令嬢は大神殿を辞する
「最後に一つお伺いしたいのですが、今悪魔はこの神殿にいますか?」
先程の強い敵意はもしかしたら彼らのものかもしれない。そう思ったので、大神官に尋ねてみる。
「いいや、ここには裁かれるべきものはおらぬ。しかし、悪魔を見つけたら必ず大神殿に連行する様にしなさい」
私は大神官様の言葉に頭を下げる。言葉で是と言いたくなかったのだ。恐らく私は悪魔と認定される存在にあたるだろうからだ。
人を呪わば穴二つ、この言葉が頭に浮かぶ。父や異母兄妹を神殿に背教者として売った後にこの展開である。
この後どう生きていけばいいかわからないが、出来るだけ早くセオから独立して大神殿から離れた鄙びた土地で暮らしていくのが良いだろう。
今考えるとジェイドから逃げることの方が簡単だったからかもしれない。少し難しいかもしれないが国外に出てしまえばなんとかなったかもしれないからだ。
神殿から逃げるのはまず無理だろう。この辺り近辺の国はあるひとつの国を除いて、全て神殿を崇拝している。つまり、どこまで逃げれば神殿の教区から逃れられるかは不明なのだ。その間にきっと神殿の網に引っかかるだろう。神殿にとっては光属性の持ち主は金のなる木である。逃がすはずもなく、捕まった後にどうして逃げたのか、と詰問された時に答える術がない。
たった一国だけハーヴェーを信仰していない、どころか敵対している国はあるが、その国は異国の民を受け入れない。それどころか、ハーヴェー教を信仰する人間は悪魔だと思っているから、下手に行ったら殺されるだけで終わってしまうだろう。しかも、その国の民のほぼ全員が黒髪、黒目、褐色の肌を持つ。私とはまるで違うので、紛れ込むことはまず不可能だ。だから、今後は、出来るだけ目立たず、ひっそりと生きていくのが正解だろう。
ある意味私の元々の目的である『シナリオに関係ないところで幸せに生きていく』に通じるところもなくはないが、バレたら死亡という恐ろしい状態でもある。正直勘弁してほしい。
「では大神官様、私どもはこれで失礼いたします」
「うむ、2人とも今後も精進なさい」
セオは大神官に頭を下げるとさりげなく私の手を取り、その場を後にする。
「シェリーちゃん、大丈夫かい?顔色が悪いよ。疲れたかな?それともどこか調子がわるいのかな?」
私はなんと言っていいか分からず、ただ頭を振る。セオに私が悪魔かもしれないなどとはとても言えない。それを知った時、セオがどの様な行動を取るかわからない。けれどセオが『私が悪魔だと知っていた』という状況は作ってはいけないと思った。
「とりあえず、大神殿を出ようか。実は俺もここの雰囲気好きじゃないんだよね。何というか……入ってすぐは刺々しい雰囲気があるよね?」
「セオも気付いてたの?」
「まぁね、あれで気づかない人間の方がどうかと思うよ。ともかく、近くに宿をとっているからそこでゆっくりしようか」
恐らく青ざめているであろう私を、連れて行ってくれたのは小さなこじんまりとした宿だった。真っ赤な屋根にオレンジの壁の宿で、どことなくアットホームな雰囲気がある。
中に入ると、恰幅の良い女将さんが忙しそうに働いていた。一階は食事所の様になっており、何人かのお客さんがいた。
「やぁ、女将さん。久しぶり、いつもの部屋をお願いしてたけど、用意はできているかい?連れがちょっと気分が悪い様でね、すぐ休ませてやりたいんだ」
「おや、セオドア様、あんたまた違う女を連れて!しかもどうやら貴族のお嬢様みたいじゃないか。いつもの様に弄ぶつもりじゃないだろうね?」
「人聞きが悪いよ、女将さん。私がいつも女性を騙している悪い男みたいじゃないか」
「何言ってんだい。あたしゃ、あんたほど悪い男は見たことないよ。お嬢さん悪いこと言わないから、この男とはさっさと縁を切った方がいいよ。と、そんなこと言ってる場合じゃないね、顔色が真っ青じゃないか!」
「忙しそうだから、鍵を貰えたら俺がそのまま連れて行くよ」
「じゃあ、頼もうかね。そんな可愛いお嬢さんにくれぐれもお悪戯をしない様にしなよ」
そう言うと女将さんはカウンターの奥にある鍵の束から2本鍵を取ると、セオに投げてよこした。セオはそれを器用に受け取ると二階へ私を案内した。
セオが案内してくれた先の部屋は、ベッドの他にこじんまりとしたテーブルとソファーが置いてある。少し小さめの部屋であったが、しっかりと掃除が行き届いており、居心地の良い温かな雰囲気の場所であった。先ほどから詰まったままだった息が少し吐けた気がする。
