迷惑系令嬢が温泉旅館の中にいた
冬休み、小学五年生のアズキが父親と二人、温泉旅館にやってきた。一泊二日の父子家族旅行である。
夕食の後、旅館内の娯楽場に赴くと、髪をさらさら金色に輝かせるイギリス人かフランス人か識別できない西洋人の令嬢がいた。十五歳くらいに思えるけれど、西洋人は見た目より若いはず。
そんな令嬢がアズキに話し掛けてくる。
「たまごを二つ持っているわ。生たまごと温泉たまご、どちらが生たまごか、当ててご覧なさい」
「えっ、どうして?」
「外れたら、パスワードを奪うわよ」
「SNSとかにログインするパスワードかしら?」
「いいえ違うの。心の中を覗くために使う生体パスワードよ」
「そんなの嫌だわ」
「生たまごが当たれば奪わない」
「あなたが噂になっている迷惑系令嬢でしょ?」
「そうよ」
「生たまごを当てればいいのね」
「できるものなら」
アズキは物理学を熟知していて、生たまごと温泉たまごの違いを見抜くことくらい余裕だった。
「あなた、お名前は?」
「ミシシッパワニよ」
「ミシシッピワニじゃないの?」
「ミシシッパワニ!」
令嬢が言い張るので、アズキは得心できた。
「ミシシッパワニが持っているのは、両方とも温泉たまご」
「それがファイナルアンサーかな」
「ファイナルアンサーだわ」
「小娘、どうして分かった!」
「流体力学を知っていれば、生たまごと温泉たまごの違いが分かるの。でも、この二つには、流体力学的な違いが認められないわ。つまり、どちらを選んでも不正解となるように、あなたが仕組んだ罠ってこと」
「くそう!」
ミシシッパワニが地団駄を踏んで悔しがった。
それから開き直って、負け惜しみを話す。
「まあ構わぬ。われは五十億人のパスワードを奪った。わははは!」
「そのパスワードは、すべて書き替えたわ」
「なぜだ? どうやった?」
アズキが勝ち誇ったような表情で説明する。
「あなたの心を書き替えるために使うパスワードを、あたしが奪ったから」
「われの生体パスワードが、どうして分かる!」
「うふふふ。数字で六桁、とても簡単だったわ。パスワードに名前や生年月日を使うと危険だから、これからは気をつけなさいね」
「うぬぬ~、小癪な地球人め!」
ミシシッパワニが正体を現す。
碧色をした揚羽のような蝶だった。
「覚えていやがれ!」
一つ言葉を残した上で、蝶はひらひら飛び去る。アズキが見送りながら「やっぱり蝶系統動物だったのね」とつぶやく。
こうして地球人の生体パスワードが守られた。