子爵夫人は怒りっぱなしである 9
「お父様だと?まさか、スライナト辺境伯の娘が子爵家などに嫁ぐはずが…」
「王家に許可は得ている。お前などにどうこう言われる筋合いはない。それで?私の娘に何の用だ!」
「いや、その、特には何も。…あぁ、子爵。私は用を思い出したからこれで」
「おい、貴様。もし私の娘とヨアキム殿に今後下手な手を出してみろ、私が相手になってやる」
父がそう言うとデリア伯爵は、ひえっと言って後ろを見ずに走って逃げていった。
「お義父さま、お久しぶりです。先程はお見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「なに、見苦しいところなんてこれっぽっちもないだろう。私の娘を守ってくれて礼を言う」
がはは、と父は豪快に笑った。懐かしい父の強い笑い声に涙が出るほど安心した。けれど最近ハルペー帝国が攻めてきていると話を聞いていたから心配になって尋ねた。
「お父様、今は大変な時期ではないのですか?ここにいても大丈夫なんですか?」
「おう、まぁな。だが、可愛い孫娘のデビューを見るくらいの時間はあるぞ。お前たちはなかなかうちに来てくれないから孫娘とすら会ったことがない。それならこの機会に紹介して貰おうかと思ってな。それで孫娘はどこだ?殿下の婚約者になったと聞いていたが、今踊っている娘は違うんだろう?」
そう、あの下衆な男と話しているうちに小休止は終わり、ダンスタイムに突入していた。父が指す方向を見た。殿下と踊っているのはまたもやクラフト伯爵令嬢だった。これで四曲目である、あり得ない!
「えぇ、今少しはぐれてしまっていて…」
「殿下が今踊っているのはクラフト伯爵令嬢ですわ、お父様」
私の言葉に父は殿下の噂を思い出したのだろう、苦い顔をした。
「デビュタントの紹介に間に合わなくてな、私が来た時にはあの令嬢と踊っていたが、これで三曲目か?」
「いいえ、四曲目です」
「ほう、婚約者を放っておいて他の令嬢と四曲目か…、子爵家の娘だからといって馬鹿にするにも程があるだろう。リエーヌ、お前たちはこの婚約をどう思っている?」
「できれば婚約したくないと思っていました、私たちもあの子も。だけど押し切られてしまって…」
「そうか、それなのにこの仕打ちか、わかった。後で私から陛下に奏上しておこう。このままでは不幸になるのが目に見えている。しかもお前たちの立場までなくなるだろう」
「いいえ、スライナト様、それはお考え直しになってくださいませ!」
私たちの話に割り込んできたのはレイチェル侯爵夫人を始めとする、貴婦人の模範と言われるご婦人たちだった。
「リザム子爵令嬢ほど王妃に相応しい方はおりませんわ。王妃教育も完璧です、きっと今の王妃様よりもよっぽど素晴らしい王妃におなりになりますわ」
「そうです、現王妃様は色々と問題がある方ですもの。ヒステリックに叫び出したり、下のものに当たったりしますし、何より王妃教育ですらお一人でできない方なんです」
「クラフト伯爵令嬢が王妃になったら今の王妃様の再来になりますわ、間違いありません」
夫人たちは口々に王妃とクラフト伯爵令嬢の文句を口にし始めた。クラフト伯爵令嬢はともかく王妃のことまで悪く言うので、驚いたが「現王妃の不出来さを嘆くのは今更のことだ」と父が説明してくれた。たしかに現王妃はあまり良い噂を聞かない方だが、エヴァに施している王妃教育も一人では任せられないということに驚く。このご婦人たちはその王妃様のカバーで王妃教育を行っている方々らしく、彼女たちの口からは王妃様の文句が次から次へと出てきた。
いったい何があったのかと彼女たちに問いただすと先程起こった事を説明してくださった。皆様の口から出てきた事実に開いた口が塞がらなかった。あの二人はどこまでもエヴァを馬鹿にするつもりらしい。エヴァがどんな思いをしたかと思うと悔しくて悔しくて仕方がない。
「先程、殿下とクラフト伯爵令嬢が二人してリザム子爵令嬢に挨拶に向かったのですけれど、素晴らしいことに彼女は怒り出すことなく、的確なアドバイスを二人になさったんですの」
「そうそう、ダンスを二曲以上踊ることや殿下を公的な場で愛称で呼ぶことが非常識なことを穏やかに諭されたのです」
「あんなことを言うのは勇気がいることでしょうし、言いたくないことだったでしょうに……。婚約者たるもの、殿下が間違ったことをしたら注意をするのは義務とは言え、とても立派でしたわ」
「しかも下のものにまで気を遣って下さるなんて素晴らしい方ですわ」
「ふぅむ、しかしレイチェル夫人、それは孫娘に随分な侮辱を受けても我慢せよということではないかね?あまりにも馬鹿にしすぎている気がしてならんがね」
「ええ、それは本当にそうですけれど…」
「けれどもあんな教育のなってない小娘が王妃になればこの国は滅びますわ」
貴婦人達は怒りに燃えた瞳でダンスホールを見た。そこにはまだ踊り続けている殿下とクラフト伯爵令嬢がいた。
「エヴァのことをそこまで評価してくださるのは有り難いことではございますが、私はエヴァが不幸になる結婚は望みません。
娘ともう一度しっかり話し合ってみたいと思います」
「えぇ、お気持ちはわかりますけれど…それでもわたくしどもはリザム嬢にこのまま殿下の舵を取ってほしいと思っておりますのよ」
私が静かに怒っていることに気付いたのだろうか、貴婦人達は先ほどまでの勢いが嘘の様に静かに答えた。私達が彼女たちに礼をしてその場から離れようとしたところで給仕の青年が頭を下げて話し始めた。
「失礼致します。リザム子爵、お嬢さまから伝言をお預かりしております。障りがありましたので、先にお帰りになると仰せでございました」
「あぁ、わかった。すまないね、娘が帰ったのはいつ頃かな?」
「はい、20分ほど前です。すぐにお伝えしたかったのですがなかなかお二人を見つけられずにお伝えが遅くなってしまいました。申し訳ありません」
ヨアキムは給仕に向かって頷いて、こちらを見たので私も頷く。
「私達も帰りますが、お義父さんは如何なさいますか?」
「あれを見ていても腹が立つばかりだ、わしも帰ることにしよう。そもそもわしが王都まで来たのは孫娘の晴れの姿を見るためだったからな。しかしちょうどよかったかもしれんな」
私達が会場を後にする時もまだ殿下はクラフト伯爵令嬢と踊り続けていた。