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子爵夫人は怒りっぱなしである 4

「嫌、嫌よ。あなた!」


 エヴァが寝込んでいる間にヨアキムから提案された話を聞いて私は抵抗した。


「殿下の婚約者になったのであれば、エヴァは公爵家に戻れると思うんだ。僕は子爵でしかなくて、あの子を守る力なんてないも同然だ。君のご実家にいつまでも頼るわけにはいかないし、何よりエヴァはいつも公爵家に帰りたがっていただろう?」


「それは…。でもようやくあの子が私達のことを父母と呼んでくれたのよ?それに今の公爵家に帰るより我が家にいる方が安全じゃないの」


「王宮は毒蛇の巣よりも危険なものなんだ。あの子を守る力はあればあるほど良いだろう。確かに今は落ち目のクラン家だけれど、それでも公爵家だ。そしてなんと言っても、クラン家にはリオネル家との約束があるから武力はある」


「それはそうかもしれないけれど…。でも一度あの子を捨てた家族なのよ?」


「昔のあの子は婚約者の筆頭候補でしかなかったが、今回はきちんとした婚約者だ。公爵家内でもそんなに粗末な扱いできないだろう」


「それでも!それでも、あの子がようやく私達のことを認めてくれて…それに帰っても辛い思いをするかもしれない」


 泣きながら反論する私をぎゅっとヨアキムは抱きしめて続けた。


「君の気持ちはよくわかる。私だってあの子を手放すのは辛い」


 私の肩に、何か温かいものがぽつりぽつりと落ちてくる。辛いのは私だけではないのだと今更ながら思い出した。確かに今後のエヴァのことを考えるならヨアキムの言う通りに公爵家に帰った方が良いのだろう。それでもこの八年間を思うと手放す気にはとてもなれない。


「けれど、あの子が王妃になった時に子爵家出身だと馬鹿にされるかと思うと……あの子のことを思うなら今、手を放してあげるべきだと思うんだ」


 ヨアキムの言葉にはっとなった。そうだ、これからあの子は王太子の婚約者になるのだ。もともと公爵令嬢とはいえ、外聞が悪いためこの話は隠されている。それならばあの子はどこまでも子爵令嬢でしかないのだ。私のわがままであの子は一生馬鹿にされるかもしれないのだ。


「急にこう言われてもすぐに返事はできないと思う。明日までに考えてくれないだろうか?」


 そう言ってヨアキムは執務に戻った。ヨアキムの言葉がぐるぐると頭を回る。そして、エヴァの笑顔も。どうしたらいいのか、何を優先させるべきなのか…。

 わかっている、わかっているのだ。我が家にいるより公爵家にいる方があの子のためだ。確かに私の父母は辺境伯だが、そろそろ兄が家を継ぐことになる。


 末っ子の私は両親や兄弟に溺愛されてはいたが、いつまでも頼るわけにはいかない。兄にお願いしたら助けてくれるだろうが、爵位の譲渡には色々な手続きが必要だし、最初のうちは慣れないから忙しいだろう。それに、最近南に隣接しているハルペー帝国では砂漠化が進み、水や豊かな土地を求めて我が国にちょっかいをかけてくることが多くなったからこれ以上頼るのは心苦しい。そして、今の私は子爵夫人でしかない。

 

 王太子の婚約者は下手をしたら暗殺されることだってある。エヴァの安全面を考えたら公爵家に帰してあげた方がいいだろう。それに、私にとってはなんとなく不信感が残る殿下だが、エヴァと殿下は昔は仲が良かったと聞いている。しかも今までの婚約者はエヴァを蔑ろにしてばかりだった。だから、もしかしたらこの婚約者変更をエヴァは喜ぶかもしれない。


 けれどあの子がいなくなったら、どうやって過ごせば良いのだろうか。一緒にお菓子を作ったり刺繍をしたり、色々な話をして毎日楽しかった。


「グラムハルト様と結婚してもきっと彼は私に無関心でしょうから月に何度かはこの家に帰ってきます。うまくいけば一緒に住むこともできるかもしれませんね」


 あの子は悪戯っぽく笑いながらそんなことを言ってくれていたから縁が切れることなんてないと思っていた。けれど公爵家に帰るなら、わたしたちの縁は切れてしまう。

 それに何よりあの子が公爵家に帰るということはまたもや家族に捨てられることになってしまうのではないだろうか。そう思ったが、先程ヨアキムが言っていた言葉を思い出した。ようやく父母と呼んでもらえたけれど、私たちは知っていた。気づかないふりをしていたが、あの子が公爵家に帰りたがっているのは気づいていた。笑い合っていても、ふと遠い目をしてどこか淋しそうにしていたことも。それならば帰してあげるのが一番なのだろう。

 良い夢を見させてもらったと思えばいいのだ。8年間も素敵な時間をもらったと思えば……。

 エヴァンジェリン・フォン・クランは病死したことになっているが、お金さえ積めば『病死したのではなく、療養していただけだ』と言えば済む話である。一晩中泣きながら考え、そして決めた。

 とても淋しくて悲しいが、私達があの子に最後にしてあげられることは公爵家に帰してあげることだろう。翌日、できるだけ目を冷やした私はヨアキムのところに行き、昨日の提案に同意することを伝えた。ヨアキムは黙って私を抱きしめてくれた。

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