「とりあえず座ってて、お茶でももらってくるから」
私が頷いてソファーに座るとセオはそのまま外に出ていき、すぐにお茶とお茶受けを持って帰ってきた。そこまで女将さんが持ってきてくれたそうだ。お茶を口に運ぶと漸く落ち着いてきた。
「大丈夫かい?神殿の空気に気圧されたかな?」
「…私にはすごい敵意を感じたけど、何か知ってる?」
「敵意か、確かにそう評せるほどの圧を感じるよね。いつもはあそこまで明確な敵意は感じないから、残念だけど俺も何故かわからない。けれど言われてみれば、俺の洗礼の時もあんな雰囲気だった気がするな。
まぁ、洗礼後は敵意は無くなっただろう?今後は問題ないと思うけど、でも、シェリーちゃん、君は一人で大神殿に行かない様にね。必ず俺と一緒に行く様にしてね」
「できれば今後は大神殿に足を踏み入れたくないと思ってるけど、万一の時はセオに必ず声をかけることにするわね。
……ねぇ、セオ、あなた悪魔にあったことある?」
セオの言葉に頷いた後、気になっていたことを聞いてみる。
「ないよ。そもそも興味ないしね」
「興味がない…?」
「あぁ、悪魔のことも気にしてたのか。まぁ、大神官様はあの様に仰ったけど、俺たちは王都内の神殿に所属しているから、そもそもそんなに会うことはないと思うけど。もし住民の中に紛れていても、俺の大事な人に害を及ぼさない限り神殿に突き出そうとは思ってないんだよね、俺」
「…そんな感じで、いいの?」
「俺は生きて行くために神殿にいるけど、神殿に対して思うところがないでもないからね。
正直神殿が悪と言っても、自分の目できちんと判断した上で著しい問題があると感じなければ、神殿に突き出すつもりはないかな。
こんな適当な師匠ですまないね。けれど俺もこんな感じだから、君もあまり気にしすぎない様にね」
そう言うとセオドアは笑った。そして対面に座っていたソファーから立ち上がると私の隣に座る。そのまま私の手を取る。
「まだ血が通ってないかな?安心していいよ、シェリーちゃん。君は俺にとって特別な人間なんだ。俺が君を守ってあげるから、安心していいよ」
「ありがとう。頼りにしてます、お師匠様」
「任せといてよ。それでシェリーちゃん。俺は王都中心部にある神殿の所属なんだよね、だからこのまま王宮神殿に勤めることになるけど、大丈夫かい?」
「特に問題ないわ。だって一応私もハルトの名前を貰ったから。あの方も、もう用無しの私に関わるつもりはないでしょうし。万一あちらが、何か声をかけて来ても、断ることができる身分になったもの。
けれど、できればあまり近くにいたくないから、セオから卒業した後はどこか鄙びた小さな町にでも行って暮らしていきたいんだけど、許可が降りるかしら?」
「俺はシェリーちゃんとずっと一緒にいたいからねぇ。クライオスには君を含め6人しかいない貴重な光属性二人が田舎に行くなんてきっと許してもらえないだろうね」
「私一人でいいんだけど」
なぜそこでセオがついてくるかわからない。できれば刻印がないことがバレないように、どこかでひっそりと生きていきたいのに…。
「そのあたりは諦めてね。
それで、君が困るならなんとかして王宮神殿から王都中心部の神殿に移ることも考えるけど……俺の所属の神殿は王宮神殿に力を入れているから、本来本拠地である中心部の神殿は小さいんだ。そっちに勤務したら、通いになる。その場合、俺の目が届かないところが所々出てくるからできれば王宮神殿に勤務の方がいいと思うんだけどね」
「セオがやりやすい方でいいんだけど、ただ、私付き人みたいな人はいらないし、後お風呂とかも大勢で入るの苦手なんだけど」
できるだけ私の左胸に刻印がないことを隠さなければならないので通いの方がいいとは思うのだが、正直に言うと通いの間、一人になる時間があるのは怖い。正直バレる可能性が高くなるだろうが、セオが気を配ってくれるなら王宮神殿で暮らしてもいいと思う。
「あぁ、シェリーちゃんは貴族だったから、大浴場とか苦手かぁ、大丈夫。ハルトの地位にある人間の部屋には個浴があるし、シャワーも完備されてるから問題ないよ。侍女とか本当に必要ないの?ハルトになら何人か許されるよ」
「ううん、いらないわ。今後何が起こるかわからないもの。私一人でなんでもできるようにしなくちゃいけないもの」
私の言葉にOK OKと彼は頷いた。