遅すぎた転職
都市ハーヴェーンは冒険者の街と呼ばれることがある。大勢の冒険者が集まるからだ。だが一般の市民がそれを喜ぶことはない。冒険者という職業の社会的地位は高くないからだ。
冒険者が大勢集まるので、ハーヴェーンには冒険者向けの施設も多くある。仕事を斡旋する冒険者ギルド、冒険者向けの宿屋、武器や防具の店、それらを修繕する工房、武器・防具以外にも冒険者にしか需要がなさそうな商品を扱う商店、怪我人を治療する治療院などである。それらの多くは都市の狭い街区に押し込められていた。地価が高い一等地からは遠く離れ、地価が安くて治安も環境もあまり良くない場所だ。だがそのことに不満を漏らす冒険者はほとんどいない。地価が安いということは提供されるサービスも安価だということであり、一箇所に必要な施設のほとんどが集まっているのは便利だし、冒険者の地位が低いのはこの都市に限った話ではないからだ。
その街区(俗に冒険者街区と呼ばれている)には爽月亭という宿屋があった。宿屋といっても建物は三階建てと大きく、部屋の三分の二は長期契約で貸し出されていた。冒険者ギルドは冒険者個人には仕事を斡旋しない。冒険者はパーティーと呼ばれる集団を編成して仕事を受注しないといけない。個人での冒険者活動は集団のときと比べるとはるかに危険だからだ。爽月亭は宿泊客だけでなくパーティーにも部屋を貸し出している。爽月亭はホテルとレンタルオフィスを兼ねた施設なのだ。
セレスタンは爽月亭を訪れていた。彼は冒険者パーティー〈蒼穹谷〉の代表を務める冒険者だ。そして〈蒼穹谷〉が借りている部屋の前に立っていた。長期契約向けの部屋の中では、下から二番目のグレードの部屋だ。以前はこれより上のグレードの部屋を借りていたが、節約のために部屋を変えた。一番安い部屋にしなかったのは、パーティーの人数を考えると狭すぎたからだ。部屋を変えたときは忸怩たる思いがあったが、それはとっくに克服した。今、セレスタンが自分のパーティーの部屋の前で緊張しているのには別の理由がある。セレスタンは腹をくくると、ドアを開けて部屋に入った。
部屋には一人の男がいた。椅子に座って銀色の楯を磨いている。楯といっても実用的な防具ではなく、記念品として部屋に飾る装飾品だ。それは冒険者ギルドがパーティーに配るもので、パーティーの等級を示すものだった。冒険者ギルドは実績によってパーティーを格付けしている。等級はその格付けの結果を表すものだ。
「よう、銀等級の楯、もらってきたぞ」
セレスタンに気づいた男は声をかけた。そして楯を磨く作業に戻る。セレスタンはいつも自分が使っている椅子に座ると、昨日まで銅色の楯が飾ってあった場所に視線を向けた。
「古い楯は?」
「返したよ。引き換えでないと新しいのは貰えないからな」
「そうだったな」
楯はパーティーの等級を証明するものだ。ギルドが管理にうるさくなるのは当然だった。
「今日はみんな遅いな」
楯を磨いていた男は、その作業を続けながら言った。
「みんなには午後から来るように、俺から言っておいた」
それを聞いた男、名をヨハンという、は銀色の楯を磨くのをやめて、かつて銅色の楯が置かれていた場所にそれを置いた。
「話を聞こう」
楯を磨いていたときに浮かべていた笑みは顔から消えていた。セレスタンは他のメンバーに聞かれたくない話をしたがっている。それを察するのに特別な頭は必要なかった。
ヨハンは経歴が十九年弱に及ぶベテラン冒険者だった。そのキャリアの全てを〈蒼穹谷〉で過ごした。代表のセレスタンを除けば最古参であり、周囲の人間からは〈蒼穹谷〉の実質的なナンバー2と見なされていた。もっともこの場にいる二人は、それを頑なに否定していた。
「〈蒼穹谷〉を辞めてもらう」
あまりにも直球すぎるセレスタンの言葉に、ヨハンは一瞬絶句した。だが直ぐに立ち直る。
「理由は聞かせてくれるんだろうな」
古い言い方だと、〈蒼穹谷〉は親方方式のパーティーだ。代表であるセレスタンが辞めろと言ったらヨハンは辞めるしかない。
