子爵夫人は怒りっぱなしである 14
入廷してエヴァの方を見ると、王子の婚約者にも関わらず、一段低い場所に案内されていた。加害者ならば仕方ないが、被害者であり、かつ王太子の婚約者という準王族のエヴァが立つ場所ではない。本来ならもう一段、高い場所に立つべきである。しかも、殿下の隣にはクラフト伯爵令嬢が寄り添う様に立っていた。
私の持っている扇がみしりと音を立てた。前回はついうっかり扇を折ってしまったので、今度は鉄製の硬いものを持っていたが、またもや壊しそうである。もう絶対に王家は許せない!馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして!悔しさのあまり涙まで出てきた。私の手をヨアキムがぎゅっと握ってくれた。あまり力を入れすぎない様に私もヨアキムの手を握り返した。
裁判の議題は『クラン公爵兄妹の不敬罪とファウストの監督不行き届き』である。その際、『王太子の婚約者を兄を使って襲わせたこと』が上がっていた。ことの成り行きを見守ることしかできない自分が歯痒くて仕方がない。
そしてそのまま裁判が進んで行き、そしてとうとう殿下がこう叫んだ。
「彼女がそなたの兄の子を孕んだ場合、それは王家を乗っ取ることになるな。つまり、王家簒奪の罪を犯しかけた言い訳がそれか」
ぱきりと手の中の扇が軋む音を立てた。殿下は今『エヴァが傷物になった』と貴族たちの前で宣言したのだ。つまり、エヴァとは『婚約を継続するつもりがない』という意思表示でしかあり得ない。こんなことを聞かせるためにエヴァをこの場に召喚したのだろうか?
殿下のこの言葉にエヴァは一度だけ悲しそうに俯いた。けれどもすぐに頭を上げて真っ直ぐ殿下を見つめた。あぁ、エヴァは殿下に惹かれていたのだ、と今更だが思った。あの子の気持ちを踏みにじった殿下を私は睨みつけた。
貴族たちがざわざわと騒ぎエヴァに好奇の目を向けている。エヴァは俯くことなく真っ直ぐ前を見つめ続けている。そんなエヴァに寄り添う様に立ってくれているハルト様が本当にありがたくて仕方がなかった。
そんな空気の中、ファウストが兄妹同士の諍いだと愚かなことを口にした。なんて厚顔無恥なことを言うのだろう!報告書を読んだ私たちにはそんなはずがないことはよく分かっている。あんなことまでしておきながら『兄妹同士の諍い』で済むはずなどない。
それなのに、殿下はその言葉を嘘だと謗ることなく、満足そうに笑うと『王家の名の下に8年前のリオネル家との約束は解消したものとする』とファウストに告げ、両家の約束を終わらせた。
あぁ、この王子はエヴァを愛していたから婚約を申し込んだのではなく、この愚かな契約を破棄するためにエヴァに申し込んだのか、と思った。そうだとすると色々と納得がいった。
一生に一回のデビュタントに白以外のドレスを用意したのはこの状態を作り出すためだったのだろう。だから、ファーストダンスだけは人の目を引きつけるためにエヴァと踊った。そしてその後はエヴァに手を出しやすい様にエヴァを放置してクラフト伯爵令嬢とずっと踊っていたのだろう。
事件の後もエヴァに付き添ってくれたのはハルト様で、役目を果たしたエヴァに殿下は目もくれなかった。見舞いにすら来なかった。
クラン家とリオネル家の約束が解消されたら、ファウストはエヴァを家に連れて帰ろうとした。冗談ではない、あんな家にエヴァを返せるはずがない。今後何をされるか分からないのだ。殿下はそれについては何も言わない。エヴァがどんな目に遭ったか書類に目すら通してないのだろう。婚約破棄をされたら、すぐに神殿に行くというエヴァの意志は間違っていなかったと強く思った。
けれどこのままではエヴァは公爵家に引き取られることになってしまい、神殿に行く話も無くなってしまうかもしれない。それに公爵家にいる間に今度こそ取り返しのつかない目に遭うかもしれない。どうすればこの事態を阻止できるかと唇を強く噛み締めた時に、今まで黙っていたエヴァがファウストに向かって口を開いた。
ファウストはエヴァを自分の娘だ、と強く、何度も繰り返した。大きく息を吸うとエヴァは大きな声で隣に立つハルト様に告げた。
「セオドア・ハルト様、クラン家は家族同士で姦淫を行う、罪深い一族の様でございます。
