令嬢は講義を受ける 1
「それで、散歩に行きたいんだっけ?
ハーヴェー大神殿があるこの地は、我らが神の出生地とも言われているんだ。案内がてら正式な師弟として最初の講義をしようか」
大神殿の近くだからか、この辺りは緑が多い。陽の光を浴びてきらきら光る樹木は美しいけれど神殿付近のそれは人の手が入った美しさである。そのため、なんとなく不自然さを感じる。
まぁ、不自然とは言っても今世で私がよく通ってたのは街中にある神殿だったし、前世もお寺や神社にはよく行ったが、他国の正式な神殿や教会に行ったことがないので私のイメージと違うというだけかもしれない。
巡礼の人のためか、道は整備され、大神殿の四方には大きな馬車も通るほどの道幅がある。その道と道の間の僅かなスペースに樹木が茂っている。そしてその樹木は自然の有り様を残すのではなく、傍目から見て美しく見えるように整えられているのだ。
そして、馬車道の他に人が通る様な小道も整備されている。獣道の様なものでなく、こちらもしっかりと煉瓦を敷き詰めて歩きやすい様にされている。それが神殿の入り口まで続いている。
前世において寺社仏閣に参詣したことがあったが、ここまでしっかりと道は作られていなかった様な気がするのだ。確かに鳥居の近くまでは舗装されていたが、鳥居を潜るとそこは神域で、参道は土だった。また、あまり神域の木々には手を入れていないイメージがあった。
それに引き換え、大神殿は本殿の入り口まで手をものすごく入れているので、なんとなく神殿よりも城のようなイメージを持った。まぁ宗教の違いと言えばそうなのだろう。
私の住まうクライオス王国を含むこのあたり一帯の国家はハーヴェー神を唯一神とする、ハーヴェー教が信仰されている。
その他の宗教もいくつかはあるのだろうが、ハーヴェー教を国教に据えている国家が多く、影を潜めるように存在している様だ。ハーヴェー神はこの世界を創った、所謂創世神である。
ハーヴェー神は地上に生物を作るときに、強い魔力を魔族に、強い爪や牙を肉食動物に、広い視野や素早い動き、早い足を草食動物にと与えた。あまりに気前よく与えすぎて最後に残った人間に与えるものがなくなってしまったらしい。どこかで聞いた話である。仕方がなく、ハーヴェー神は人には知能を分け与えた。
しかし、知能だけではほかの捕食者である、肉食動物や魔物には勝てず、人は絶滅の危機に陥った。――確かに身ひとつでライオンの群れに対峙しろと言われても食べられて終わりな気がする。文明に発展するまで人間は弱者であったのだ。
人が絶滅の危機に瀕した時に「このままではいけない」とハーヴェー神は人としてこの世界に生まれた。そしてこの地の人々を救ったあと、またハーヴェー神は天に帰り人を見守っているそうだ。
そして、そのハーヴェー神が現界した姿が誰あろう、クライオス王国の創始者、始まりの魔法使い、『オーガスト・クライオス』だ。このハーヴェー神が人として現界しない限り人は魔法を使えなかったという。つまり魔法を使えるのはオーガスト・クライオスの血を引いていると言うことだ。今やこの周辺の国で魔法を使えない人間は珍しい。つまりほとんどの人間が多かれ少なかれ彼の血を引いていることになる。
不思議に思うかもしれないが、こう考えてほしい。人には父と母がいる。これは二つの家系の血が流れていると言うことで、もちろんその両親も同じである。それをどんどん遡っていくとする。百年を四世代と考えると、一億を超える家系が混じり合うには六百五十年ほどで良いらしい。つまり何千年以上も前となるとほぼほぼほとんどの人間がオーガスト・クライオスの血を引いていると言っても不思議ではないだろう。
血が濃い人間は強い魔力を持っており、ジェイドなどは初代とほぼ同じ力を持つと言われていた。そして血が遠い人間は強い力を持たない場合がほとんどだが、商人の子供だったセオが強い力を持つのは隔世遺伝ではないだろうか。
要すると現在のクライオス王室の人間や、その血を引くものは神の血を色濃く引くものであるということになる。
これが一般的な教義であるが、よくよく考えてみると矛盾が生じる。
大神殿があるのは隣国の宗教国家、サリンジャである。クライオス王国はこの近辺で最強の国家である。そう、それこそ王家が、神の血を引くものと称することができるくらいに。それなのに、なぜ彼の出生地がクライオス王国ではないのだろうか。
次に、私は王妃教育において、『クライオス王国の初代国王は偉大な魔導師だったらしく、魔法で魔物や他国を退けて国を造った』と聞いていた。この時点で国があるほど、繁栄している人類が絶滅の危機に陥っていたと言うのはおかしな気がする。それに、本当にオーガスト・クライオスが創生神ハーヴェーが現界した姿というなら、なぜ他国を滅ぼしたのだろうか。
そして滅ぼされた国はどうして滅ぼされてしまったのか?
