令嬢は婚約解消を願い出る
さて、最後にこの舞台の幕を下ろさなければならない。私はクラン家に戻るつもりはない。貴族籍を捨てて神殿に入殿するつもりだ。
けれども、クラン家をこのまま取り潰させるわけにはいかない。なぜなら、クラン家にはアスラン兄様という方がまだいるからだ。
アスラン兄様は留学と称して国外に出された後接触はないが、幼い頃、優しくしてくれていた記憶がある。それに何よりいきなり家族から切り捨てられる辛さはわかるつもりだ。
「恐れながら、陛下。発言をお許しいただけますでしょうか?」
陛下は階下の私をチラリと見ると、許す、と答える。
「ありがとうございます。クラン家のことですが、今まではサイテル伯爵家の者が勝手をしたまでのこと、聡明なる陛下であればご存知でしょう」
陛下と周りの貴族に向かって、クラン家を表立って罰するなよ、と釘を刺す。そもそもお母様が亡くなった時、兄は10歳、私は6歳。それなのにクラン家を掌握するなど無理だ。
何より、実父が増長したのはリオネル家との契約を締結したせいで、王家はその契約の締結を阻止できなかったのだ。そちらにも瑕疵があるのだから、クラン家を取り潰すことは許さない。
「私はかの家に戻るつもりはございません。
我が家には幼い頃に、留学という名の下に他国へ追いやられた直系の兄がおります。
幸い、あの愚かなサイテル伯爵家の者とは幼い頃からあまり接触をしていなかったので、きっと立派な公爵家の一員としてお育ちでしょう。
どうぞ兄を呼び戻し、クラン家を継がせていただけますでしょうか?」
「それはもちろん、そうなさるおつもりでしたよね、殿下」
私の願いに応えたのは陛下ではなく、わたしを隣で支えてくれている、セオだった。ジェイドは一瞬驚いた顔をしたものの、憎らしげにセオを睨みつける。
「なぜなら、殿下はもうすでに、クラン家の御子息を秘密裏に帰国させ、ご自身の側近としてお手元に呼んでいらっしゃる。もちろん陛下もご承知の上でしょう?
そうでしょう、アッシュ殿…いいえ、アスラン殿?」
そう言いながら、セオはジェイドの護衛騎士のアッシュ様を見た。
アッシュ様は、麗しい顔立ちの方で、金色の髪と紫の瞳を持つ。どこか品があるので、おそらく高位貴族であろうと思っていた。留学をしていた経験があり、高位貴族には関わり合いになりたくない私ですら、仲良くなりたいと思っていた。
幼い頃に別れたからか気づかなかったのが不思議なくらい、言われてみるとアッシュ様はアスラン兄様だ。私に対しては情報が制御されてなかったのだろうにも関わらず、まったく気づいてなかった。
道理で彼もゲームには登場しないはずだ。だってゲームではクラン家はお家取り潰しになっているのだから。
「ははは、いや、さすがはハルトの名を持つ治癒術師殿だ。たしかにその通り、これは思い上がって公爵家を乗っ取ろうとしたサイテル家を取り除くための茶番だ。
しかし、思ったより奴らが愚かだったせいで、クラン家にも咎めが必要かと思ったが、賢明なエヴァンジェリン嬢のおかげで、それもことなきを得た。
なぜなら、彼らに処罰を言い渡す前に背教者として神殿預かりになったのだから」
そう言って陛下はひとしきり笑うと、アスラン兄様を隣に立たせ、貴族たちに宣言した。
「さて、先ほども申したが、愚かなサイテル一族は異端審問されることとなった。一度その審問会に呼ばれた場合、例え無罪だとしてもその名誉は戻らないままである。
しかし、ここにはクラン家の直系の嫡男がいる。今日より彼が当主としてクラン家を継ぐことを許す。そもそも、サイテル家の増長には我が王家と貴族会も少なからず責任がある。
これ以上この件については異論を認めぬ」
陛下の下命に貴族たちは頭を下げる。そもそもリオネル家との契約を王家と貴族会が止められなかったことが問題だったと珍しく王家が過ちを認めたので、とりあえず公爵家として存続はできる様だ。しかし、これはクラン家にとって大きな瑕疵になることは間違いない。あとは兄がどの様に立て直していくかだが、もう私には関係のない話になるだろう。
「リザム嬢。この度の働き、見事であった。増長したサイテル家をなんとかせねばならんとは思っていたが、そなたにここまで働いてもらうことは想定していなかった。しかし、さすがジェイドの選んだ娘というところか」
ほっと一息をつく私に向かって陛下は声をかけた。その顔に笑みは浮かんでいるが、私の今立っている場所からもわかる様に、王家が私をジェイドの婚約者のままにしておきたくないことは理解している。
「勿体ないお言葉でございます」
「何か望むものがないか。なんなりと褒美として与えよう」
「それでは、陛下。ひとつお願いしたいことがございます」
私がそう言うと、陛下はふむと興味深げに私をみる。何を言い出すか楽しんでいる雰囲気がする。
「どうぞ、私と王太子殿下との婚約解消をお許しくださいませ」
そう、あの契約の反故が目的なら私はジェイドの婚約者である必要は無くなったのだ。下手に婚約期間を長引かせて訳のわからない冤罪を押し付けられるのはごめんだし、何よりジェイドに別れを告げられるくらいなら、私から告げたいのだ。彼の口から婚約解消の言葉は聞きたくなかった。
陛下に向かって、私は深く深く頭を下げた。
ここまでで、とりあえずエヴァンジェリン視点はひと段落いたします。お読みいただきありがとうございました。
明日は他の登場人物の視点でお話を進めたいと思っております。そのあとはまた、エヴァンジェリンの視点に戻って話を続けようと思っておりますので、今後とも何卒よろしくお願いします