傷物令嬢はさらに傷を負う
文字数が多くて読みにくいかもしれませんが、お付き合いくださると大変嬉しいです。何卒よろしくお願いします。
私が前世の記憶を思い出したのは、高熱にうかされているときだ。
正確には、池のほとりから、恍惚とした表情で溺れている私を見下ろしている王太子殿下を見た時かもしれない。もちろん突き落としたのは王太子殿下である。
助けを求めようとして口を開けば、池の水が容赦なく口内に入り、がぼがぼ言うばかり。王宮の池は深く、15歳のほぼ成人女性の私の足ですら、つかない。突き落とした本人は笑っているばかりでこちらを助けようとは一切しない。
最後に見たのは、私を助けに飛び込む護衛の姿であった。
三日三晩熱に浮かされた私はその時に前世の記憶を詳細に思い出した。そうして、今の自分と融合させた。
私の前世は、しがないOLで、普通に働いて普通に暮らす、どこにでもいる珍しくもない人間だった。彼氏もおらず、どちらかと言うと干物で、趣味は乙女ゲーム。スマホのアプリを美課金(誤字ではない)で楽しむ、という地味で目立たない、人畜無害の二十代後半の女性、それが私だったのだ。
ちょっと変わってたのは死因で、所謂痴情のもつれに巻き込まれたのだ。ある日、宅急便です、とチャイムが鳴り、女性の声だったので珍しいな、と思いながらドアを開けたら急に腹部を刺されたのだ。
「彼を返して」とか「私たちは愛し合ってるの」とか言いながら、女は何度も刺してきたが人違いだ。私は生きている年齢=彼氏いない歴なのだから。
違う、と言おうとしたが、喉から血が逆流して、何も言えなかった。
女があまりに騒ぐものだから、様子を見ようとしたのか、隣の部屋から男が出てきた。
その男を見て女は「あなた、どうして、その女はなに?じゃあ、この女は?」とかなんとか騒いでいた。お隣さんが不倫相手だった様だ。部屋、間違えたな。ちゃんと調べてから、行動して欲しいものだ。いや、人を刺しちゃダメだけど。
そのまま視界が暗くなったので、恐らくその時に私は死んだんだろう。
現世のわたしは、エヴァンジェリン・クラン・デリア・ノースウェル・リザム。今は子爵令嬢だ。黄金の髪に、菫色の瞳の少女である。
元の名前はエヴァンジェリン・フォン・クラン。王家の血を引く、由緒正しい公爵令嬢だった。つまり、わたしは公爵家から子爵家に養女に出されたのだ。なぜかと言うと、理由は簡単、わたしが公爵家に相応しくない、傷物になったから。
前世の記憶を思い出す前のわたしは、それが悲しかったが、今の私はそれで良かったと思う。
なぜなら、実父のクラン公爵はわたしに見向きもしない人だったし、実母は6歳の頃、亡くなっている。4つ上の兄は優しい人だったが、隣国に留学という形で追い出されており、全く接触できなかった。後妻の義母はわたしに関心がなく、2つ上の異母兄と、同じ年の異母妹は自分の方が父に愛されている、とわたしを見下していた。実際に父はわたしに話しかけることはなかったが、異母兄や異母妹とはよく話している姿を見かけた。
「あぁ、エヴァ、目が覚めたのね?貴女は3日も意識がなかったのよ。痛むところはない?わたくしのことは、わかるかしら?」
目を開けた私の視界に一番に飛び込んできたのは、リザム子爵夫人ーー私のもう1人の義母であるリエーヌ様。リエーヌ様の美しい瞳から溢れる涙が私のほおに当たり、耳元へと伝う。よほど心配してくださったのだろう。ひどい顔色をしている。
「お嬢様、よかった、お目覚めになって!神様に感謝しなくては!あぁ、そうだ、旦那様に知らせて参ります!」
そう言って駆け出すのは、エリスだ。彼女は子爵家が雇ってくれた侍女である。実家はわたしを養女に出すにあたって、何もしてくれなかったのだ。唯一母の形見のピアスを持ち出すことは許されたが、それ以外の宝石やドレスは持ち出すことを許されなかった。今頃、異母妹の持ち物になっているだろう。
「エヴァ、よかった。気づいて」
