王太子は傷物令嬢と結婚したい 9
彼女の熱が引いて、また王宮へ毎日来てくれる様になった。お茶会は僕の仕事の都合もあって3日に一度ほどしかできないが、遠目からでも彼女を見れるのは嬉しいことだった。
密輸の件もほぼ片付き、僕への心配も無くなったのか、彼女は『表立って言えない忠告』をすることがなくなってきていた。
「事態は少しは落ち着いたかな?」
念のために問うと彼女はにっこり微笑んで問題ないと答えてくれた。母の出方を探るために王妃教育についても質問したが、それについても問題ないとの答えが帰ってきた。
もともと8歳まで受けていた妃教育でも出来が良い、素晴らしいと言われていた彼女だ。さらに子爵家には僕自身が厳選した、王妃教育のできる家庭教師を派遣していたので、心配はあまりしていなかった。
それを証明する様に、イヴはそんじょそこらの貴族よりよほど立居振る舞いは美しいし、教養もある。気づいていないのは本人ばかりだろうが。あぁ、あときちんと物を見ようとしない周りの馬鹿共もそうか。
母は彼女の優秀さに気づいているが、あまり褒めたくないのでどこかしら粗を見つけて文句を言ってやろうとしている様だが、王妃教育には、教育係の貴婦人が他にも何人か付いている。
実は母は侯爵家の令嬢の割に王妃教育があまり上手くいかず、今でもあれはダメだろう、と思われることが多々あるので、母に任せきりにしてはならないということになったそうだ。その教育係たちが問題ないと言っていることに口を挟むことはできず、ただただ悔しがっているらしい。
彼女の身に危険が迫ってないことや困っていることがないことに、安心したが、その後に気づいてしまった。『表立って言えない忠告』がないと僕らの間にはあまり共通の話題がないことを。
彼女はその辺の令嬢の様に誰かの悪口を言うことも、僕におべんちゃらを言って擦り寄ることも、何か物をねだることもなく、静かにお茶を飲んでいる。
彼女が相手の時は、沈黙が苦痛にならない。一緒にお茶を飲んでいるだけでも幸せだが、彼女の小鳥が囀る様な可愛い声が聞けないのは少し残念でもある。それに気づいてくれたのか、彼女は僕に対して歩み寄りの姿勢を見せてくれた。
「殿下はお暇な時は何をされてらっしゃいますか?ご趣味などはございますか?」
彼女が僕に興味を持ってくれた。実に嬉しいことである。今一番興味があって時間を割いているのはイヴのことを知るために報告書を読むことだが、流石にそれを言うと彼女も引いてしまうだろう。少しぼやかして口にする。
「そうだね、あまり自由になる時間は少ないけど、時間が空いたら活字を読むことが多いかな。最近、1番楽しい時間はこの時間なんだけどね」
「活字を読む……読書ですか!とても素敵ですね。私も本を読むのは大好きです。殿下のおすすめの本があったら教えていただけますか」
イヴは自分も僕と同じ趣味を持っている、と教えてくれ、さらに同じ本も読んでみると言ってくれる。可愛い上に気遣いもできるなんて本当に僕の伴侶は最高である。
しかし、本は高価だしなかなか手に入らない物なので、城の図書室に入れる様に取り計らう旨告げると、彼女はとても喜んでくれた。
けれども、困ったことにイヴはすぐに僕のことを殿下と呼ぶのだ。もちろん心の距離を近づけねばなるまい。
「こっちに来てくれるよね?」
僕が微笑むと彼女は頬を薔薇色に染めながらこちらに来てくれた。何度かお仕置きと称して彼女の唇を味わっているが、ここ最近彼女の態度が以前より軟化してきていた。
どうやら、僕とのキスは彼女にとっても好ましい物になってきた様なのだ。これからはお仕置きとかいう建前がなくてもしてもいいのではないかと思っている。
彼女をいつも通り膝の上に乗せて、唇を寄せると、彼女はそっと瞳を閉じてくれる。ここ最近は頼まずとも、僕を受け入れるために唇を開けてくれている。
可愛い、可愛い、可愛い。その言葉しか考えられなくなってキスをしていると、彼女もそれに応えてくれる。
彼女の柔らかな肢体が僕に預けられたので、ついつい我慢できずに彼女の豊満な胸に手を伸ばしてしまう。服の上からでも柔らかく、僕の手で形を変えるそれは僕を夢中にさせた。
こんなことをしたのは初めてだからか、彼女はびっくりして僕の膝の上から逃げようとしたが逃すはずがない。左手で彼女の腰をしっかりとホールドし、逃げられない様にした後、さらに深く彼女の口内に侵入すると、彼女の身体から再度力が抜け始めた。
「あ、いゃ。ダメ…です…、あ、ジェイ様…」
