3話 たった一人の君に
それから同棲を始めて2年、僕とリリは穏やかな毎日を送っていた。
「リリ、今日の収穫は上々そうだな」
「ん!」
満面の笑みを此方に向けるリリは軽々と引きずっていた野兎を持ち上げて僕の方に見せてくれた。
「今日、ご飯、豪華!」
「そうだな、春になって野菜も育ってきたし久しぶりのご馳走にしようか」
狩猟を行っているリリに対して僕はというと小屋の周辺を耕して今は作物を育てている。
なんとも情けないことにリリと生活を始めてわかったことは僕なんかよりも彼女はずっと逞しいってことだった。
1人でずっと暮らしていたこともあってか明らかに生きる力、生命力の格が違う。
貫かれた矢から滴る生暖かい血液、途切れそうな鼓動、光を失う眼、フラッシュバックする脳内。
最初は意気揚々と狩りに付いて行ったが、如何せん食育が未熟な坊ちゃんで瀕死の野鳥1匹殺める事すらまともに出来なかった。
結局モタモタしていた僕の隣からそっとリリが現れて止めを刺してくれた、後で人には得て不得手があるからと慰められて以降、農業に専念している。
と言っても作物もすぐにすぐ成長するものではないから基本的に肥料を生成し、魔法で水を与え、害虫の駆除などをやっている。
最近では周辺の木を魔法で切り倒して柵や家の補修、他には道の整備やリリが狩りで使う弓矢などを作成しいる。
「お腹空いた!」
「うん、なら少し早いけどご飯にしようか」
「♪」
何度も努力はしたが未だに殺生はできない、しかしそれを理由にして常に差し出されるものを食べ続けていいとは思ってもいない。
リリが狩りで仕留めた動物の解体は僕が率先して行い2、3ヶ月も捌いていれば案外血を見るのにも慣れてきて、今では内臓を取り除くのも軽々とできる様になった。
合掌してから外で血抜きと皮剥をして家に持ち入り、肉の解体を行う。
「それにしても生きるってことは……大変、だな……」
今までは外から運び込まれてくる食料をただ貪るだけでその過程について考えもしなかった。
こうして自分の意思で”生きる”という選択をした、それに関して後悔はない。 何故ならあの生かされていた人生より今が色鮮やかに感じてしまっていたから……その度に卑屈になる僕が残酷な人間だからだと思う。
そして残酷な僕は未だ、彼女に僕の出生を伝えられていない。
一緒にご飯を食べて、僕お手製の絵本を読んで、一緒に寝て、幸せそうに無垢で無邪気な笑顔を向けてくるリリ。
そんな彼女が此方に歩み寄ってくれるたびにどうしても心が痛んでしまう。
嘘をついているつもりは毛程もないが、もし彼女が原初の魔女……その末裔だったなら……こうして生かされ続けた醜い竜族の僕が隣にいちゃダメだ。
分かっている。
でも、それでも今の僕には彼女の隣で彼女の笑顔を見ることだけが生き甲斐で、これが今だけの幸せで僕の独りよがりであったとしても壊したくないって思ってしまうんだ。
肉を捌き、ハーブを添え、軽く岩塩を削って振りかける。
主食は何故か備蓄してある小麦を湯がして完成、豪華で味気のない淡白な時間を君が今日も笑顔の彩りを加えてくれる。
「んゅ〜」
「あぁまた汚れてるぞ?」
そう言って彼女の口元を布で優しく拭ってあげると、抵抗もせずなされるがまま顔を此方に向ける。
「ありがと」
その笑顔だ。 僕みたいな人殺しに向けられていい物ではないのに……
「どういたしまして」
嗚呼、ずっとこのままここに居たいなぁ。
そんな事を思いながらぎこちない笑顔を向けているとリリが珍しくモジモジとしながら改まって此方を見つめてきた。
「あ……ね、 トラいす、夜に、散歩しない? 柵完成してた、安全」
夜に散歩か、確かに今日の作業で柵が完成したけど一応”僕が来る以前から張られてあった結界魔法”とは別で獣除けの魔法を同棲を始めてすぐに張っていおいたからずっと夜は安全だったんだよね。
柵はただの見てくれと言うか、暇つぶしで作っていたに過ぎないけど……まぁ目に見えるか見えないかでは安心の度合いが違うし結界や魔法については彼女に教えていないから伝える意味もないか。
