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第三話 隻腕の女 その1 勝彦の苦悩

  御泥木電源開発社本社ビル最上階重役会議室。

 御泥木電源開発社最高責任者渡部と副社長が顔をつきあわせ深刻な顔つきで話をしている。

「どうしたものだろうかな」

 渡部がそう言うと溜息をつき、革張りの椅子に勢いよく背をあずけた。

「そうですよねえ……あの吉田支部長が資金提供の話を出してくるとは思いませんでしたよ」

 テーブルに両肘をついている副社長は両手で顔を覆った。

 渡部は怒り狂うように言い放った。。

「何が資金提供だ。早い話が賄賂だッ。……たかが、実験用地の借り受けにこうも苦労しないとならないとはな。到底納得できんッ。第一彼処は半官半民だぞ。それを暗に賄賂を要求するなんてッ」

 渡部の怒りように副社長は身震いした。

「実験用地無料貸し出しは当社に決まってたはずです……が何故反故にしたのでしょう」

 渡部は憮然とした調子だ。

「余所がさらに増額提供したんだろう。実験炉の仕組みは完璧だ。こうなったらなんとしても用地買収を行い、実験炉と同時に本格発電炉を建設しないとならない。一度決まったことをひっくり返されてはたまらん。令嬢婦人の使いより、やっぱり総帥閣下が行くべきだったな」

 副社長は深く溜息をついた。

「まあ、そうは言っても後の祭りですよ。しかし用地確保の段階から躓いていてはこの先が思いやられますね」

「早いところ何とか目途を立てないと当社の存在意義が問われることになる。さらに総帥閣下に顔向け出来ない」

 渡部最高責任者は椅子から立ち上がると後ろ手に組み、宙見つめ呟いた。

「総帥閣下がご存命ならこんなことにはならなかったはずだ……」



 話は数ヶ月前に遡る。

 未だ夜が明けきらない冬の午前六時。

 曾太郎と次男雅弘が御泥木御殿最下部巨大車庫に姿を現した。そこには岡田と数人の護衛が待っていた。

 曾太郎は岡田に言った。

「金四大探偵社の杉田副社長には弥生の行動を知らせるようにな。それと喫緊の事態が発生したなら驚愕一号の通信回路を使って報告してくれ。通信回線はいつも開けている。頼んだぞ」

「かしこまりました」

 岡田は二人に頭を下げる。

「お父様、こんない早くに何処に出かけるのでしょうか」

 雅弘の言葉に曾太郎が言う。

「これから国際空港ナリタに向かう。ミニブラックホールを利用した時空間移動システムをカナダに売り込むのを手伝うのだ。カナダのキング副首相とは旧知の仲だ。計画は聞いてくれるだろうし、あわよくば資本提携が出来る紹介が受けられるかも知れんぞ」

 雅弘は疑わしそうな目つきをした。

「時空間移動ってなんですか。なんだか途方もない絵空事のように聞こえます。それに超小型核融合炉の話はどうなります?」

 曾太郎は明確に答えた。

「時空間移動システムは移動しながら話そうじゃないか。超小型核融合炉建設は御泥木電源開発社の重役連中が旨く立ち回るはずだ。わしらはそのお膳立てをしているにすぎん。助言はするが、わしらは次の事業に移る。さあ乗れ」

 曾太郎は雅弘を促すように車に乗せた。

 一方、警視庁からの一報以来、何日にもわたって報道関係各社が御泥木御殿の門扉の前でビデオが、ライトが、報道関係者が、スクープをものにしようと、目をぎらつかせ、曾太郎の車が出てくるのを待ち構えている。

