令嬢は講義を受ける 2
「さて、次に神殿の位階について教えておかなきゃね。
俺たちハルトは『一位』と呼ばれて神殿において強い地位と権力を持ってる。ハルトについては知ってるよね?ハルトの名前を貰うと同時に神官の位も与えられる。そして、君の所属は『クライオス王国』でなく『サリンジャ法国』になる。ちなみに神殿に入殿した人間は皆今までの地位や身分を捨てることになり、『サリンジャの民』となる。そしてサリンジャの民は他の国の人間との結婚どころか恋愛すら許されない……まぁプラトニックなものならギリセーフかな。ここまでは知ってるよね?」
セオの言葉に私は頷く。確かにセオドアルートではそんな話だったと思う。
「私たちより上の位階は大神官様と大神官さまを補佐する何人かの補佐官――神殿内では執政官と呼ぶね。それに神殿長。だいたいこのくらいかな」
執政官とはキリスト教でいう枢機卿の様なものだろうか?ふんふんと私は頷く。
「執政官はだいたい何人くらいいるの?」
「だいたい皆大神殿にいるからそう接触する機会はないけど30人くらいじゃないかな。結構入れ替わりが激しいみたいだね。俺も名前をよく覚えていないよ、わかりやすく右胸に黒のバッジをつけているから、それを目印にするといい。呼びかけられたら『なんでしょう、執政官様』とでも言っておけばいいよ。名前を覚える必要はないね」
「ああ、忘れてた。これつけてね」
そう言ってセオが渡してきたのは桜の様な花の形をしたピンクゴールドのバッジだった。よく見るとセオの右胸にもついている。
「これは一位の証明だよ。一応一位の正装もあるけど、いつも着るわけじゃないからね。身分証明の代わりにいつもつけておいてね。
あと、君が神殿に入殿した祝金が出てる。ちょっと持てる量じゃないから、神殿に置いている。金額は…」
セオが口にした金額はとんでもない額だった。恐らくある程度の国の国家予算くらいはあるのではないだろうか。
「多すぎない?どこから来るの、そのお金!神殿でも罪を犯したり、何か問題がある貴族が入るところや孤児院とかを経営しているのでしょう?そういうところに回さなくていいの?」
「貴重なハルトの入殿祝いだからね、こんなもんだろう。それに神殿は普通の王国と違って国営の孤児院なんてないし、貴族の子女が入る場所に関しては有料だよ。そのことについては後で説明しよう。
あぁ、ちなみに使い方だけど、大きい金額を使いたいなら、小切手を渡して相手に最寄りの神殿まで取りに来る様に言えばいいよ。
あとはシェリーちゃんのことだから、子爵家にいくらか渡したいだろう?その場合は神殿の出納部に言って出してもらったらいい。あとさしあたって使わない金は他所の貸金庫に預けるとか、両替商に預けるとかしてもいいと思うけれど、そこまで持ち運ぶのは女の子のにはちょっとたいへんだからね。ひとりでは物騒だし、その時は俺が荷物持ちとして付き合うよ。紙の紙幣と言っても纏まればけっこう重いからね」
はい、これが小切手帳、とセオは事もなげに渡してくる。今まで小切手など使ったことなどない。なんせ前世は庶民、現世はあまり裕福ではない子爵家の令嬢だったのだ。
中を開いてみるとわかりやすく、相手の名前と金額、自分の名前を書く欄があった。その気になれば偽造できそうだな、と思ってたら、セオが続ける。
「その小切手帳に魔力を通してみて、この間俺と魔力を渡しあっただろう?その要領でやってみてごらん」
感覚を思い出しながら、ゆっくりと魔力を通すと小切手帳が光った。セオが「貸してみて」と言うので小切手帳を渡すと彼はペンを取り出し「見ていてごらん」と、サラサラと小切手帳に金額を書いた。すると、書いた端から文字が消えていく。
「この通り、こうして魔力を通しておくと、魔力を通した人間以外は記入ができなくなっている。ちなみに魔力を通していない小切手帳には何も記入ができない」
そう言って懐からもう一冊新品の小切手帳を取り出す。そしてそれに書き込もうとするも、いくら書こうとしてもそこは空白のままだった。
「だから、魔力を通すのを忘れない様にね。魔力を通すのは最初の一回だけでいいから。新品の小切手帳は出納部でいつでも貰えるよ。
それとこんな感じなので偽造は無理だね。まぁ、偽造しようとしてバレたら酷い目に遭うことは知ってるだろうから、しようとする人間もいないだろうけど」
「ありがとう」
そう言って小切手帳とバッジを受け取り、早速バッジを右胸につける。そうしてつけている時に右手の薬指を見て驚く。そこにはまだセオの瞳と同じ色の藍晶石の指輪が嵌っていたからだ。昨日洗礼をしたのでもう抜けるのではないかと――実はそれまで抜こうとしても全く抜けなかったのだ――試してみたが、やはり抜けないので、セオに尋ねる。
「ねぇ、セオ。この契約の証の指輪なんだけど、いつ頃取れるものなの?昨日、洗礼も終わったし私があなたの弟子になることは大神官さまにも許可をもらったわ。まだ何か契約みたいなものがあるの?」
「あぁ、それね。忘れてた。そうだね、ちょっと失礼するね」
そう言ってセオは私の右手を取り指輪に触れると、なんと簡単にするりと指輪は抜けた。驚いている私をそのままに、セオは今度は私の左手を取ると、あろうことか左手の薬指にその指輪を嵌めたのだ。私は驚いてすぐその指輪を抜こうとしたが、今さっきセオがあんなにあっさり抜いた指輪が私が抜こうとしても全然抜けないのだ。
「セオ、ちょっと。さすがにあなたでも、指輪をこの指にすることの一般的な意味はわかっているのでしょう?困るわ!」
「困るって何が?」
「何が?じゃなくて、勘違いされるわよ!」
「誰に?」
そう聞かれてはっとする。そう、私にはもう婚約者はいないし、彼の片想いの相手のサラはジェイドと婚約することになるだろうから、勘違いされても特に問題ないのだ。
「シェリーちゃんは当分恋愛なんて懲り懲りでしょう?それなら虫除けにしていたらいいよ。『師匠のセオドアから貰いました』って言うだけで相手は絶対に黙るから。
一応俺たちの上には大神官さまと執政官、神殿長らがいるけど、一位の婚姻に関しては、相手が居れば口出ししてこないことになっているから安心していい」
「大神官さまや執政官、神殿長は一位の人間がなるんじゃないみたいだけど、どういう基準で選ばれるのかしら」
「さあ。確かに入れ替わりも激しいし、何を基準に選んで、何を基準に辞めさせてるのか考えた事もなかったな。基本俺に関わりのないことは興味がないからね」
そう言って肩をすくめた後に「さて、帰ろうか」と言ってセオは来た道を引き返す。左手の薬指の指輪がなんとなく重く感じた。