「いいよ、じゃあ陽が落ちたらす少しだけ湖畔の周りを散歩しようか」
「うん!」
それから数刻経ってから僕たちは湖畔をゆっくりと歩いた。
来た頃はサンビタリアしかない無機質な湖畔だったのに今では夏にクフェアとコレオプシス、秋にカエデの葉が紅葉しカリンが咲き乱れ、冬にはナンテンの実が真っ赤に色づきアンズの花が顔を出す。
「今は春だからアカツメグサとイキシアが群生して綺麗だね、そう言えば僕がここに来てからだよね? リリが狩りと一緒に色々の植物を持ち帰ってくる様になったの」
「花は好き、トラいす、好き?」
「うん。 最初はよく分からなかったけど、四季を彩っている花々を見ると癒されるね」
湖畔に映る満月はどこか気恥ずかしい僕の心を映し出す。
生暖かく感じる春風を背中に感じ、吹き荒れる山々、咲き乱れていた桃色の花弁が季節の訪れを教える。
そういえばリリと出会ってからもうすぐ2年か。
忘れていたが、僕の生まれた時期も山桜が色をつける時期で、幼い頃は毎年父様と母様、テテネラと一緒に屋敷の桜を見ながらご飯を食べていたっけ?
17歳、契約の儀式、問題はないだろうが予定ではあと数日で僕の寿命がやって来るな。
たった少しの感性が過去を刺激してまた心がチクリと痛む。
父様が自殺をして、お祖父様が僕に固執した5年間は今よりもずっと長かったのに、今では1年の経つ速度が以上に早く、平等に与えられているはずだった時間があっという間に過ぎていく様は不思議と恐怖すら感じる。
館に残された死体の山々に村の人々達は驚愕しただろうけどあれから2年も経ったんだ。未だに僕の死体がないからと探してるとは思えないし、彼らにとっても契約の儀式が行われない事はきっと幸せなことに違いない。
なんせ今までのように一族の為に生贄に捧げる必要も、愛娘を嫁ぎにいけと涙を飲む必要も何もないのだ。 そう思うと改めて僕たち竜族はこの世界において異物でしかなかったんだなとか悲観的になってしまう。
感傷に浸りながら6歩程度足をを進めると、リリは斜め下を見ながら丈の長いスカートの可動域いっぱいに大股で歩いて僕より少しだけ前に出た。
「トラいす、あのね。 お願いあるの」
「お願い?いいけど大した事はできないよ」
「うん、クチナシの花、貴方にあげたくって……一緒に行きたい」
あげたいって事は取ってきて欲しいて事なのだろうか?意味は分からないが普段狩猟の合間にリリが植物を取ってきて植えるからこうして誘われるのは新鮮だな。
「そんなことなら別に構わないけど……それでそのクチナシの花ってのはどこに生息しているの?」
「クチナシは夏の植物、だから北?」
夏の植物なら確かに暖かい北側の方に行くのが無難だな。
僕たちの住んでいる惑星アルトライトは大小からなる8つの大陸で構成されていて、その中でも今いるシナカ大陸は南半球と北半球の丁度間に位置している。
しかしここが南側だから取りに行くとなれば相当遠くまで……それこそ大陸最北端の海上都市コルネルまで行かないといけない事になる。
徒歩で12日あれば着くだろうけどその間家を開けることになってしまう。
竜になれればすぐに行って帰れるだろうけど、それには契約を行わないといけないし、何よりリリに正体を知られたくない。
「夏まで待てない?」
「待てない、お願い、今あげたいの」
リリがここまで必死にお願いしてくるなんて初めてだ、きっとその花はさぞ綺麗で早めに種子を蒔いて今年の夏には湖畔で一緒に見たいってことなんだろう。
「分かったよ……なら来週にはここを出発しようか、僕もそれまでに色々とやらないといけない事があるからさ」
普段しないリリからの頼みだ。 ただでさえまともに役に立ってない訳だし、この機会に少しでも頼れる人間アピールをしてやろうじゃないか。
僕が格好をつける為に勢いで彼女の頼みを了承すると、リリは普段の明るく無邪気な笑顔ではなく、どこか辛そうな表情でクルリと回ってから一言”ありがとう”と呟いた。
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