2話 君と出会ったあの森で
「はぁっっはぁ」
切れる息、身体を伝う汗、乱れる心拍数、弾ける薪。
何もかも夢で終わってはくれなかったのか。
澄んだ空気の味、親族を殺してまで生きている今。
ゆっくりと上体を起こすと体が痛む、ふと視線を落とすと記憶にない包帯が手足の所々に不器用に巻かれていた。
(誰かが僕を介抱してくれたのか?)
「……やっぱり生かされる運命だってことかよ」
頬を引き攣らせて頭を抱えていると蕩けるような甘い柑橘系の匂いが鼻を燻った。
不意に匂いのする方へと視線を向けると、其処には気を失う前にぼやける視界で映った少女がコップを2つトレーに乗せて扉の前に立っていた。
「もしかして貴方が介抱を?」
別に責めるつもりはなかったが、自分の運命にどうしようもなく苛立っており睨みつけて相当棘の立つ言い方をしてしまった。
体をビクつかせて距離を取りながら小さく頷く少女、初対面でこれ程荒々しく接されると誰だって恐怖するに決まっているよな。
小さく息を吐き捨てて頭を掻き毟る。
(命の恩人に僕はなんて態度を取っているんだ。)
「えっと、助けてくれてありがとう。 僕はトライス」
声音を変えて今度は優しく声をかけてみる、すると影って良く見えなかった少女が此方に近寄って姿を現してくれた。
月光に照らされてキラリと光る透き通るような瞳、日の落ちた部屋の中、窓から入ってきた澄んだ空気が美しい空色の長髪を靡かせ、儚げに首を傾げる少女。
初めて見る家族以外の異性、そのあまりの美しさに言葉を失ってしまった。
「………………えっと、君は?」
彼女は質問に答えることはしなかったが、僕に優しく微笑み返してコップを1つ差し出した。
これは頂いてもいいって事なのだろうか?
「えっと、どうも……ありがとう」
少女は必死に愛想笑いをしている様子で未だに何も言わない。もしかして言葉が通じていないのだろうか。
「名前を伺ってもいいかな?」
「あ……え……り……り……で……」
「え? なんて?」
確かに言葉を伝えようとしていたが上手く聞き取れなかったので反射的に聞き返す。
すると少女は頬を真っ赤に熟れた杏のように染め上げた。
「あ……だ……り……り」
必死に何かを伝えようとしているのは分かるが如何せんその内容を理解できない。
少しの沈黙、よく分からないが喋れないってことだよな?
先程から恥ずかしそうに俯いている様子から、本人も自分が話せないことにきっと自覚をしているのだろう。
「リリさん……ですか?」
聞き間違えじゃないよな?まさかと思いながら外の世界では魔女と忌み嫌われているその名前を恐る恐る口にしてみると、少女は首を上下に動かしてから何かを思い出したかのように部屋の外に飛び出して本を一冊持ってきた。
表紙に描かれているのは古代文字で見た目から察するに相当読み込まれているようだ。 紙が寄れて色もずっと褪せている。
歴史的に見ても価値のありそうな本を少女は急いで開き、単語を探しながら1文字ずつ指を差して言葉を繋いでいく。
『はい、私、名前、リリ、言葉、話、した事、ない、ごめん』
アセアセと小さい手で一生懸命に伝えようとする彼女は何処か嬉しそうに此方を見つめてくる。
「そうだったんですか、大丈夫ですよ。 此方こそ何度も聞いてしまってすみません」
リリ……まさか本当に”原初の魔女”と同じ名前を付けられているなんて思わなかった。
『ありが、とう。 貴方は、何故、ここに? 』
「僕は……帰る場所を無くしてしまって……だから……」
だからなんと言えばいいのだろうか、自殺をしに来たなんて言ったら助けてくれた彼女に申し訳ないし、だからってそれ以外の言い訳は思いつかない。
僕が言葉を詰まらせていると、リリが僕の肩をチョンチョンと突いてきた。
『なら、住む、ここ?』
「気持ちは嬉しいけど、生憎今の僕は無一文で貴方に何かを還元できる様なものが御座いません、なのですぐに下山致します」
このまま生きていても仕方ないし、生きる目的もない。
僕はすぐに下山する為立ち上がり、よろめきながら彼女の隣を通ろうとした。
するとリリが急にアタフタとし始めて本を落とすと同時に僕の袖を掴んだ。
「えっと……?」
『あ……だ……だ!! ……ヂィ……ド……リ!』
何を伝えようとしているのか言葉の意味は全く分からなかったが、その瞳が何を訴えようとしているのかはすぐに理解できた。
いつも一緒に遊んでいた弟が突然不治の病に伏せた時に見せたあの表情。
『兄様……また明日……』
リリと重なる弟の面影。
僕を見つめる今にもこぼれ落ちそうな潤った瞳、縋る様に掴まれた袖は彼女の心を映し出す様に皺が寄っていた。
嗚呼彼女はきっと見返りを求めていないんだ。
別にいく当てもないし、価値のない命だ。テテネラとあの世で遊んでやりたかったが、あいつは自分の短い人生の分まで生きろって言てたし……
「わかりました。 ではお言葉に甘えてもよろしいですか?」
「---!」
そう伝えるとリリは僕に抱きつき、不器用に巻かれた心の包帯にじんわりと塩水を滲ませる。
言葉が喋れない程人との関わりが絶たれたこの場所で、彼女はいったいどれほどの時間を一人で過ごしたのだろうか。
無粋な事だと思い何も聞きはしなかったが、彼女の体を右手でそっと抱き寄せて彼女の頭を優しく撫でてあげた。
病に伏せて遊んであげれなかったテテネラの分も彼女には優しく接してあげよう。
もう絶対に1人にさせない、彼女の心が満たされるその日まで。
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