「金だよ。ウチの懐事情は知っているだろう」
「そのために銀等級を目指していたんじゃないか。これからはギルドの仲介なしでも仕事ができる。仲介手数料を払わずにすむ」
「だからだよ」
ヨハンは戸惑った顔になった。
「これからの〈蒼穹谷〉に必要なのは、営業ができる人間だ。見かけが良くて、話がうまくて、簡単に相手の信用を得られて、割の良い仕事を取ってこれる人間だ」
それを聞いてヨハンは無表情になった。
「おまえのことだ。そういう人間はすでに確保しているんだろう」
「そうだ。そしてパーティーの人数を増やす余裕はない」
「そいつは俺の代わりも務まるのか?」
「いいや。だがおまえの得意の支援魔法は、ベラトーネとエルマンドも使える」
「恩着せがましい真似はしたくないが、あの二人を鍛えたのは俺だぞ」
「知っている。自分になにかあっても、パーティーに迷惑がかからないように配慮してくれたんだろう? 感謝してるよ」
長い付き合いでセレスタンの性格を知っているヨハンは、最後の一言が嫌味でも煽りでもないことは理解できた。悪意なくそういう発言をしてしまうことが、過去に何度かあったのだ。本人は言葉通り感謝の気持ちを口にしているのだ。だが理解できたからといって、言われて愉快になれるわけがない。それでもヨハンは不快感を押し殺した。忍耐力がなければセレスタンと十九年近くも付き合えないし、発言の問題点を指摘してもセレスタンは理解できない。セレスタンは頭が悪いわけではないが(むしろ良い方だ)、共感能力が欠けているところがある。
「これ以上話しても時間の無駄のようだな」
セレスタンは一度決めたことを滅多に覆さないことを知っているヨハンは、そう言って立ち上がった。
「理解が早くて助かる」
「そうか? 俺は自分の性格が恨めしいよ」
「必要な手続きはこちらでしておく。退職金は口座から払うから、明日以降ギルドで受け取ってくれ」
ヨハンは答えずに部屋を出た。彼は私物をパーティーの部屋に置いていなかった。なのでヨハン側のパーティー退会手続きはこれで終わった。退職金の受け取りを除いては。
解雇を通告された翌日、ヨハンは退職金を受け取るために冒険者ギルド本部を訪れていた。仕事をするわけではないので普段着だった。もっともギルドを訪れていた冒険者の多くは普段着姿だった。数年前までは完全武装した姿の大勢の冒険者をギルドのロビーで見ることができた。当時は依頼の数に比べパーティーの数がかなり少なく、仕事を求めるパーティーが仕事にあぶれることはまずなかった。また冒険者街区の宿屋の数も少なく、宿からギルドまで遠距離通勤している冒険者もいて、仕事を受注してから着替えのために戻るのは不合理だった。
だが今は、依頼の数とパーティーの数は近づき、マッチングが成立しないことも珍しくなくなった。また冒険者街区の宿屋の数が増えて遠距離通勤が解消されたため、武装した姿で受注に来る冒険者の数はめっきり減った。だいぶ普通の役所に近づいたなとヨハンは思った。
ギルドの受付はいくつかに分かれている。ヨハンは誰も待っていない『その他』の受付に行った。そのとき受付には誰もいなかったが、ヨハンに気づいた男性職員が軽い駆け足で受付に向かった。右足を少し引きずっていたので速くはなかったが。
「ヨハンさん、〈蒼穹谷〉を辞めるって本当ですか?」
「用件を聞く前に質問するなよ。今日は退職金を受け取りに来た」
ヨハンとしてはそれで質問に答えたつもりだったが、職員はしつこく食い下がった。
「何故なんです? 銀等級に昇格したばかりなのに」
実はこの職員はかつては〈蒼穹谷〉に所属していた冒険者だった。名をオルターという。右足を負傷して冒険者を辞めたあと、冒険者ギルドに事務員として転職したのだ。
「今はギルドの職員なんだ。パーティーの内輪に首を突っ込むんじゃない」
そう諭されてオルターは仕事に戻った(内心は不承不承だが)。今度は歩いて書類棚に向かうと、必要な書類を取り出して受付に戻ってきた。