 近隣の住民からの要請で警察が報道関係者に排除勧告しても、直ぐに集まってくる。民事不介入の警察にとって強制排除出来ない頭の痛い問題だった。

 守衛所から一人の男が出てきた。

「報道各社の皆さん、ご苦労様。残念ながら総帥閣下はここからは出てきません」

 そして守衛は空を見上げた。

 夜明けの暁の中はるか彼方から黒い影が見える。ぽつんとした影が徐々に大きくなる。それはヘリコプターだ。

「本日は総帥閣下はあのヘリで国際空港ナリタに向かうのです」

 待機していたマスコミ連中からどよめきが起こり、蜂の巣を突いたのような騒ぎになった。

 色めき立つ報道各社を前に周辺を意識して消音を施した特別ヘリが御殿の屋上に着陸した。

「曾太郎総帥はヘリでナリタに向かうようだ。本社連絡、ヘリをチャーターだ」

「ドローンの準備だ。屋上を狙え」

「追え、追えっ」

 曾太郎はまるで犯罪者だ。報道ビデオが屋上に狙いをつけるが、小高い丘の上にそそり立つ建物の屋上を見ることは出来ない。

 直ぐさま、ヘリは屋上から飛び立った……。

 しかし、これはマスコミから目をそらせる陽動作戦だった。

 御泥木御殿裏、最下部からシャッターが少しせり上がった。

 そこから数人の男が顔を出し辺りの様子を覗う。

「誰もいない。でるなら今だ」

「総帥閣下、発車します」

 静かに音を立てた大型電動シャッターが半開きに鳴り、曾太郎と雅弘を乗せていることを悟られないように地味な車体色のワンボックスが出てきた。

 先導する一台の車と曾太郎達を乗せたワゴン車の後にもう一台の護衛車がつく。さらにあとをつけるように一台の警察車両が続いた。

 三台の車列が直列にならび、離れて警察車両が続く。薄暗く寒々とした光景の中、一般道から首都高速三号渋谷線に入った。そこから湾岸線経由で国際空港ナリタまでひた走る予定だ。

 首都高速を走る車はまばらだ。空いている首都高速に颯爽と車列が続く。

 静かで振動もしない車中では、沈み込むようなふかふかの座席に優雅に二人がふんぞり返っている。

「うむ、御泥木自動車も腕を上げたな。ヨタヨタ車体、オッサン自動車にも負けない造りだ。どうだ、雅弘」

「お父様のおっしゃるとおりです」

 雅弘の言葉に曾太郎は笑い声を上げた。

「そうだろう。それに一番の味噌は超高圧圧縮水素エンジンだ。このアイデアを出したのは誰だと思う?」

「御泥木自動車ですか?」

 曾太郎はくすりと笑った。

「ワシだよ」

 雅弘は呆けたように信じられないという顔をした。

「そうですか……」

 曾太郎の自慢話が続く。

「ワシのアイデアを見事に具現化させた御泥木自動車の手腕も見事だがね。それと海水から水素を生み出すアイデアを出したのもワシだ。これは御泥木科学工業が尽力した結果でもある」

 雅弘は首を左右に振った。

「お父様の頭の中はいったいなんでできてるのでしょうか。知りたいぐらいです」

 上機嫌の曾太郎は雅弘に顔を向けた。

「こうなれば嬉しい、とか、この様なことが起きれば世の中はもっと明るくなる、とか、この現象はどこから来るのだろう、とか、何気ない常日頃の日常からヒントを得るのだ。そうそう……それと、近い将来ワシはお前に相応しい嫁を紹介する。ワシが選んだ嫁はきっと気に入るはずだ。先代の父、加茂二郎が弥生を連れてきたのと同じでな。……もっとも今では、ちょっと困りごとがあるが。……まあそれより、跡継ぎが出来たならワシは弥次郎と同じくお前に家督を譲り、隠居する。十年後二十年後はお前の時代だ。御泥木財閥を益々繁栄させてくれ」

 雅弘は困ったような顔をした。

「お父様、跡継ぎは兄ではないのですか」

 上機嫌だった曾太郎は急に真顔になった。

「勝彦か? お前の前で言うのもナンだが、アイツは駄目だ。弥生に甘く育てられた、あんなお人好しでは財閥を動かす度量がない。その点雅弘、お前の面構え、眼力、お前は勝彦とは違うぞ。財閥を背負って立つ気構えがある。お前が継ぐのが相応しい。そのためにワシはお前を連れ回しているのだぞ」

 雅弘は困った顔をした。

「それは分かりましたが……兄を差し置いては、どうしても気になります」

 曾太郎は雅弘を見つめる。

「勝彦には海外留学とか遊ばせるようにする。何なら弥生と共に世界一周の旅をさせてやってもよい。ゆくゆくは離れを建て、そこで暮らしてもらうようにする。心配するな。ワシの後継者はお前しかおらん、期待するぞ雅弘」