彼女の唇からは拒絶の言葉が出ているが、正直これは男を煽る効果しかない。このまま彼女を手に入れたいが、彼女の願いがあった。それは『傷を見られたくないから、治るまでは身体を見ないで』だ。約束は守りたいが、守るつもりはあるが…、けれど。
そんな時に熱に浮かされた様にイヴが口を開く。
「ジェイ様、す…」
「はい、殿下。そこまでにしておきましょうか」
彼女の声を遮ったのはもちろんアスランだ。せっかくいいところだったのに!彼女の次の言葉はなんだったんだろうか、『好き』だったのなら、彼女から初めてしてもらえる告白だったのだ!僕はその不満をそのまま口にする。
「アッシュ、いいとこだったのによくも邪魔をしてくれたな。他の者だって皆見て見ぬふりをしてくれていたものを!」
「そこまでにしとかないと止まらないでしょうが。王族の婚姻には純潔性が尊ばれることを知らない貴方でもないでしょう。
ただでさえ微妙なお立場のエヴァンジェリン様をご自身の手で更に追い込まなくても宜しいでしょうに」
アスランの言葉は最もだ。けれども納得のできない部分が多すぎる。せめて彼女がなんと言ったかくらい聞かせて欲しかった。
イヴは僕から離れようとしている様だが、身体に力が入らない様だった。可愛いなぁと心の底から思っていると、つかつかとアスランが寄ってきてイヴを抱き上げた。
「送って参ります。殿下はそこで待機」
彼女を送って帰ってきたアスランはご立腹だった。まぁたしかにイヴほど可愛い妹に無体なことをする輩は頭にくるだろう、理解はできる。けれどもそんな可愛い婚約者に手を出すなという方が無理があると思うのだ。
「で、ジェイド。何か言いたいことは?
いつも言ってっけどな、あんまりやり過ぎるんなら、イヴとの結婚は認められねぇからな」
2人きりの時は敬語は不要、とアスランには言っている。もともと幼少時からアスランとは交流があり、面倒見のいい彼は僕にとっても兄の様な存在なのだ。
「悪かった。でもあれ以上はする気はなかったよ。イヴとの約束もあったし」
「あんなぁ、あれ以上はする気もないも何も、そもそもエヴァはまだ未成年で、しかもお前との婚約だって、納得してなさそうだろうが!」
異国にほぼほぼ放置でほったらかしにされていた公爵令息はとても口が悪い。もちろん必要な場では、きちんとした言葉遣いができるが、プライベートになると、どこの下町の兄ちゃんだと言いたくなる。
「じゃあ、グラムハルトと婚約した方がいいと思うか?正直言ってルーク公爵家はかなり腐れてるぞ。まぁ、今のお前の家も大概だけどな」
「あんな、確かにエヴァには、幸せになって欲しい。やり方はどうかと思ったけど、お前がエヴァのことを大切に思ってくれてるのはわかってる。
でもな、エヴァをベネディのとこに嫁がせるか否かとお前が手を出すか出さないかを同列に語るのは間違いだろう。
ルーク家の一族であるベネディ家の嫡男のとこに嫁がせないってのはわかる。俺もその気はない。で、お前がエヴァに惚れてるから、欲しいってのも理解した。
じゃ、大人しく結婚式まで待て?エヴァに変な手出しはすんなよ」
「お前は鬼か、アスラン。あんなに可愛いイヴを前にして何もしないなんてできるはずがないだろう。だってあんなに可愛いんだぞ?」
「本当に好きなら我慢しろ、せめてキス止まりにしろ。それ以上は認めん」
「お前は好きな子ができたことないからわからないんだよ、アスラン」
「じゃあ、お前は可愛い妹がいないからわからないんだな、ジェイド。
考えてみろ、あんな妹がいたらお前は、お前みたいな婚約者を許すか?」
アスランの言葉に少し考えてみると、答えはひとつしかなかった。
「焼却処分にするな」
わかってるなら、弁えろ、とそう言って未来の兄は僕の頭をぽかりとやった。僕にこういう態度を取れるのは、もうアスランくらいのものである。
「ところでお前、サラとはどうなってんだ?」
「サラ?うぅん、今ひとつあいつの立ち位置がわかんないんだよね。母とクラフト夫人は僕の婚約者にしたがってるみたいだけど、あいつ自身は何も言わないから。
もちろん僕はイヴ以外と結婚する気なんてないけど、万が一、いや、億が一、母の思惑通りサラと結婚したとしても、子供はできないだろうし、うちの国は王家でも一夫一妻制だからね。最終的には離縁するしかなくなると思うんだ。多分サラもそれは理解してるはずだと思うけどね?」
「つまり、サラもこちらの陣営に引き込めるってことか?」
「いやー、だってサラだからね?正直あいつは敵に回したくないけど、味方にもしたくない。何をしでかすか全く想像がつかないからな」
「確かに、一番の敵は足を引っ張る味方って言うかんなぁ…」
サラの本性を知る僕とアスランはため息をついた。彼女のことは様子を見るしかないだろう。