傷物令嬢はこの婚約を断りたい
ジェイドとの婚約の締結は私の体調が良くなってからとなり、ひと月後の初夏の頃に子爵夫妻と私は王宮へと上がることになった。
正直行きたくないのだが、このまま大人しく婚約を締結させるわけにはいかないのだ。なんと言っても、彼はサラを愛しており、このままでは私は邪魔者にしかならないのだから。義妹の代わりの悪役令嬢などお断りである。
先にジェイドと話す必要があるので、義父母と話して、午前中から王宮へ上がることにしてもらった。
早く行くなどと知らせてないにも関わらず、王宮に子爵家の馬車がついたら、当然の様にそこにはジェイドがさわやかな笑顔で待ち構えていた…正直に言う。不気味で仕方ない。帰りたい。
「エヴァンジェリン嬢、エスコートさせてもらえるかな?」
ジェイドは私に手を差し伸べ、にっこりと微笑んだ。
「随分早く来たんだね。婚約式は午後からだから、少し時間が余ってしまうね?もちろん私としては、君と一緒にいられる時間が増えて喜ばしい限りだけど」
エスコートしながらにこにことジェイドが話しかけてくる。一体何を企んでいるのか、皆目見当がつかないので恐ろしいばかりである。原作でも彼は表面上はにこやかだが、サラを手に入れるために裏で相当に手を回していた。腹黒を通り越して暗黒王子だとも呼ばれていたのだ。
「婚約の前に殿下とお話ししたいことがございまして、両親に無理を言いましたの。殿下、よろしければお時間をいただけますでしょうか」
「もちろん。婚約者殿のためならいくらでも。
王族しか入れない中庭があってね、この時期は花が綺麗だし、何より誰の邪魔も入らないから、そこへ行こうか。
リザム子爵、夫人、エヴァンジェリン嬢をお借りするよ?」
渋々頷いた両親をよそにジェイドは実に上機嫌で中庭に私を連れ出した。
中庭にはアナベルやダリア、桔梗など様々な花が咲いており、実に美しかった。しかし、今年の夏は暑くなるのか、初夏の時期にもかかわらず、汗ばむほどの陽気で、蝉の大合唱が響いていた。
誰もいないことを確かめて私は口を開く。王家からの婚約を断ろうと言うのだ。他の貴族に聞かれでもしたら面倒なことになるに決まっている。ことは注意が必要である。
「殿下、私本日は申し上げたい事がありますの。婚約のことなのですが、私は殿下に相応しくないと思うのです。殿下は責任感のお強い方の様ですので、私にご配慮くださったのでしょうが…。殿下のお心遣いを無駄にする様で申し訳ありませんが、本日はこのお話をお断りしたく思って参りました」
「エヴァンジェリン嬢、私は私の望むことしかしていないよ。
それに先日は僕の不注意で君に傷を…」
「そもそも私は子爵家の娘に過ぎず、殿下に嫁ぐ資格がありません」
ジェイドが私を池に突き落としたことについて口にしようとしたので、遮る様に違う問題を口にする。
ジェイドが私を池に突き落とした理由を聞いてしまったら、色々と面倒なことになるに決まっている。どうしてそんなことをしたのかは分からないが、なんだか聞いてしまうと後戻りができない様な気がするのだ。
「今の君は子爵令嬢かもしれないが、資格に関しては、君は申し分が無いと思うけど?」
うまく誤魔化せた様でジェイドは『池に突き落としたこと』についてでなく、『身分差』の問題を口にした。よしよし、このまま誤魔化していくぞ。
「いいえ、私はエヴァンジェリン・クラン・デリア・ノースウェル・リザムです。それ以外の身分を持たず、またそれ以上を望むつもりはありません。それ故に私を婚約者に定めることは国法を違える事態になると思います」
「そうだね、国法としては王家の婚約者は侯爵令嬢以上とある。けれど、先ほども言った様に君に関しては子爵令嬢でも問題ないと陛下からすでに許しを得ているから、安心して欲しいな。もちろん他の家に養女に行く必要もないよ。
それに…」
公爵家に戻らず、子爵令嬢のままでいいと言うジェイドの言葉に驚く私に彼は何か続けた様だが、蝉時雨がいっそう煩くなり、途中で遮られ、なんと言ったか聞こえなかった。