「そう褒められても、お父様……」


 二人の会話はそこまでだった。


 先導していたワゴン車が突然爆発した。

 制御不能な車が派手な火の玉となった。

 ブレーキを踏む余裕もない。曾太郎達の乗ったワゴン車が勢いよく突っ込んだ。

 後続の車両ももぶつかり壁面に衝突する。三重衝突だ。

 朝焼けに巨大な紅蓮の火柱と黒煙が湧き上がった。

 辛うじて警察車両だけは車両火災を逃れ、中の警官が飛び出す。だが、突如さらに大きな爆発音が連続した。

 数百という耐圧試験と安全性を高めたはずの超高圧圧縮水素タンクがあっさりと爆発したのだった。

 爆発は辛うじて逃れていた警察車両だったが爆風の威力は凄まじく、爆風で警官が宙に飛び道路下に落下した。火を噴いた警察車両が勢いよく横転し警官が下敷きになった。

 

 夜明け直後の御泥木御殿控え室のテレビは、毒にも薬にもならない番組が流れている。そこには非番の岡田が目を細めながら見るとは無しに眺めている。

 急に画面が切り替わり緊迫したニュースキャスターの顔が写った。

「突然ですが、ここで臨時ニュースです。首都高速三号線で多重事故が発生しました。事故車両は燃え上がっており、懸命の消化活動がされております。警察官数名が爆発に巻き込まれた模様です」

 緊急報道を椅子に座っていた岡田は指を組み冷ややかに見つめていた……。終わるとゆっくりと立ち上がり、腕を組み冷ややかに呟いた。

『計画通りだ……』


その1 勝彦の受難

 その日は朝から強い北風が吹いていた。曇天で今にも雪が降りそうな天気だ。

 今日の作業指示し終わっていた杉田は、物憂げに窓から外を見ている。

 行き交う人々は防寒服の襟を立て、あるいは首元にマフラーを何重にも巻き付け、冷たい風が吹き渡っている街中を、急ぎ足で歩いている。往来する車もせわしげだ。

 キーボードを叩いていた和道が不意に杉田に声をかけた。

「明け方の首都高の事故、どうやら曾太郎が巻き込まれたようだよ。同乗していた次男坊も生死不明だ。ネットは祭状態だよ、社長」

「何だって、本当か?」

 和道の言葉に振り向いた杉田は、傍らのテレビのスイッチを押した。

「……本社ヘリからの中継です……」

 炎上している上空からの映像が飛び込み、席を立った管弦ものぞき込んだ。

「そうなのか? 曾太郎と報道されてないようだぜ」

 和道はウィンクした。

「世はデジタル。情報はソーシャルネットワークが早いんだよ。特にブラックウェッブはね」

 当たり前に言う和道に管弦が反論した。

「フェイクとかガセネタとかあるじゃん?」

 和道は胸を叩いた。

「そこを見極めるのが私のようなデジタリアンなのだよ。総合的に判断して今回の事故、間違いない」

 管弦が茶化す。

「何、デジタリアンってオジタリアンの間違いじゃな~い?」

 和道は憤然とした。

「オジタリアンとは何だね、侮辱するのかね、君は」

 二人のやり取りを聞いていた黒川の黒めがねが光った。

「もしそれが本当だとすると、曾太郎一人が牛耳っていた財閥だけに、曾太郎がいなくなるとなると財閥内部が群雄割拠となる可能性も否定出来ません。発言力のある人物が出てくるととてもじゃありませんが弥生では太刀打ち出来ないと思われます。最悪、弥生や長男は追放され、路頭に迷うことにかも知れなませんよ。こうなれば財閥は四分五裂、つまり解体される危険性があります。……ま、僕の推理ですが」

