王太子は後悔する 1
渋々ながらサラと踊ること数曲………奴らの動きはないのか、報告が全くこない。もう少し早く動き出すと予想していたので、正直言って困っている。もうこれで何曲踊ったことか……。これが一番確実だと思ってはいたが、間違えたかもしれない、絶対にイヴに嫌われる。
「ジェイド。小休止の時間、少し水分補給して」
そう言ってサラは僕に飲み物を差し出してくれる。いつもは破天荒なくせにちょいちょいこちらを気遣ってくれるサラは、実は割と面倒見のいい性格である。
ワインを飲み、空いたグラスを給仕に渡したところで、壁の花になっているイヴを見つける。
「すまない、サラ。ちょっと謝りに行きたい。少し離れる」
「バカ、離れてどうするの?私以外の女の子に誘われない様に今こうして一緒にいるんでしょう?しかも謝るってどうするのよ。『今囮捜査してるから、私と一緒にいるんです』とでも言うつもり?捕まるものも捕まらなくなるわよ!」
確かにサラの言う通りではある。報告がまだ来ない以上、サラと一緒にいなければならない。こんなことならイヴと2曲踊ればよかった。調査によると奴らは目をつけた令嬢には割と早い段階で手を出しているし、イゾルデ嬢も早々に喧嘩を売ってくれることになっていたから、こんなにサラと踊る気はなかったのだ。
「もう、仕方ないわね。じゃ私が喧嘩売ってヘイト集めてあげるから、あんたは黙って隣にいなさい」
「ちょっと待て、追い討ちをかけてどうする」
「嫌いな人間が2人いて、片っぽがものすごーく感じ悪かったから、もう1人のそこまで感じ悪くない方ってあんまり印象に残らなくない?
まぁ、あいつに比べればましか…、みたいなの。
それに私はもとよりエヴァちゃんに喧嘩売って彼女に同情票を集めるつもりだったんだから、一石二鳥よ。大丈夫、調べた感じ、エヴァちゃんそこまで気が弱い子じゃなさそうだし、問題ないわ」
そう言ってズンズンとイヴの方に向かうサラをエスコートしている様に見せかけながら共にイヴの元へ行く。
イヴにサラを紹介すると、イヴは美しいカーテシーをして、サラに挨拶をする。何も知らないイヴからしたら、サラは嫌悪の対象だろうに、礼儀正しい立居振る舞いだった。
それにも関わらず、サラの態度は僕ですら苛つかせるすごいものだった。本当に憎まれ役がうまい。天性の才能だろう。
「いやだ、イヴ様。クラフトなんて、サラって呼んでください」
待て、サラ。誰がいつ彼女のことをイヴと呼んでいいと言った。その呼び方は僕専用で他の人間が呼ぶことは許さないぞ、と厳しい顔をしたら、それにイヴが反論してくれる。
「サラ様、それでは私のことはイヴでなく、エヴァとお呼びいただけますか?」
さすがは僕のイヴだ。僕と約束してくれたことを忠実に守ってくれるつもりらしい。
「いやだ、イヴ様ったら。どちらでも一緒じゃないですか。それにジェイがイヴって呼ぶから私もイヴ様って呼びたいです。もう慣れちゃったんですよね。私、よくジェイと一緒にいるから」
サラがそこに更なる爆弾を投下する。いつも俺のことは『ジェイド』か『あんた』なのに、僕がイヴにそう呼ぶ様にお願いした名前で僕を呼ぶあたり、確信犯である。しかもいつも一緒にいる、とか誤解されても仕方がない話ぶり。ヘイトを集めるとか言っていたが、僕とイヴを別れさせようとしているとしか思えない。
思わず口を開きかけたら、またもや思い切りサラに足をヒールで踏まれる。痛い、と口に出さないように口をつぐんだ瞬間にサラはペラペラと違う言葉でイヴを苛んでいた。
流石にこれ以上はやめてくれ、そもそもそこまでサラが悪役にならずともいいだろう、と口を開きかけた時に、小休止が終わり、再度曲が流れ出す。
「あっ、ジェイ。再開したね、踊ろう」
できればこれ以上踊りたくはないが仕方があるまい。けれどその前に何か、イヴに言わなくては、と思ったが、その前に意を決したような顔のイヴが口を開いた。
「お待ちください、サラ様。本来婚約者でない方とのダンスは1曲きり。婚約者でも2曲までです。これ以上はなりませんわ。
それに兄妹同然に育ったとは言え、公の場で殿下のことを愛称で呼んではなりません」
ものすごく真っ当な意見である。彼女の後ろに控えていたレイチェル夫人は驚いた様にイヴを見て感心したような眼差しを向けている。それ以外にも僕たちの行動に眉を顰めていたうるさ型のご年配の貴婦人たちがうんうん、と頷いているので、ある意味サラの計画通りである。
「やーだ、イヴ様ったら、ふっるーい!お城で古臭いことばっかり言ってる教育係の方みたいなことを言うんですね。そんな嫉妬しなくっても私とジェイは兄妹みたいなものだから、大丈夫ですよ。
まぁ、イヴ様は一度きりしか踊ってもらえなかったからそう言いたくなる気持ちはわからなくもないですけど」
イヴにだけでなく、後ろの貴婦人たちにも喧嘩を売るつもりなのだろう、サラは続ける。後ろの貴婦人たちは物凄い目でサラを睨んでいる。これは確かに、イヴにものすごく支持が集まりそうで良い気がするが…けれど、イヴは大丈夫だろうか?
「左様でございますか、けれどもサラ様。貴女さまはいつでも殿下と踊っていただけるかもしれませんが、子爵令嬢や男爵令嬢の方々は人生で一度きりのチャンスです。譲ってあげていただけませんか」
僕の心配をよそに、イヴはここまでバカにされても、母の様に切れて相手に手を出すこともなくーーサラを気に入っているだけあって我が母も割と凶暴である。イヴにだけは手を上げさせないように気をつけねばなるまいーーまたヒステリックに喚き散らすこともなく、淡々と続ける。
しかも『下位貴族のことも考えてほしい』と言う、反論しにくく、さらに慈悲深い発言に周りの貴婦人たちのイヴを見る目が、賞賛の眼差しに変わる。さすがは僕のイヴである。
「ふーん、そうくるんですか。どうする、ジェイ?」
ここで僕にフルのか!それなら最初から話をさせて欲しかった。どう考えてもこのまま罠を張るなら僕に言えることはただ一つだけである…。
「そうだな。じゃ最後にもう1回踊ってから」