子爵夫人は怒りっぱなしである 7
実際にエヴァがデビューした時、周りの貴族たちはまず黙った。エヴァの美しさに見惚れていたのだろう。その後我に返ったものは口々に文句を言っていたが、その目は憧れを強く含んでいた。来年デビュタントする令嬢方は色とりどりのドレスを着るのではないかと思えるほどの興奮ぶりだった。
こうして客観的に見るとエヴァと殿下は、まるで腕の良い人形師が揃いで作ったのではないかと思えるほどとても似合っていた。
エヴァと殿下は実に楽しそうにファーストダンスを踊った。本来エヴァのエスコートもファーストダンスもヨアキムがしたかったと拗ねていたが「エヴァを大事にしてくれるなら良いじゃないの」と笑って諭した。ここまでならちょっと胡散臭いけれど、それでも私は殿下にならばエヴァを預けられると思っていた。
殿下はエヴァとファーストダンスを踊った後、イリアの手を取らずに侯爵令嬢であるシモンヌ様の手を取った。クラン公爵家が王家に不況を買っているのは周知の事実だったので、イリアの手を取らないのは分かっていた。けれどなぜエヴァと二曲踊らないのかしら、と不思議に思った。殿下の後はヨアキムが嬉しそうにエヴァと踊った。
デビューする令嬢は原則的にどんな人にでもダンスを申し込むことができる。だから、今日殿下は今日デビューする20人以上の令嬢と踊らなければならないだろう。だからエヴァと二曲以上踊らなかったのかな、と思いつつエヴァとヨアキムが帰ってくるのを待った。今日は殿下があまり側にいられないから、エヴァとできるだけ一緒にいて欲しいと殿下にお願いされていた。殿下に頼まれなくても一緒にいるつもりでいた。もうエヴァは自分のものだと思っている様な、なんとなく殿下の独占欲の強さが出ている様な感じがしてムッとした。まだエヴァはうちの子である。いちいち貴方に何かを言われる筋合いはないと思ったけれど、まぁ配慮してくれているのだから、と自分を納得させた。
踊り終わった二人は私のところに戻ってこようとしていた。けれどそんなエヴァになんとグラムハルトがダンスを申し込んだ。少し会話をした後に、エヴァは渋々といった感じでグラムハルトの手を取った。あちらは侯爵家の嫡男で、現在興盛を極めているルーク家の一族である。断れるものではなかったのだろう。優しいあの子は子爵家を慮ったのかもしれない。殿下は何をしているのかとダンスフロアを見たら、噂のクラフト伯爵令嬢の手を取ったところだった。役に立たない方だなと思いながらも私はヨアキムと合流する。そして踊り終わったエヴァをすぐに迎えることができる様にダンスホールの近くに陣取ることとした。
今までずっとエヴァを無視していたのに、グラムハルトは何を思ってエヴァをダンスに誘うことにしたのだろうと観察していたら、グラムハルトはエヴァに何かを必死に話しかけている。何を今更と思うが、よくよく見ていたら分かることがあった。グラムハルトも恐らくエヴァを大切に思っているに違いない。なぜならエヴァを見る彼の目も愛しいものを見る目の様に私には思えた。それならどうして婚約期間中、エヴァを大事にしてくれなかったのだろうと不満に思う。
逃した魚は大きいと思ったのだろうか?それとも今日改めてエヴァを見て、美しいと思ったのだろうか?どちらにせよ、エヴァはもう既に彼の婚約者ではない。ダンスをしながら二人は何かを話し続けている様だった。エヴァは依然としてグラムハルトを拒絶したままであるのに、グラムハルトに関しては段々と顔が明るくなっていく。
曲が終わり、エヴァが美しくお辞儀をしてグラムハルトから離れようとしたところで、何かあったのだろうか、グラムハルトがエヴァの手を取ろうとした。その失礼な行為に頭に来て私が飛び出すよりも前に彼の手を弾いてエヴァを守ってくれた男性がいた。
銀髪に藍色の瞳の男性だ。私にはあまり面識のない男性だが、エヴァとは知り合いの様で、グラムハルトの時と違い、エヴァは大した拒絶もなく、彼の手を取った。彼とエヴァはグラムハルトを置いて踊り出す。殿下とはやや異なる趣だが、彼とエヴァも一幅の絵の様でとても似合ってた。美男美女はいつの世でも目の保養である。思わず感嘆のため息が漏れる。
しかし、彼は誰なんだろうと思いつつも、殿下は何をしているのかとダンスフロアを見たらなんと殿下はエヴァとは一曲しか踊らなかったにもかかわらず、クラフト伯爵令嬢と二曲目のダンスを踊っていた。あまりのことに持っていた扇を折りそうになるのをグッと堪えていた私の耳にヨアキムがポツリと溢した言葉が届いた。
「まさか、あの方とエヴァはお知り合いなのか…」
「今エヴァと踊っている方を知ってるの、ヨアキム」
「あぁ、セオドア・ハルト様だ」
「ハルト様って…神官の一位様?!」
「そうだよ、リエーヌ。王宮神殿にお住まいの方だ。こう言ってはなんだが、軟派な方で、いつもどなたか女性を連れ立っている。できればエヴァには近づいて欲しくない方だなぁ。しかし、あの方がこんな夜会にお出でになるなんて珍しい。あまり出席されない方なんだが…。
あぁ、そういえばあの方もクラフト伯爵令嬢と仲が良かった気もするな」
「でもヨアキム…、私の気のせいかもしれないけど…」
そう、彼もエヴァのことを大事に思っている様な気がするのだ。彼の瞳に宿っている炎はある意味殿下よりもグラムハルトよりも上な気がする。身贔屓なだけかもしれないが、それでもあの三人ーー殿下、グラムハルト、ハルト様ーーがそれぞれエヴァのことを大切に想っている様にしか私には思えなかった。
ハルト様はそれはそれは大切にエヴァを扱っており、実に見事にエヴァをリードしていた。そして彼もエヴァと何か話をしている様だったが、グラムハルトの時と違い、エヴァの顔には笑顔が浮かんでいた。いつの間に、どの様に知り合ったのか少し気になった。この後話を聞いてみようと私は思った。
曲が終わり、彼はエヴァをエスコートしようとするが、今年デビューした伯爵令嬢に申し込まれて苦笑しながらもその手を取る。エヴァを見送る彼の瞳は少し残念そうな雰囲気を宿していた。
「あぁ、うん。私にも君の言いたいことは分かるよ、リエーヌ。けれど、私たちの目は曇ってるかもしれないね」
その視線の先には三曲目を踊り出す殿下とクラフト伯爵令嬢がいた。あまりのことに頭に来た私は持っていた扇を折ってしまった。ばきりと軽い音がする。ヨアキムは私の方をちらりと見るが、何事もなかったかの様にまた視線をダンスフロアに移した。ハルト様と別れたエヴァを迎えに行こうかと歩を進めようとした私たちの前に、現れたのはデリア伯爵だった。