 黒川の推理に杉田は感心する。

「証拠はないが、私もそう思う」

 管弦は書類整理の手を休めた。

「ずいぶん酷いこというじゃん。仮にもクライアントでしょ?」

 管弦に対し杉田は言う。

「冷淡な言い方だがね。その中でただ一つ間違いないことはある」

「間違いないことッてなに?」

「浮気調査もこれで終わりということさ」


 警視庁から曾太郎と雅弘の死亡事故が発表されるや、重大事件発生にマスコミ各社の報道は過熱し始めた。

 曾太郎の憤死はマスコミにとって格好の餌食になった。

 ネットでは火災現場の動画が多数アップされ世界中に拡散した。

 各テレビ局は通常放送を中断し、特別番組が組まれた。

 新聞の発行部数が激減している中、各新聞社は挙って号外をまき散らした。

 通勤列車内の人間は吊革に掴まりながら情報端末機器を見つめ、座っている中年会社員は手渡された号外を貪るように読んでいる。

 車の中ではラジオががなり立て、行き交う交差点の中、ビルに設えてある巨大液晶画面に釘付けになる人間の好奇な目があった。

 経済界は曾太郎の功績を讃え、政界からは多数の惜別、法曹界の重鎮は巨大な相続の解説……そしてここぞとばかりに相続を主張する有象無象の男女……。


 弥生のコメントを求めようと、さらに大挙した報道各社が血眼になり、御泥木御殿を十重二十重に囲い込んでいる。

 さらに覆うように野次馬が多数集まっている。

 民事不介入とはいえ、社会的反響が大きすぎるという事で警視庁は急遽、報道管制を敷き特別機動隊を編成した。しかし盾を持った機動隊が御泥木御殿を中心に暴動が起きないように警戒するのに精一杯だ。


 爆殺事件で日本全体が狂気じみたお祭り騒ぎになっていった……。



 御泥木財閥は決して総帥一人の決断で動いている訳では無かった。各業種からの最高経営責任者十三人による合議制の経営戦力会議が敷かれている。

 いつからか『十三人衆』と言われる習わしとなったが、この習わしは曾太郎の曾祖父の代から始まって連綿と繋がれていたのであった。

 今回、曾太郎亡き後の十三人衆が巨大ディスプレイに集結しオンライン会議が開催された。

 口火を切ったのは御泥木総合建設の代表取締役の向井田だった。

「おはよう諸君。今回の議長は私、向井田、書記は御泥木不動産依井が担う。宜しいですな。では経営戦略会議を行う。本日の第一議案、総帥亡き後の後継者問題について」

 御泥木自動車車体の若田が手を上げ発言する。

「総帥閣下の後継者と目されていた雅弘様も亡き以上、私はやはり長男勝彦様に引き継がれるのが常道では無いかと思う」

「他に意見は」

 宇宙科学の餅田が疑問を呈した。

「それはそうだが、総帥閣下から直接帝王学を学んでいない勝彦様にその重責が勤まるのであるかどうか、少しばかりひ弱な面がある」

 向井田は答える。

「確かにそれは言える。他には?」

「この際令嬢婦人を立ててみるのはどうかな」

 そう言うのは御泥木アニメ試作会社の時田だ。

 これに対し依井が言う。

「総帥閣下の奥様といえども経営に口だししてもらいたくない。総帥閣下の跡目とはいえ、いくら総帥夫人といえども表だって批判を浴びさせるには忍びない」

 向井田が言う。

「だが勝彦様も同じ事がいえる。マスコミや同業他社からの批判や嫌がらせなど枚挙にいとまない。肝の据わっていた雅弘様ならいざ知らず、繊細な勝彦様では直ぐにツブされてしまうだろう」

 御泥木宇宙工学科学、増田が提案した。

「心配な面は多々あるが、当面、勝彦様には総帥に座って頂き、対外的には影で我々十三人衆が支えるしか他にない。その間に勝彦様には成長していただく」

 向井田が言う。

「他には? 全員、それで第一議案成立で宜しいかな?」

「異議なし」

 全員が口を揃えた。

「宜しい。第二議案に入る……」

 御泥木財閥存続の危機に対して次々と議案が審議され、午前十時から始まった十三人による合同戦略会議は、深夜にまで及んだ。


 御泥木御殿では憔悴しきった顔で俯いている弥生と勝彦が建物奥の一室に身を潜めていた。広い邸宅内部では自由に動くことは出来ているが、窓辺には近づけず外気に一切触れることが出来ず、それが弥生には不満だった。

 建物の外ではスクープをものにしようと躍起になっている、望遠レンズを携えた報道関係の自動撮影ドローンが複数飛び回っているからだ。

 深々とした豪奢な長椅子に弥生と勝彦は寄り添うようにぴったりとならんで座っている。

「あのドローンとやら、追っ払って頂戴」

 弥生は傍らで立っている岡田に不満を爆発させた。

「お解りのことと存じますが、あくまでも敷地の外を飛び回っておりますので、排除はほぼ不可能でございます。弥生様勝彦様には決して窓辺には近寄らないように、としかお話しする以外何も出来ません。浴槽の窓も窓辺のカーテンも決してお開けになりませんように」

