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アレス殿下のもとで働き始めて早いもので一年が経った。
あれから流されるままにアレス殿下の秘書となったが、これが意外と楽しく働くことができている。給金はいいし、私の直属の上司にあたるハリスさんはとてもいい人だ。仕事も秘書と言っても前世の社長秘書みたいなものではなく、文官のような仕事なのでアレス殿下にずっと付きっきりというわけでもない。前世は事務職をしていた私に向いている仕事だった。
ただ困っていることがあるとすれば、アレス殿下との距離感だ。
アレス殿下はなんというか、私に甘いような気がするのだ。ただアレス殿下の周りに私以外の女性がいないからなのかもしれないが、平民の私にとても気を遣ってくれる。美味しいお菓子があるからとお茶に誘ってくれたり、庭園の花がきれいだからと一緒に散歩をしたり…。一番困ったのは皇后様が私に会いたいと言い、三人でお茶を飲んだことだ。その時のお茶の味など緊張しすぎて全く覚えていない。
こんな感じで何かとアレス殿下との距離が近くなることが多いのだ。呼ばれ方もアレス殿下からは名前で呼ばれるのが当たり前だし、私も『せっかく私のもとで働くのだから』と言われアレス殿下と呼ぶようになった。ハリスさんは殿下としか呼んでいないのだが。最初は名前で呼ぶことに抵抗があったが、今ではもうそれが当たり前となってしまった。慣れというものは怖いものである。
それと移住する際に渡された指輪を返そうとしたのだが、なぜだかいまだに受け取ってくれない。何だかんだと言ってはぐらかされてしまう。今の私は皇宮に入るために必要な証明書をきちんといただいているので指輪の証明は不要なのだ。だからいつでも返せるようにと指輪にチェーンを付けて常日頃から身に付けている。それをアレス殿下に言うとなぜだか嬉しそうな様子だった。私は気が気ではないというのに。
あとアレス殿下は仕事のこと以外でも私のことをよく褒めてくれる。『可愛いね』『きれいだよ』『シルフィーのそういうところ好きだな』などなど…。
正直小説のヒーローであるアレス殿下はとても美しい顔立ちをしている。そんな人に見つめられながら先ほどのセリフを言われれば、モブでしかない私でもドキドキしてしまうのは仕方がないと思う。現にこの後アレス殿下はヒロインと結ばれると分かっていてもときめいてしまっている。これ以上は好きになってしまいそうで怖いくらいだ。もし好きになってしまってもアレス殿下と結ばれるのはヒロインだ。私が失恋することは分かりきっている。だからこれ以上アレス殿下に近づかないように気を付けているのだが、あちらから私に近づいてくるので困っている。それにアレス殿下は先日十九歳の誕生日を迎えられた。ということはいつヒロインと出会ってもおかしくない状況なのだ。それなら失恋してラブラブな二人を見る前に、私はこの仕事を辞めようかと考え始めていた。