オーガスト・クライオスが本当に神だったとした場合、自分を信仰していない民を滅ぼしたという可能性はある。
あと他に考えられることとしては、宗教と全く関係がない戦争だった可能性もあるーー前世でもよくあった話だが、勝者が歴史や宗教を歪曲することはままある。クライオス王国が力をつけたからこそ、オーガスト・クライオスがハーヴェー神の生まれ変わりとする説が出てきただけで、ただの領土取り戦争だったかもしれない。
けれど、もし前者だった場合、生き残った人間はいたのだろうか?そして改宗した人もいただろうが、改宗しなかった人間はどうなったのだろうか?この国において宗教弾圧があったという話は聞いていない。ならば、国を離れた人間がいるのではないだろうか?もし、その人々がどこか逃げ延びたところでハーヴェー教と関係のない教えで暮らしているなら、そこに紛れ込めば私が怯えることなく生きていけるのではないだろうか?
それに、気になることはまだある。
「シェリーちゃん、聞いてる?」
セオの声で意識が引き戻される。考え事を始めるとついつい自分の世界に浸ってしまうのは私の悪い癖である。そして、セオに声をかけられたことにより、何を考えていたか、忘れてしまった。
「ごめんなさい、聞いていませんでした!」
「毎度毎度潔いお返事だけど、君ってちょいちょい自分の世界に浸るよね?傍目から見るとぼーっとしてる様に見えるから危ないよ。やめなよ?
その悪癖を治すためには俺もお仕置き方式を導入しなきゃダメかな?」
セオの言葉に顔が赤くなるのがわかる。本当にもう、この人はどこまで何を調べているのだろうか。私は首を一生懸命横に振るのに、セオは意地悪そうに微笑みながら、続けた。
「うん、次その悪癖を出したら、お仕置きね。何にしようかな…。やっぱりキスかな?」
「しません!」
「じゃあ、注意すること。それで?何を考えてたの?言ってごらん?」
「そんなに大したことじゃないの。私は王妃教育で、初代国王の『オーガスト・クライオス』がハーヴェー神の現界した姿だと習ったことがあるの」
「あぁ、それについては神殿でも認めているよ。まぁ、認めていない派閥も少なからずいるけど。その派閥も含めて色々と気をつけた方がいいと今君に話してたんだけどね」
なんと、神殿にも教義についての派閥がある様だ。どこの宗教でも似るものだろうか?
「だいたいの人間は『オーガスト・クライオス』がハーヴェー神が現界した姿だと言うけれど、まぁことは何千年前の話だからね。正確なことはわからないと俺なんかは思うけど。
けれどそれを信じている人間もそうでない人間もいる。信じている人間にとって君は神の血を色濃く引く人間だし、信じていない人間にとっては君は神を自称する不心得者の血を色濃く引く人間だ。
だから、『大神殿には一人で行かない様に』って話に繋がるんだ」
「はい、わかりました。
でも昔は王家の人間でも神殿に所属出来ていたなら、そこまで酷いことにはならないんじゃないの?」
「もう千年以上前の話だよ。今の人間には全く関係ない話だね。とりあえず君は出来るだけ俺から離れないこと。
それで?話が逸れたけど思ってたことって何かな?」
私はセオの言葉に頷きながら続ける。
「初代国王の出生地が他国にあるのは面白いなって思ったの」
「あぁ、なるほど。ここは元々クライオス王国だったけど、政教分離をするために切り離して、当時の大神官だった『ヨハン・サリンジャ』の名前を取ってサリンジャ法国が生まれたってことになってる」
「ハーヴェー様のお名前を冠さなかったのね」
「まぁ、不敬に当たるって考えたんだろうね。それで、他には?」
「初代国王は『魔法で魔物や他国を退けて国を造った』ってあるけど、どうして他国まで制圧したのかなって思ったの。教義には、あくまで魔物や猛獣から人を守るためだったはずなのにって」
「あぁ、なるほど。その辺りは確かに矛盾が生じるところだね。実はハーヴェー神は『他の信仰を許してはいけない』とは言ってないんだ。つまり、信仰の自由を許している。それなのに、他国を制圧したことには何か意味があるんだろうとは言われているがそれがなぜかはまだ判明されていないね。まぁそこまで考える人間はそんなにいないけど」
話しているうちに私たちは神殿から離れたところにある、青くキラキラ光る泉に着いた。ここまでの道は珍しく煉瓦を敷かれてなく、地面は土で、よく人が通るところだけ、草が生い茂ってなかった。あまり手を入れていない様だった。
「ここで、オーガスト・クライオスは自分がハーヴェー神の生まれ変わりだと自覚したと言われている。だからこの水を飲んだら、『忘れていた記憶が蘇る』とか『素質に目覚める』とか言われてるね。飲んでみるかい?」
何だか面白そうな話である。ぜひ飲んでみたい。そういえば前世にも『頭が良くなるお水』や『美人になる水』とかあったなと思って懐かしくなる。
「うん、飲んでみたい!何か作法とかあるの?」
「いや、ここは聖なる泉だけど、誰でも来れるところだからね。泉を汚染する様な真似をしたら、問題になるだろうけど、水を飲むくらいなら特にこれといった作法はないよ」
私はキラキラ光る泉にそっと手を浸して、両手で水を掬い、飲んでみる。なんとなく甘い様な気がしたが、それだけで特に何かが変わったということはない。
私の不思議そうな顔を見てセオが笑い出す。
「ははは、何もなかっただろう?俺も昔試したけど特に何も変わらなかったよ。まぁ、だからこそ一般の人間でも来られる様になっているんだろうけどね」