 弥生はますます激高する。

「何とか出来ないの、岡田。私たちは日の光も当たらないこんな奥座敷に一週間はいるのよ。いつまで閉じこもっていれば良いと思いまして?」

 岡田はきっぱりという。

「当分このお屋敷から顔を出てはなりません。出れば報道関係者の餌食になってしまい、身の保全がかないません。警視庁の計らいで機動隊が周辺を警戒していますが、あくまでも暴動を抑えるため。それとて出向けば安全とは申し上げにくい状況です」

「憚りの窓も浴室の窓も開けられないなんて。こんな不自由な生活は絶対に厭」

 弥生の傍らにいる勝彦はいう。

「お母様、辛抱が大事です。岡田の言うとおり、いまなにがしらか動いたら台無しになってしまいそうです」

「……勝彦……」

 弥生は体をくねらせると両手を回し、勝彦にしなだれかかった。

 ドアが叩かれ、執事の一人先島が入室してきた。

「失礼いたします、弥生様勝彦様、並びに岡田に申し上げます。何処で嗅ぎつけたのか、商品搬入口名目の屋敷裏の駐車場前にも複数の報道関係者が出没するようになりました」

「秘密にしてある地下駐車が暴かれたのか?」

 岡田の問いかけに先島は否定するように首を振る。

「いや、調べに寄りますと報道関係者はそこまで判明していないと思われます。が、この商品搬入口からお出ないなるかもしれない、と警戒しておるようです。食品や日用雑貨など出入りする搬入業者を、逐一観察しております」

「屋敷裏は住宅街ではない。つまり機動隊の要請しても断られる可能性が高い。搬入便を利用して弥生様勝彦様を安全な場所に避難させよう、と言うこともかなわないか」

「そうです。昨日の搬入後ではマスコミのバイクが数台追っておりました。恐らく行く先をチェックしたに違いありません。もっと早くに御泥木赤坂ホテル最上階の特別室に移動すべきでしたが、今となっては手遅れです」

「ああ……」

 岡田と先島のやりとりに、弥生は逃げ場のない環境に絶望したように勝彦を抱きしめた。それはまるで恋仲のカップルのようで、親子の所作ではなかった。

「弥生様勝彦様、今は迂闊に動いてはいけません。幸い食事などに関しては今まで通りの暮らしは保障いたします。ただこれから先に起こる相続問題によっては、下野せざるを得ないかも知れません。その時は弥生様勝彦様お覚悟ください」

 岡田の言葉を聞いていた勝彦は両手を頭にやり俯いた。

「お父様と雅弘がいないと、この財閥はどうなってしまうのでしょう」

 岡田が無情にも宣告した。

「今し方、十三人衆の議長、御泥木総合建設向井田より連絡が入り、次期総帥に勝彦様が選ばれました」

 それを聞いた勝彦の全身がガタガタと震えだした。

「そ……そんな事……ぼ……僕、出来ないよ」

 絶望と混乱……それを引き受けなければならない立場……これからの運命を考えた末の尋常ではない震え方だった。

 岡田は勝彦を睨んだ。

「他人事ではありませんぞ、勝彦様。こうなった以上、これから先勝彦様が財閥を引っ張っていかないと、財閥グループは崩壊、ひいては栄えある御泥木財閥は胡散霧消してしまいます。勝彦様が矢面に立たねばなりません」

 勝彦は身震いしながら顔を上げた。

「そ、そんな……僕には無理だよ……」

 岡田は叱咤する。

「情けないことを言わないでください勝彦様。六十万人の社員を路頭に迷わせてはなりません。それに取引業者からも多数の連絡が入ってきております。それらはすべて総帥の決裁が必要になります。よいですか、勝彦様、財閥の命運はその両肩にかかっているのです」

