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子爵夫人は怒りっぱなしである 8

 「やあ」と彼はどこか歪な笑いを顔に浮かべる。クラン家の一門ではあるが、珍しくファウストと仲良くやっている、それだけでろくでもない伯爵だ。もちろん、評判は芳しくない。ファウストと懇意にしているだけでも他の貴族たちからしてみれば愚かだと言わざるを得ないが、それだけでなく伯爵家ということを鼻にかけている、顕示欲の塊の様な男である。

 そのくせギャンブルに嵌ってしまい、家計は火の車だと聞いている。女癖も悪く屋敷のメイド達に片端から手をつけ、その端から捨てているという噂もある。


 なぜこんな愚かな男がのうのうとこの様な場所に出て来れるのか、この男の神経を疑うが、今のところ彼の地位は伯爵である。どれだけ彼の現状が悪いものであろうと今は私たちより爵位が上であることは間違いない。嫌な男に会ったものである。私は扇で顔を隠そうとして、先ほど自分が折ってしまったことに気づき、予備を持ってこなかったことを後悔した。


 デリア伯爵は蛇の様な細い目を更にすがめ、無遠慮に私の顔を舐める様に見つめてくる。素知らぬ顔でいたが、正直不快で仕方がない。伯爵から隠す様にしてヨアキムが私の前に立つ。


「良い夜ですね、デリア伯爵」


「あぁ、本当に美しい花々を見れる良い夜だね。そうそう子爵、貴方にあんなに美しいご令嬢がいらしたとはとんと知らなかったよ。それにあのお嬢さんの母親だけあって奥方も随分と美しい方だね」


「お褒めいただき光栄にございます。伯爵は本日奥様はご同伴ではいらっしゃらないのですか?」


「あぁ、あれならそこいらで愛人とでも楽しんでいるところだろう。お互いを縛りあわない夫婦なんだよ、私達は。色々な相手と楽しんでみると言うのはなかなかに面白いものだよ、子爵。今度、君と奥方もどうかな?」


 そう言ってにんまりと笑う男に寒気がする。つまり、ヨアキムに私を差し出せと言っているのだ。なんて男だろう!冗談ではない、こんな男に指一本触れられたくない。もちろんエヴァにも絶対に触れさせるつもりはない。


 私は身体が弱いことを口実にあまり夜会に出席しない。けれど仲の良い夫人たちや、断れない相手が開く茶会にはちょこちょこ出席している。デリア伯爵はその名の通りヨアキムの本家筋にあたる伯爵家である。そのため、彼の家が開く茶会には出席することがあったが、この国ではお茶会とは基本的に女性のものなので、男性が臨席することはほぼない。だから私はデリア伯爵とは直接会ったことがなかったが、悪い噂は何度も耳にしていた。本来なら噂など話半分に聞いておくものだが、彼に関しては噂以上に下衆な男の様だ。


 デリア伯爵夫人にはお茶会で何度か会ったことがあるがおとなしやかな人であった。彼の言う様な奔放な女性とは思えない。先程伯爵は奥様は他の男といると言ったが、噂ではギャンブルで負けた相手に奥様を代償として差し出しているそうだ。同じ女として伯爵夫人には同情を禁じ得ない。正直に言って不快で仕方がない。


「残念ですが、私は妻を愛しておりまして、他の女性に興味はありません。それに妻を他の男の手に委ねるつもりはございません。

 それに娘は殿下の婚約者ですから。下手な醜聞を私どもが立てるわけには参りませんから、他の方を誘っていただけませんか」


「へぇ、殿下の婚約者ねぇ…、どうやら殿下には大事にされていない様だけどねぇ」


「どうでしょうね、尊い方が何をお考えか私には分かりかねます」


「はは、子爵本気で言っているかい?今日デビューしたばかりの婚約者を放って他の女性と三曲も踊っているんだよ、大事にしていないことなんて誰の目から見ても明らかじゃないか」


 伯爵の言葉に頭に来て、言い返そうとしたけれど、周りの貴族たちもくすくすと笑っていることに気づいた。今日急に発表された殿下の婚約者が気に入らないのだろう。それに加えてデビュタントの掟破りの格好が羨ましいという気持ちも多分にあるのだと思う。

 周りの貴族たちと伯爵に、そして何よりエヴァのデビュタントを台無しにした殿下に、もう今日何度目か分からなくなるくらい頭に来た。姉たちに比べ、私はあまり短気な方ではないと思っていたが自覚がないだけで、どうやら怒りっぽい性格の様だ。


「さて、どうでしょうね。私どもが勝手に()(かた)の気持ちを決めつけるのは不敬だと思いますがね」


 落ち着いたヨアキムの声に少しだけ落ち着きを取り戻して、辺りを見回した。伯爵と周りの貴族たちもにやにやと私たちを見下す様にしてこちらを見ていた。


「まぁ、もし殿下に婚約破棄されたら、言ってくれたらご令嬢の次の相手を紹介して差し上げますよ」


「お気遣いありがとうございます。もし万が一その様なことがありましたら殿下と相談して決めることにします」


 そんな話をしていたら、小休止の時間になった。エヴァと合流できないまま時間が少し経過してしまっていた。できるだけ早くあの子と合流したいと思うけれども、この男をあの子に近づけるわけにはいかないので、この男がそばにいる限りエヴァとは合流できない。


「申し訳ありませんが、伯爵、私どもは他にもご挨拶しなければならない方がおりますので本日はこの辺りで失礼いたします」


「いやいや、子爵。是非とも君の家の美しいお嬢さんを紹介してくれないかな。奥方とも是非話をしたいしねぇ」


「残念ですけれど、殿下からエヴァにあまり男性を寄せ付けない様に言われております」


「そうなのかい?じゃあご令嬢は諦めるけれど奥方と話をするくらいなら良いだろう?」


 そう言うと、伯爵はヨアキムの後ろに隠れる様にしている私の手をいきなり掴んで引っ張り出した。あまりの痛さに顔が歪む。

 私の顔が苦痛に歪んだのを見て伯爵は嬉しそうに笑った。気持ち悪い。


「いや、本当に美しい奥様だねぇ。少し二人で話をしたのだが、いいかな、子爵」


 ヨアキムはぱしりと伯爵の手を叩いて私の手を解放してくれた。ヨアキムの行動に頭に来た伯爵が顔を真っ赤にして怒鳴り出した。


「貴様、何をする!分家の分際で、本家筋の俺に逆らうのか!」


「人の妻に手を出す様な下品な真似をする相手に対処したまでです。私に何かを仰る前に我が身を省みては如何です」


 そう言いながら、ヨアキムは私をそっと抱き寄せてくれた。心底ほっとしたのも束の間、ヨアキムの今後はどうなるのだろうと不安になった。

 伯爵は顔を真っ赤にした伯爵はヨアキムに向かって手を振り上げてきた。そしてそれをパシリっと大柄な男性が受け止めた。


「全くヨアキム殿の言う通りだな」


 その声に私ははっと顔を上げた。


「私の娘に何か用があるのかね?」


「私の娘だと、俺は伯爵家の……、ひっ、スライナト辺境伯!」


「お父様!」


 そう、そこにいたのは南部地方の辺境伯である、スライナト辺境伯家の当主である私の父がいた。


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