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「…ハリスさん。少しお時間いいですか?」
「どうかしましたか?」
「えっと、ちょっとここでは…」
「分かりました。では隣の部屋に移動しましょうか」
「ありがとうございます」
私はハリスさんの手が空いたのを見計らい、声をかけた。今私たちがいる場所はアレス殿下の執務室の中にある文官室だ。アレス殿下は外出しているが、他に数名の文官がいるので場所を変えてもらえるのはありがたい。
執務室の隣にある部屋はアレス殿下付きの文官の仮眠室となっている。そこにはソファやテーブル、簡易ベッドがありお菓子や飲み物も常備されている。
私とハリスさんはお互い向かい合うようにしてソファに座った。
「忙しいのにすみません」
「いいえ、ちょうど一段落ついたところでしたから。それでどうかしましたか?」
「その…実はそろそろこの仕事を辞めようかなと考えていまして…」
「なっ!?ど、どうしてですか!?なにか嫌なことが!?それとも誰かになにか言われたとか!?」
「い、いえ、そういうことは全くなくて…」
「ではどうして急に辞めるだなんて…!」
いつも冷静なハリスさんがこんなにも焦る姿を初めて見た。たしかに仕事は忙しいが私がいなくなっても問題ないはずだ。だからハリスさんの反応が不思議でならない。それに辞める理由を正直に話すわけにはいかない。
「えーっと、私もこの国に移住して一年経ちましたし、この仕事をいただけたおかげでずいぶん金銭的にも余裕が出てきたんです。だからそろそろ一人で頑張ってみようかなと思って」
「…それならこのままこの仕事を続ければいいのではないですか?わざわざお一人で頑張ろうとしなくても…」
「たしかにその通りなんですが、アレス殿下もハリスさんも優しいから甘えてしまいそうでこのままじゃダメだと思ったんです」
「そ、それは…」
「それにもう一度結婚したいなって思ってて」
「えっ!?け、結婚ですか!?お、お相手がいらっしゃるんですか!?」
「え?いや、相手はいませんけど…」
「ではなぜ…!」
ハリスさんがソファから立ち上がり机に手を付き血走った目で私を見ている。怖い。ハリスさんなら『分かりました』と言ってすんなりこの話は終わると思っていたのに想定外すぎる。しかしなんとかここを乗り切らなければ。
「私、子どもが欲しいんです。そのためにはなるべく早く結婚したほうがいいかなって。それにここより皇都で働いた方が出会いがあるじゃないですか。ここで働く人は貴族の方が多いですし、平民の方も働いてはいますがほとんど既婚者ですからね」
「た、たしかにその通りですが…」
「なのでハリスさんから殿下にそれとなく伝えていただけませんか?最近殿下も忙しそうにしているので突然こんな話されても迷惑だと思うんです。もちろん後で自分からもちゃんと伝えます。」
「…」
「ハリスさん?」
「…」
「ハリスさん!」
「はっ!す、すみません!」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫…ではないですが、話は分かりました。ひとまずこの話は私から殿下に伝えますので、決して!シルフィー殿からは話さずに待っていてもらえますか?」
「は、はい、もちろんです。お手数をお掛けしますがよろしくお願いします」
ハリスさんの反応が気になるがとりあえず今はこれでいい。きっとアレス殿下なら私を快く送り出してくれるだろう。寂しい気持ちもあるが不毛な恋はしたくない。アレス殿下はヒロインとハッピーエンドを迎えると決まっているのだから。
それに先ほどのハリスさんに言った言葉も嘘ではない。私は一度離縁した身だが白い結婚だったため身体はきれいなままだ。前世を含め出産も子育ても未経験であるが、できることならもう一度結婚をして子どもが欲しいと思っている。
私はもう二十一歳だ。この世界ではもう適齢年齢を過ぎてしまっている。だから失恋が決定している恋をして時間を無駄にするわけにはいかない。きっとこの淡い想いもアレス殿下の側から離れればすぐに消えてくれるだろう。
…
……
………しかし数日後の業務終了後のこと。
私はとてつもなく戸惑うことになる。
なぜこんな状況になっているのか全くもって理解できない。
「シルフィー。さっきの話は本気なの?」
「っ!そ、それは…」
なぜか私は壁を背にアレス殿下にいわゆる壁ドンをされているのだ。
(ど、どうしてこんなことに!?)
私はどうしてこうなってしまったのかを思い返した。