は扉に目をやり、もう一度深く息を吐く。まもなく夕日が沈もうとしていた。
◇◇◇
私がこのような状況になっている理由はつい数日前の出来事が関係している。その日シルフィー殿から話があると言われ、きっと仕事の話だろうと軽い気持ちで話を聞いたのだ。それが間違いだったことにすぐに気がついたが、時すでに遅し。さらには私から殿下に伺いを立ててほしいと頼まれてしまった。
たしかに私はシルフィー殿の直属の上司だから相談事があればまず私に話すのは間違っていない。だけどそれが普通の仕事の相談事でかつ殿下の想い人からの話でなければ、だ。
殿下は旧シャウト王国でシルフィー殿に助けられたあの日から彼女のことを想っている。それは皇帝陛下や皇后陛下、殿下の侍従である私や文官ですら知っていることだ。
今現在殿下には婚約者はいないがすでに想い人がいて、皇帝陛下も皇后陛下もお認めになっている令嬢が存在することを明かしている。年頃の娘を持つ貴族たちを牽制するのが目的であるが、その殿下の想い人である令嬢が誰かまでは分からないようにうまく情報を操作してきた。あとは想い人であるシルフィー殿に殿下が想いを告げれば、という段階での出来事だったのだ。
私は半ば呆然としながらもなんとか聞き出せるだけの話を聞き、間違ってもシルフィー殿から殿下に話すことがないようにと釘を刺すのが精一杯であった。
ちょうどこの日殿下は視察に出掛けており、戻ってきたのはシルフィー殿から相談されてから二日後のことだった。
私は殿下が戻られるまでの二日間は生きた心地がしなかった。どのように話をすればうまく収まるかと、どれだけ考えてもうまくいく未来が全く見えない。間違いなく荒れるだろう。皇帝陛下のように目に見えて怒り狂うわけではなく、殿下は静かに怒り荒れるのだ。ただその怒りをシルフィー殿にぶつけることはない。その代わりとばっちりを受けるのは私だろう。
(シルフィー殿、時期が悪すぎますよ…。もう少し待ってほしかった…!)
しかし今さらそう思ってもどうすることもできない。私がするべきことは殿下にシルフィー殿のことを報告することだ。
「すぅ、はぁ…」
私は一度深呼吸をして心を落ち着かせた。何事も落ち着いて対応できないようであれば殿下の侍従失格だ。私は心を落ち着かせ扉を叩いた。
――コンコンコン
「殿下、今よろしいですか?」
「入れ」
「失礼いたします」
殿下は朝から執務机で仕事をこなしているところだった。きっと視察の報告書を仕上げているのだろう。
「殿下、お疲れ様でした。視察はいかがでしたか?」
「ああ、視察は無事に終わったよ」
「たしか治癒能力を持った者が現れたのですよね?」
「そうだ」
「その方にはお会いになられたんですか?」
「まぁそのための視察だからな」
実は先日皇都にある教会の本部から治癒能力者が現れたので保護していると、皇室に極秘で報告が上がってきたのだ。治癒能力はとても貴重な力だ。だから一刻も早く確認をする必要があり、そのために殿下は視察として数日間出掛けていたのだ。
「どのような方だったのですか?」
「たしか私と同い年だったな。両親は共に平民で貴族と繋がりのない女性だ。たまたま住んでいる街の教会で治癒能力が目覚めたと言っていたな」
「それはまたいいタイミングでしたね」
「本当だよ。能力に目覚めたのが教会ではなく街中のような人目の多い場所だったなら彼女は危険に晒されていたかもしれない」
「その通りですね」
その彼女は相当運がよかったのだろう。ちょうど教会の関係者しかいない時に、教会に併設してある孤児院の子どもの怪我を治してみせたのだそうだ。彼女自身も驚いたことだろう。彼女が治癒能力に目覚めたことはまだ教会の人間しか知らない。これが殿下の言う通り不特定多数の者に知られていたら、彼女は悪い人間に狙われただろう。だからシルフィー殿も殿下に能力を使うまでは父親と母親にしか能力を打ち明けていなかったのだから。
「どうやら今代は複数の治癒能力者が生まれる時だったのだろうな。これならシルフィーの負担も減るだろう」
「っ、え、ええ、そうですね…」
シルフィー殿を殿下の伴侶にするにあたり、彼女の能力を公表する予定だ。もちろん殿下が彼女に想いを伝え受け入れられてからの話なのだが、平民であるシルフィー殿を皇太子妃にするには能力の公表は必要だ。それに皇太子妃になるのであればむしろ能力を公表していた方が安全だ。そうすれば貴重な治癒能力者を害そうとする馬鹿は格段に少なくなるし、もし他国の人間が彼女を狙おうとしても彼女は世界一の国力を誇るバーミリオン帝国の皇太子妃だ。喧嘩を売ってくる国など無いに等しい。もし喧嘩を売ってくる国があるとすれば、その国は滅ぶことを覚悟しなければならないだろう。
それにしてもまさかここでシルフィー殿の名前が出るとは思わず、少し歯切れの悪い返事をしてしまった。すると殿下がその事に気づいたようで私に問いかけてきた。
「そういえばこんな朝早くにどうしたんだ?ただ視察の話が気になったってわけじゃないだろう?」