 事の重大さに今にも吐きそうだった。

 その決定に弥生は腕をほどいた。

「勝彦の代わりに私が矢面に立ちますわ。勝彦にそんな事はさせませんわ」

 岡田は冷ややかな顔をした。

「総帥夫人も議題に上りましたが、最終結論として勝彦様が総帥を引き継ぎます」

 興奮して弥生の顔が赤くなった。

「何故ですの、岡田。妻であるわたくしが立ちます。勝彦が可哀想、ほら、こんなに怯えていますのよ」

 岡田は首を振る。

「仕方ありません弥生様。十三人衆の決定を覆すことは出来ません。覆されたとしたら、それこそ御泥木財閥は解体されます。例外はありません」

 興奮した弥生は立ち上がった。

「解体されても例外を造りますのよ」

「なりませぬ、弥生様。弥生様は勝彦様の側で支えるべきです。私は微力ながら弥生様勝彦様を支える覚悟でございます。何時いかなるときでも曾太郎総帥に寄り添ってまいりました。そして屋敷全体を統括する執事長にまで引き上げてくださいました。この勝るとも思える光栄を今、弥生様勝彦様に捧げる所存でございます。例え我が身が失われようと身を粉にする覚悟でございます。どうぞ、このわたくしめをお使いください」

 胸に手を当てた岡田の熱を籠もった話し方に弥生は顔を見つめた。

「岡田……」

「総帥閣下の元三十有余年を過ごさせて頂きました。我が身は総帥閣下から得た知識を勝彦様に全て捧げる所存でございます。どうか……どうか……御泥木財閥を」


 数日後、御泥木財閥全体会議が驚愕一号を使ったオンライン会議が執り行われていた。

 勝彦は狼狽えていた。体が尋常ではなく震えている。気を落ち着かせようとして水を飲もうとコップを手にしたが、まるで狂犬病に冒された病人のように右手が激しく震えだしコップから全ての水がこぼれ落ちた。

「勝彦様、後数分で始まります」

 傍らで寄り添っている岡田が言う。

「分かっている、分かっているよ、岡田。でも……」

「勝彦様、リハーサル通り行って頂ければ心配ありません。いざとなればわたくしめにお任せくださいませ。勝彦様は威厳を持って堂々と演じていれば良いのです」


 そして前途多難な総帥閣下の交代劇が幕を開けた……。


「本日議長を行います御泥木総合病院統括責任者右田です。書記は御泥木大学大学長岩田、では第一議案に入ります。大日本帝国武道館において総帥閣下の財閥葬を、来る四月一日に執り行います。勝彦総帥、宜しいでしょうか」

「分かりました」

 隣に位置していた岡田が勝彦の脇を突く。

「分かりました、ではなく、威厳を持って分かった、とお話しください」

「分かった」

 勝彦は言い直した。

 議長の右田は続けた。

「葬儀委員代表は勝彦総帥、式典運営は御泥木葬祭グループ、御泥木花器その他物流部門になります。日本の政界、業界からの出席は当然のこと、カナダとオーストラリアからの出席の申し出がすでに来ております。式次第詳細は後日とりまとめ、勝彦総帥に献納いたします。次ぎに、第二案に移ります。御泥木銀行が財閥から分離、独立したいとの申し出があります。まず御泥木銀行総裁発言をどうぞ」

 総裁の佐伯の顔がズームアップされた。

「総裁の佐伯です。今回の提案の主旨は元々御泥木銀行は、曾太郎総帥閣下のご命令の下、巨大都市銀行に対抗すべく地方銀行四社が合同したものであります。しかしながら運営面においても後塵を拝しております。行員同士の内部摩擦、非効率な運営、各銀行間のシステム障害、銀行業務の非効率的運営状況などを鑑みますと、一度解体して出直したい、と思うのであります。特に各銀行間の度重なるシステム障害は顧客にも多大な迷惑をお掛けし、これについてもマスコミからの批判など非常に展開しにくい状況に陥っております。御泥木財閥グループの一員として、これ以上のご迷惑ご心配をお掛けすること、そしてグループの足を引っ張っていることが心苦しい所以であります。今思うに曾太郎総帥閣下のご決断は人口減少の我が日本の将来を見据えた正しい判断、と、感服しておりますが、また同時に時期尚早では無かったか、と言う疑念もあります。ここで提案いたしますのは、今一度初心に立ち返り御泥木財閥集団から分離独立、元の四銀行に戻したいと思うのであります」

 佐伯の言葉に右田が言う。

「佐伯氏は銀行の統廃合は早かったと言う訳ですね」

「勿論、将来的には曾太郎総帥閣下のお考え通りになるはずです。その時には必ず一致団結して銀行業務に当たります。将来を見据えて銀行のシステム運営を図る所存です。そのためにも今暫くお時間を頂きたい、と思うのが今回の提案であります」