程なく走ってやってきたのは、リザム子爵のヨアキム・クラン・デリア・ノースウェル・リザムだ。お二人には子供がおらず、娘が欲しかったと仰って、そんなに裕福なお家ではないのに、厄介者の私にも、随分よくしてくれる人格者である。穏和で、誠実な夫妻は、領民たちにも慕われている。
記憶を思い出す前のわたしも、素直に甘えきれなかったが、夫妻のことが大好きだった。
「お義父様、お義母様、私は大丈夫です。ご心配をおかけしました。お義母様、ひどい顔色です。私はもう大丈夫なので、どうかお休みください」
私の言葉に子爵夫妻は顔色を変える。リエーヌ様に至っては、先ほどよりもさらに涙を溢している。
「母と呼んでくれるのね、エヴァ」
「もう一度、呼んでくれるかい?エヴァ」
素直になれないわたしは、今まで子爵夫妻のことをリザム子爵、リエーヌ様とお呼びしていたのだ。
けれども、前世を思い出した今となっては、公爵家の面々よりも、子爵夫妻の方がよっぽど家族だと思えるのだ。
恐らくお義母様は、ずっと私についていてくださったのだろうし、お義父様は王宮にお勤めで、お忙しいのに、すぐ連絡のつく子爵邸で仕事をしてくださっていたのだろう。
勢いに任せ、起き上がって抱きつこうとし、頭の痛みに眉を顰める私に、慌てた様にお義父様が、止める。
「あぁ、起きてはいけないよ。池に落ちた時にね、池の縁石で、額を傷つけてしまった様なんだ…」
「ごめんなさい、本当は治癒師を呼びたいのだけど…」
「大丈夫です、お義父様お義母様。傷なんて、今更ですわ。これが原因で、婚約解消になるなら、私はそれでも構いません」
私の言葉にお義父様の顔が曇る。
この世界には、魔法がある。
この国、クライオス王国の初代国王は偉大な魔導師だったらしく、魔法で魔物や他国を退けて国を造った。だから、王家に近ければ近いほど、強い魔力を持つ。かく言う私も強力な魔力を持っているらしい。
よくあるゲームの様に、地水火風の属性を持つ人間がほとんどだが、ごく稀に光の属性を持つ人がいる。それは何万人に1人くらいの割合であり、大国と言われている我が国ですら、5人しかいないのだ。
光属性の持ち主は治癒魔法と防御魔法が使える。光属性はその性質から『神が人に与えたもの』とみなされており、神殿の直属となる。光属性の持ち主は国にとって重要なものなので、王家も強く出られない。結果、彼らと神殿の力は増し、王の権力すら及ばない事態も起こってしまっている。
そして、宗教と言ったら清貧、無欲をイメージする人もいるかもしれないが、実はそうではないことも多い。金を奪ったり、罪のない人間の生命を奪ったりなど宗教の名の下に行った非道は枚挙にいとまがない。
まぁ、宗教家とて人間であり、生きているからには食べる必要があり、食べるためには何かしら稼がないと生きていけないのだ。
この国の宗教もそうだ。治癒術師は治療する際は高額な治療費を要求する。それは、何もおかしなこととして認識されていない。少し裕福な伯爵家ですら払えない、その治療費をリザム子爵家が払えるはずもなく、何より私に至っては今更なのだ。
「いや、それが…エヴァ、落ち着いて聞いて欲しいんだが…」
「あなた、そんな話今しなくても…」
「いいえ、お母様。私、今聞きとうございます。お父様、どうぞお話しくださいませ」
夫妻は顔を見合わせ、お父様が言いづらそうに口を開いた。
「君とグラムハルト・フォン・ルーク・ベネディの婚約は解消されることとなったよ。
それで、その、王太子殿下が、君の婚約者となった」
…私がものも言わずぶっ倒れたのは仕方のないことだと思いたい。
この国では王族は名前と名字のみ。『フォン』がつくのは侯爵家以上の上流貴族のみです。
下位貴族になればなるほど、どこの派閥の傍流か、どこの土地を治めているかを知らせるために長くなると言う仕組みとなっています。
平民はほとんどの人間は名字がなく、裕福な商人など一部の人間だけが苗字を持っています。




