傷物令嬢は状況がわからない
しかも、今回の王太子なんて私の怪我なんぞ、治癒術師に依頼して終わりで、良いのではないだろうか?わざわざ責任を取る意味がよくわからないのだ。そもそも、シナリオでは彼はイリアと12歳の頃に、すでに婚約しているはずだが、今の彼には婚約者がいない。
ジェイドがサラに惚れているため、原作と違い、他の婚約者を断っているのかもしれないが、それならなぜ私に婚約を申し込んできたのかわからない。
ジェイドはヒロインに惚れているはずなので、つまるところ、私が異母妹の代わりに悪役令嬢になると言うことだろうか?
正直冗談ではない。優しい子爵夫妻に迷惑をかけたくないので、断罪などされるわけにはいかないのだ。責任など取らなくて良いので、慰謝料だけいただけないかと、婚約の締結の前に話をしようと心に決めた。
熱が下がって少し経った頃、義父母が神妙な顔で部屋に入ってきて、私の顔を覗き込む様にして、話し始めた。
「ねぇ、エヴァ。気を悪くしないで聞いて欲しい。君は元々王太子の筆頭婚約者候補だったが、それが叶わなくなったので我が家に来てくれたのだが、私は子爵でしかない。何かあった時に君を守れる力はあまりないんだ……悔しいことだが」
「だからね、貴女はもう実家に大手を振って帰れるのではないかしら?その方があなたのためになるんじゃないかと私たちは思うのよ。クラン公爵家には私たちからお話しするわ」
両親の提案は私を思ってくれてのことだろうが、私は丁寧にお断りすることにした。
「お義父様とお義母様にはご迷惑になるかもしれませんが、私の家族はお二人だけです。他に帰るところなんてありませんわ。
エヴァンジェリン・フォン・クランは8歳の時に病気で亡くなったのです。……死者は生き返らないものですわ」
そう言ってお義母様に抱きつく。温かく、優しい香りがする。もうすでに公爵家は私の家族ではないのだ。それに公爵家に帰る=悪役令嬢への道まっしぐらの可能性だって捨てきれない。
お義母様は涙に濡れた声で返してくれた。
「ありがとう、エヴァ。私もあなたのことは実の娘の様に愛しく思っているわ。私は体が弱くて、子供がなせなかったの。ヨアキムは構わない、2人で暮らそうって言ってくれたけど、ずっと申し訳なくて…寂しかったわ。でも貴女が来てくれて本当に嬉しかったの。本当は、私だって貴女を手放したくなかったからそう言ってもらえて、嬉しい。でも、大事に思うからこそ聞きたいの、頼りない私たちだけど本当にいいの?」
「私の家族はお二人だけです」
そう言ったら2人は泣きながら私を抱きしめてくれた。温かくて優しい義父母が私は大好きだと、改めて思う。そんな信頼できる2人にはきちんと今後私が取りたい道を伝えておくべきだろう、と思い口を開く。
「お義父様、お義母様。私、実はこの婚約についてはお断りできないかと思っているのです。
小耳に挟んだことなんですが、殿下は思う方がいるそうなんです。うっかり池に落ちた私のそばにいたせいで、殿下のお気持ちを蔑ろにすることは私の望むところではありません。
なにより公爵家に戻らない以上、私は子爵家の娘ですので、王家に嫁ぐことなどできませんもの。
そもそも、私は傷物の身。この醜い傷跡を持ったまま、高位貴族の元へ嫁ごうなどとは思っておりません。
グラムハルト様と婚約を解消した後は、後妻や平民でも良いので、子爵家のためになるところに嫁ぎたいと思っております。何より王宮に上がっては2人になかなか会えなくなりますから、婚約はお断りしたいのです」
正確には、池には殿下が突き落としたのだが、下手なことを言うとどの様なことになるかわからないのだ。だから、池にはうっかり私が足を滑らせたことにするのだ。それであれば彼は偶然居合わせただけでなんの責任も取る必要はなくなるのだから。
「王家の意向に異を唱えることにはなるが、下手に責任を取らせるために婚約するより良いことだろうね。ただ、エヴァの婚姻先については今後ゆっくり話すことにしよう。お婿さんを取ってこの家を継いでもらうと言うのが、一番私たちの望む形ということだけは伝えておくよ」
お父様はそう仰ってくださり、可愛らしくウィンクした。実父と違い、義父はロマンスグレーのかっこいい男性なので、とてもよく似合った。ウィンクの似合う男性など信用置けないと前世の私は思っていたが、お義父様だけは別である。2人は今後の婚姻先以外は、私の意向に頷いてくれた。
なんだか、最近色々ありすぎて頭が痛い。私はこのゲームに登場しない人間ではなかったのだろうか、と大きくため息をつく。
私の部屋には小さなバルコニーがあり、暗くなったら少し出て、星を見つめる習慣ができた。前世ではほぼほぼ見えなかった星だが、この世界では綺麗に見える。星座や星の位置に詳しくないので、前世と同じ星空かどうかはわからない。それでも、星空を見ると前世と唯一変わらない景色を見ている様な気になれた。
もちろん、前世に比べて街の明かりがないとか、星が綺麗に見えるとか差はあるが、それでも一番前世と似ている景色だったので、なんとなく慰めになった気がしていたので、毎日の様に星を眺めた。
子爵家の邸はそんなに広くない。道から他の人間に見られることになるかも、とは思ったが、この国では夜は真っ暗だ。だから、あまり夜出歩く人はない。だから安心して、星を眺めていたが、最近急ぎの用なのか、馬車をこんな遅い時間でも走らせている家があるのだ。
あまり長居をして夜着でいるところを見られるのはよろしくないと早めに切り上げるようになった。残念である。