私が、どの様な状況にあったかは保護してくださった貴方様ならよくご存知でしょう。クラン家の方々は『兄妹ならあの様な行為をするのは当然』だそうです。あの様に平然と言うなどと、兄妹で当然なら恐らく親子でも行っていたに違いありません。とてもではありませんが、私には理解できかねますわ。
ハーヴェー様の教義にも反した考えでございます」
「えぇ、そうですねリザム嬢。貴女の告発をしかと聞きました。
さて、国王陛下、この様な訴えがあった以上、これは国王と貴族の不敬罪云々の話でなく、宗教裁判にかけるべき案件となりました。
ファウスト・フォン・クラン並びにサトゥナー・フォン・クラン、イリア・フォン・クランを背教者として神殿預かりといたします」
エヴァの言葉にすぐさまハルト様は応えて三人を神殿預かりにした。ハルト様には本当にどうお礼をすれば良いのか分からないほど助けられてばかりだ。
その後、エヴァはクラン家には戻らないが、保護する様に陛下に奏上した。もうエヴァの独壇場であった。
驚いたことにアスラン様はすでに帰国しており、殿下のそばで牙を研いでいたらしい。正直アスラン様にもがっかりした。アスラン様はエヴァと同母の兄である。だからエヴァを大事にしてくれるかもと思っていたが、今回の殿下の所業を受け入れているということは結局ファウストと同じ類の輩なのだろう。
陛下はファウストを無事に更迭できたことをことのほか大喜びで、エヴァになんなりと褒美を与えると口にし、エヴァの反応を楽しむ様に笑った。それに待っていたとばかりにエヴァはにっこりと微笑んだ様に見えた。
そしてこれがお手本だとばかりの美しい礼を執ると陛下にこう告げた。
「どうぞ、私と王太子殿下との婚約解消をお許しくださいませ」
正直胸が空いた。エヴァと殿下の婚約は誰から見ても継続できない。だから王家側ーー特に王妃ーーから言い渡されるだろうと思っていたが、エヴァから不敬とは言えない様に言い出せたのだ。側から見ると『子爵令嬢に婚約解消を申し出られた王太子』になるのだと思うと「ざまを見ろ」と思えた。
「いや、リザム嬢。それについてはもう少し話し合いが必要ではないかね?」
エヴァの言葉に喜んで同意するかと思えたのに、陛下は驚いたことに渋る様子を見せた。まだエヴァに何か利用価値があるのだろうか?けれど私たちはもう王家に関わりたくないのだ。
「純潔は守られたとは言え、私はもう王家に嫁ぐことが叶わぬ身であることは承知しております。この後どの様な噂が立つかは火を見るよりも明らかなことかと存じます。せめて最後は引き際を弁えた淑女であったと皆さまの記憶に残りとうございます。
どうかどうか、私の我儘を叶えていただけないでしょうか?」
きちんと自分の純潔は守られたことを対外的に示した上で、潔く身を引きたいと満点の答えをエヴァは口にした。少し安心をして周りを見渡す余裕が生まれた。少し離れた位置にレイチェル夫人を始めとしたうるさ方のご夫人たちが臨席していることに気づく。彼女たちは実に残念そうにエヴァを見つめていた。
「うむ、わかった。王太子と其方の婚約を解消することを認めよう。後日場を設けるので、その際に詳しい話をまとめよう」
婚約解消を認めるとは言うものの、結論を先延ばしにしようとする陛下に、またもやエヴァが告げた。
「いいえ、陛下。この婚約が継続できなくなった理由は、私にございます。私は王家に何も要求致しません。
また後日、私の噂が蔓延している王宮に伺うのはとても耐えられません。どうしても後日と仰せであればいっそ……」
この言葉に周りの貴族たちも息を呑んだ。エヴァの先程の言葉で好奇の目を向けていた貴族たちの何人かはエヴァに好意的な目を向ける様になっていた。
エヴァの発言にとうとう陛下が折れ、この場で婚約解消する手続きを取ってくれることになった。それなのに、なぜか王太子は驚いた顔をして陛下に異議を申し立てた。
しかし、陛下に異議を却下され、その後速やかに婚約は解消された。
閉廷し、退出したエヴァはそのまま家にも帰らずにハルト様と隣国へ向けて出立することになっていたので、ヨアキムと二人で見送りに行った。いつどんな邪魔が入るか分からないので、そうするのが一番だと分かってはいたが、寂しくて仕方がなかった。最後にエヴァを抱きしめて私たちは二人を見送った。