 佐伯の発言に対して右田が勝彦に促す。

「主旨は分かりました。勝彦総帥はどうお考えでしょうか。意見を賜りたく存じます」

『分離? 独立?』

 何が何だか分からない勝彦の頭は混乱した。

 岡田は囁く。

「承認しない、とお答えください」

「そ……それは承認出来ない」

 佐伯が疑問を呈するようにたたみかけた。

「何故そのようなお考えです?」

 勝彦は冷や汗を流す。岡田の囁きに勝彦は答える。

「ざ……財閥の結束力を妨げるのは、今の財閥では得策ではない。な……なんとなれば現在の日本の置かれた立場では、と……と……到底承服出来ない」

 右田が発言した。

「日本の立場とは、どういう意味をお持ちでございましょうか」

 勝彦は急に無言になった。

「お答えください、勝彦総帥」

 厳しい言葉が飛んだ。

「総帥、お答えをッ」

 右田の言葉に勝彦は意を決した。それは岡田の指示ではなく勝彦本人の意志だった。

「現状、我が日本の置かれた立場を考えると、財閥が一丸とならなければ益々、我が日本の経済地位が国際的にも低下する。断じてそのようなことがなされてはならない。それには我が財閥が日本経済を率先して引っ張っていかなければならないのだ。これ以上の国際的地位が低下することは我が日本にとって得策ではない。我が日本の経済並びに国力を世界に知らしめるには、まず我が財閥が率先して先頭に立ち、各業界を一致団結してまとめなければならない。それが出来るのは他でもない御泥木財閥だ。分かって欲しい、佐伯総裁。そして諸君、国力低下をそのまま指をくわえて待つ、それでよいのか……死して待つ、で良いのか、諸君。この重要な岐路に独立はもう少し情勢を見極めてからにして欲しい。ここは一致団結して、生き馬の目を抜く国際社会には断固立ち向かわなければならいのだッ」

 支離滅裂な勝彦の言葉だった。支離滅裂ながらも激情を持って語った。その情熱が十三人衆に伝わったのか定かでは無いが……。

「勝彦総帥のお考え、よく分かりました。第二議案は継続審議とします。次に第三議案に入ります……」


 長々と続く議案の決裁に勝彦は冷静さを失っていた。体が火照っているのが自分でも分かった。財界の行く手を決める重要案件で頭は錯乱していた。都度、岡田が助け船を出す。

「次は二日後に開催します。それまでに次の議長と書記を決定します。では皆様、御機嫌よう……」

 右田の閉会手引きと共に画面が消えた。

 突然勝彦が椅子から転げ落ちた。白目をむきだし唸り声を上げた。

 あまりの緊張感に勝彦は高熱に冒されたのだ。

「寿の間に運び込め。至急担当先生を呼んできてくれ」

 岡田の声に執事達は勝彦を抱え上げ、寝室『寿の間』に運び込んだ。

『この重圧に耐えきれなかったのね……可哀想に……出来ることなら私が代わりに……』

 処置を施されベッドに横たわっている勝彦の手をさすりながら、弥生はすすり泣いていた。

 岡田が入室してきた。

「どのような状態でしょうか、勝彦様は」

 岡田の言葉かけに弥生は甲高い声を上げた。今まで見たことが無い弥生の感情の高ぶりに岡田は躊躇した。

「こんなひどいめにあわせたのは誰ッ? 誰なの? 岡田、アナタじゃないのッ! この状態では次回の会議は絶対無理よ。アナタ、勝彦を殺すつもりなの……ああ、可哀想な勝彦」

