令嬢は大神殿に向かう
ジェイドを背にして歩き出した私を迎えてくれたのはセオだった。彼は先ほどまでと同様エスコートをしてくれる。ちらりと手を見るが、やはり鳥肌は立っていない。
まさかね、と思って少しよろけるふりをして、目の前の名前もよく知らない貴族にぶつかってみる。そうしたら、案の定鳥肌が立っていた。うわぁ、確定だ。私、どうやら男性嫌悪症気味になってしまった様だ。
ぶつかった貴族に「失礼いたしました」と一声かけて、そのまま素知らぬ顔で馬車に乗る。これはセオが用意してくれた馬車で、このまま一緒に大神殿へ行く予定である。
神殿に入殿するためにはまず大神殿に行って大神官様の祝福をもらわないといけないらしい。大神殿は隣国にあるので、だいたい馬車で二週間近くかかる。往復で約二月ほど要することになる。
本来なら、向かい合って座るべきだが、試したいことがあったので、先に乗っているセオの隣に座る。馭者は不思議そうな顔をしながらも見なかったことにして馬車の扉を閉めた。
「ちょいちょい、エヴァちゃん、座る場所間違えてない?私が向こうに行こうか?」
「ううん、このままで。ちょっと手を貸して」
私はそう言って、セオドアの手を握りしめる。やはり、鳥肌は立っていない。
ふむ、と思って、今度は彼の腕に抱きついてみる。これだけ接触しても私の腕には鳥肌は立っていない。つまり、お義父様とセオは問題ないが、それ以外の男性と接触することに私は嫌悪感を感じている様だ。
「エヴァちゃん、何これ?俺誘われてるの?え、なに、乗っていいの?いただきますして問題ない感じ?」
「何言ってるの、冗談ばっかり。女性に不自由してないでしょう?私以外にしてちょうだい」
「いやいやいや、君ね、最近ちょっとこう、色々と積極的すぎない?っていうか、今回と言い、前回と言い、俺以外にこんなことしたら、普通に食べられるからね?もう少し危機感持たないと危ないよ。こう、据え膳食わぬは…っていうか」
「セオ以外にはしてないから大丈夫、今後も多分セオにしかできないから」
「ちょ、ちょっと。何これ、俺、本気にしていい感じ?どっちかって言うと俺は自分の方から押したいタイプなんだけど」
「何を言いたいかわかんないけど、セオ。あなた、本来は自分のこと『俺』って言うのね。うん、なんかそっちの方がセオって感じでしっくりくるわ」
私の言葉にセオはしまったと言う顔をする。今まで頑なに『私』って言ってたもんね。でも育ちを考えると『俺』の方が違和感がない。
「あ、それでね、セオ。私、お義父様とあなた以外の男性に触られるの気持ち悪いみたい」
私の言葉にセオは赤くなった後に青くなるという、とても器用な顔色をした。
「なるほどね」と途中、昼食に寄った食堂で、給仕のお兄さんに触ったせいで出た私の鳥肌を見ながらセオは呟いた。
「まぁ、トラウマになるだろう目に遭ったから仕方がないとは言え、今後の仕事に差し支えるかもね」
「だよね、女性限定なんて無理だろうし、患者さんに触って鳥肌を立てるって言うのも失礼な話だもの」
「わかった、じゃあ神殿に着くまでに、馬車の中で防御魔法の練習をしよう」
突然の提案に首を傾げる私に、セオはクスリと笑う。その微笑みが色っぽくて少し落ち着かなくなる。彼は私の前世の推しなのだ。正直に言って好みのタイプなのだ。今は彼はゲームの『セオドア』でなく、頼れるお兄さんみたいな人の『セオ』だと私は認識している。いや、これから師匠になるのか。
ともかく彼とゲームのセオドアは別の人間だと思っているが、彼らは顔は一緒なのである。つまり、とても好みのタイプなのだ。恋愛感情というよりもアイドルに向かってきゃーきゃー言う様な気分ではある。けれど一度『推し』だと認識してしまうとそわそわして落ち着かない気分になる。
「聞いてる?エヴァちゃん」
声をかけられてハッとする。聞いていませんでしたよ。ここで聞いてた、なんで嘘を言っても仕方がないので、ごめんなさいと謝りながら聞いていなかったことを告げる。
「うん、正直でよろしい。それでね、君のそれは恐怖体験に基づく心的障害だ。だから、自分で自分の身を守れることがわかれば改善するんじゃないかな?」
「なるほど。さすが神官様。私も早く魔法を習いたかったの!お願いします、お師匠様!」
「お師匠様はやめてくれるかな?柄じゃない。今まで通りセオって呼んで欲しいな。
それで君のことは今度こそイヴちゃんって呼ばせて貰えるのかな?」
セオの言葉に思わず笑顔が固まる。
『これは僕だけの呼び方だから、他の人間にはさせない様にね』
そう囁かれた言葉を思い出したのだ。馬鹿だ、もう彼と私の間には何の関係もない。もう二度と錯綜しないはずの人である。それなのに私はつい躊躇してしまったのだ。
「ごめんごめん、意地悪を言ったかな。無理しなくていいよ、今後もエヴァちゃんって呼ぶから」
「ねぇ、セオ。神殿に入ったら、名前って変えられるかしら?エヴァンジェリンって名前って結構長いし貴族っぽいから変えたいの」
私の言葉にセオは眉を顰めて、答える。
「貴族籍がなくなるし、神殿の所属になるから問題はないけど、あまり推奨したくないかな。いい名前だと俺は思うよ?」
「そうかしら…。色々吹っ切りたかったの。でもセオがそう言うなら良いわ」
「なんて名前にしたかったの?」
「シェリー」
そう、未練がましいと自分でも思うが、ジェイドにイヴと呼ばれる名前を私は捨てたかった。もう彼に対して何も残っていないはずで、触られると鳥肌すら立つのに、それなのに。
それなのに…私の心の所々に彼はいて、ひょんなことで顔を覗かせるのだ。いやだな、私。ストーカーになりそうなタイプじゃないだろうか。
「ふーん、じゃ、俺だけは君のことを『シェリー』って呼ぶよ。もちろん『これは俺だけの呼び方だから、他の人間にはさせない様にね』」
「ちょっとセオ、あなたいったい何をどこまで知ってるの!」
顔を真っ赤にして怒る私を見つめると、彼は楽しそうに笑った。