「これがパーティー退会手続きの書類です」
ヨハンは渡された書類を確認した。退会者の署名欄を除いて、すでに全て記入済みだ。必要な手続きはこちらでするというセレスタンの言葉は本当だった。そこに記入されていた退職金の金額は、自分で試算した金額と一致した。
「オッケーだ。現金で頼む」
そう言いながらヨハンは署名した。ギルドが金を支払うときの手段は二種類ある。現金と手形だ。手形はギルドと取引のある両替商に持っていけば換金できる。少額のときは現金のみ、高額のときは手形のみだが、今回は選ぶことができた。もちろん退職金を払うのは〈蒼穹谷〉だが、〈蒼穹谷〉がギルドに作った口座から引き落とす形で支払うのでこうなった。
その受付には現金は置いてなかった。出納係のところへ行こうとするオルターに、ヨハンは新たな頼み事をした。
「ギルド長と話したい。ついでに取り次いでくれないか?」
「驚きましたよ。ナンバー2の貴方が〈蒼穹谷〉を辞めるとは」
形式的な挨拶を交わしたあと、ギルド長はそう言った。
「それはちょっと違う。〈蒼穹谷〉のメンバーは二種類しかいない。セレスタンとそれ以外だ」
そう言われてギルド長は軽く困惑した。ヨハンは「自分はナンバー2ではない」と言いたいのか、それともセレスタンの横暴ぶりを批判したいのか、判別に迷ったのだ。あるいは単にセレスタンが唯一の出資メンバー(制度の変更が行われてから、親方方式と共同経営方式という区別はなくなっていた)だから、そう言ったのかもしれない。
その困惑をギルド長の表情から読み取ったヨハンは、言葉を補った。
「それでパーティーは上手く回っていた。セレスタンのことだ、これからも上手く回すだろう」
どうやら愚痴を言いに来たのではないらしい。ギルド長は少しホッとした。
「そうですか。それで、どのようなご用件でしょう?」
「単刀直入に言うと、自分をギルドで雇ってもらえないだろうか。冒険者としては引退を考えてもおかしくない年齢だが、ギルドの役に立てると思う」
「今は職員の募集はしていません」
こうしたお願いは頻繁ではないが、ときどきはある。ギルド長は反射的に遠回りな断わりの定型句を口にしたが、目の前の人物がギルドとは因縁浅からぬことを思い出して、言葉を続けた。
「かつて貴方がギルドに多大な貢献をしてくれたことは覚えています。私がギルド長に就任して最初にした仕事は、貴方をギルドの幹部に勧誘したことですからね」
「あのときは〈蒼穹谷〉を抜けるわけにはいかなかった。戦力が大幅にダウンしただろうし、最悪等級が下がる可能性もあった」
それは『それ以外』のメンバーにできる判断ではないだろう、ギルド長はそう思ったが口にはしなかった。口にしても話が無駄に長くなるだけだからだ。
「そのせいなのかは存じませんが、貴方はパーティーメンバーの育成にも力を入れていましたね。それと同じように、ギルドも職員の育成に力を入れていたのです」
それを聞いて、ヨハンは椅子から立ち上がった。
「無駄な時間を取らせてしまい、すまなかった」
「いいえ、お気になさらず。むしろご理解が早くて助かります」
ギルド長のその言葉を聞いて、ヨハンは無意識に自虐的な笑みを浮かべた。
「同じことをセレスタンにも言われたよ」
ヨハンがギルド長の執務室を出ると、オルターが声をかけてきた。
「ヨハンさん、すみません」
「何を謝っているんだ?」
「俺が転職するときは助けてもらったのに……」
どうやら会話を立ち聞きしていたらしい。だがヨハンはそれを咎めなかった。どちらかといえば、それはギルド長か、オルターの上司のパウラの仕事だろう。
「おまえが謝ることじゃない。タイミングが悪かったというだけの話だ」
「でも……これからどうするんですか?」
「当面の金はあるから、ゆっくり考えるよ。求人票が見たくなったらまた来るさ」
そう言い残してヨハンはギルド本部を去る……はずだった。