 弥生は大粒の涙を流し勝彦に頬ずりした。

 二日後、次の最高経営責任者十三人会議が行われる予定だ。

 岡田は腕組みした。

『令嬢婦人も相当混乱している。しかしこんなひ弱とは想定外だ。少なくとも会議までに熱が下がればよいが……何か事態を回避する手立てを考えなければ』

 閃いた岡田は携帯をとりだし連絡を取り始めた。

 呼び出し音が数回鳴った後相手が出た。

「杉田社長でいらっしゃいますか、ご無沙汰しております、執事の岡田でございます。誠に勝手ではございますが、至急社長にお目通りいたしたく……」



 二日後の午前十時。十三人がディスプレイの前に顔を出した。

しかしいくら待っても雅彦は画面に現れなかった。

「おや? 雅彦総帥のお姿がお見えになりませんが」

 ざわつき始めたとき、画面に勝彦が顔を出した。

「遅くなりました。では始めてください」

 前回と打って変わって溌剌として勝彦の表情だ。画面の勝彦の姿を見て、十三人衆の誰もが妙な違和感を覚えたが、誰も口に出すこともなく、淡々と議案が提出され、岡田に指示の元、勝彦は次々と決断を下していった。

 二時間後、驚愕一号の回線が途切れ、画面が真っ暗になった。

「ふう……」

 勝彦は汗を拭い、にっこりとした。

「これで良かったのかしらぁ?」

 岡田は頭を下げた。

「申し分ありません、感服したしました」

 会議場を出た勝彦は寿の間に赴いた。そこには弥生とベッドに横たわっている勝彦がいた……。

「弥生様なんとか、危機を乗り越えました」

 岡田の言葉に弥生は勝彦を見て立ち上がり微笑んだ。

「ありがとうございました、御手洗様」

 弥生は深々と頭を下げた。

「とんでもありませんよぉ、内心ドッキドキで、どうなるかと思いましたよぉ。ふっくら見せるために両頬に綿、詰めたんですけどぉ、喋りがうまく出来なくてぇ、声色だって短時間では難しかったですよぉ」

 勝彦になりすましていた御手洗が言う。高熱の下がらない勝彦に替わって御手洗が勝彦を演じたのだった。


 鳳凰の間で岡田と杉田がお茶を啜っていた。

「杉田社長、誠にありがとうございました」

 岡田は頭を下げる。

「ディスプレイ越しだから、やっつけ仕事でもばれなかったが、直接十三人に会っていたらどうなっていただろうか。それに御手洗をどうやって秘密裏に運びいれるか難問だらけだったが成功してよかった。……で、肝心の総帥は?」

「担当医の看護で回復傾向にあります。次からは杉田様のお手を煩わすことがないように致します」

 弥生も化粧を落とした御手洗と共に姿を現した。

「今回の件、なんと御礼を申し上げたらよいか」

 杉田は事もなげに言う。

「全力を尽くしたまでです。とりあえず上手く切り抜けられて良かったですね」

 弥生は杉田に顔を向け微笑んだ。

「御手洗様の演技、まるで勝彦が乗り移ったようですわ」

 御手洗が口を挟む。

「総帥の役なんて初めて。でも演技に幅が出来てボクも嬉しいわぁ」

 深刻そうな顔をした弥生は近くの長椅子に座った。そして両手を組み目線を落とし細々と話した。

「今回の報酬ですが……今、相続の問題で自由に出来るお金が出せませんの。分かってくださいまして? 問題が片付き次第お支払いを致しますわ。それまでお待ち頂けますかしら?」

 杉田はにやりとした。

「いや、それはいずれまた今度。……御手洗、お茶を飲んだらずらかろうとするか。それと岡田様、先に頂いた勝彦様のプロファイル、当分当社でお預かりしておきます」

 岡田は頭を下げる。

「そうしてください。また次ぎにお願いするかも知れません」


 地下の駐車場ではスケロク三号車が鎮座している。

トラック荷台横には『御泥木生花店本店』と描かれた大きなステッカーが貼られている。御泥木御殿に生花を運び入れた風に装っているのだった。

 杉田は後部扉を開けると大きな黒い箱が堆く積まれている。全て偽装のため、中は空だ。

 御手洗を促した。

「さあ、また入ってもらおうか」

 御手洗は口を尖らす。

「ええ何でぇ、助手席じゃないのぉ? 今回あたしは主役よ主役」

「外では報道陣が待ち構えている。入ったとき私一人だったのが、でるときに二人、ではおかしいだろ」

 その箱は二重になっていて御手洗はそこに身を伏していたのだった。

「やだなぁ。棺桶みたいでぇ」

 杉田は笑う。

「では、次は死人の役を与えよう。さあ入ってくれ。動くなよ。死体が動いたらそれこそ今日の舞台は台無しだ」

 渋々御手洗は二重底に横たわった。


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