令嬢は契約をする
「セオ、ありがとう。それで、足りないと思うけど、これを受け取って」
そう言って私は母の形見のピアスを耳から外して彼の手に渡した。
「ごめんね、私の自由にできる財産ってこれしかないの。あとは出世払いってことにして、事後契約にならないかしら…。その、返せるかどうかわからないけど、私頑張るから」
セオは私が渡したピアスを光に翳しながら聞いてくる。
「大切なものじゃないの?このピアス。結構な値打ち物だと思うけど」
「母の形見よ。公爵家から唯一持ち出せた物だから、ものはいいと思うの。でも治癒魔法代としては全然足りないでしょう?」
「そんな大切な物受け取れるわけないでしょ。お代なんていらないよ、私が君の身体に傷跡があるのが嫌だっただけで」
セオはそう言いながら、ピアスを私に返そうとするが、受け取るわけにはいかない。彼らは無料で治癒魔法を使うことを神殿から禁止されているのだから。
「だめ、絶対に受け取って。セオ、貴方今の自分の状況がわかってるの?すごく痛いでしょう。事後契約を早くしないとその痛いのが続くんだから。
って言っても、私が払える目処が立ってないから、そんなに好転しないかもしれないけど」
「何を言ってるの、未来の王妃様でしょう。殿下は君と結婚したらすぐに傷を癒して欲しいって王宮神殿に依頼してるから、大丈夫」
へらりとセオは笑う。ここ数日で彼の色々な顔を見ているような気がする。その表情はゲームで見た彼とは全く違うが、だからこそ、彼は生きた人間であると思える。
「それまで我慢する、なんて馬鹿なことを言わないでしょうね?それがいつになるかわかってるの?年単位かかる話よ。何年我慢するつもりなのよ!
それに、前にも言ったけど殿下はサラ様がお好きなんだもの、私と結婚なんかするわけないじゃない。もう間も無く婚約解消する予定なんだから」
私が彼を叱り飛ばすとセオは驚いた顔をした。そう言えばあまりのことに、令嬢風に喋るの忘れてた、と思ったけどもうすでに今更である。彼はそっと私の手を取ると、驚いた顔のまま話しかけてくる。
「婚約解消の話、進んでるの?」
「いいえ、まだよ。でもサラ様と4曲も続けて踊るのよ。彼はサラ様を伴侶に迎えたいはずだわ。
それに、貴方のおかげで傷跡は無くなったから、もう殿下に責任を取ってもらう必要はないし。何より、私は別の意味で傷物になったんだもの。もう王家に嫁げる身体ではないわね」
そう、もうゲームは開始されている。昨日のダンスの一件でわかる様にジェイドはサラに惹かれていることが丸わかりである。
だから、婚約なんてしたくなかったのに。下手したらこのまま悪役令嬢の道まっしぐらである。そうなる前になんとかジェイドとの婚約を円満に解消する必要があるだろう。
なんとなく、ジェイドが私と婚約した理由は分かっている。おそらく、サラのためであろう。最近になって気づいたのだが、ジェイドは『ドアインザフェイス』というよくある交渉術を使おうとしているのではないだろうか。
最初に無理なお願いを提示し、それを断られた後、罪悪感に漬け込んで、先ほどより簡単に乗り越えられそうな次のお願いを了承しやすくなる、というテクニックだ。
こういうとわかりにくいが、つまり『50万円の指輪を買う様に勧められて断った後、5千円の指輪を買う様に勧められたらつい買ってしまう』心理である。子爵令嬢を王妃にするくらいなら伯爵令嬢を王妃にした方がいいよね?的な効果を狙っているのではないだろうか。
それに、昨日私はサトゥナーに手込めにされかけている。幸い純潔は守られたが、人の口に戸は立てられぬもの。私が襲われたことはいずれ社交界に広まるはずである。そして見えた足は引っ張るのが貴族のお約束。ならば、何もなかったとしても、誰がそれを信用するのだろうか。医者の診察などどの様にでも改竄できる。つまり、昨日のことは私の瑕疵となる。社交界では、私は穢れた存在とみなされるのだ。
「いや、殿下は君を手放さないんじゃないかな?」
「セオ、あなただってわかってるでしょ?」
「じゃあ、君はフリーになるんだ?その後のことは何か考えてる?」
「両親はどなたか婿養子を迎えて欲しいって以前は言ってたけど、多分昨日の件で無理になるだろうから、今のところは…」
「じゃあ、神殿に所属すればいい。神殿は実力主義だから、過去のことは問わないからね。社交界の面々だって神殿を敵に回したくないだろうから昨夜の件もすぐに話題にならなくなるさ」
「それはとても魅力的な案にも聞こえるけど、私が神殿に所属できるほどの魔導師になれるかどうかもわからないのよ?魔力が高いって昔言われたことがあるけど、魔力の高さだけじゃないんじゃないの?魔導師の実力って」
「魅力的な案に聞こえるなら、大丈夫。それを事後契約にしよう」
セオは嬉しそうに笑う。なんとなくジェイドを思い起こさせる様な笑みにも思えたが、私が何につけ、彼を思い出しているのかもしれない。
「エヴァちゃん、君が婚約解消もしくは破棄した後、神殿に所属して私の弟子になるなら、治癒魔法はお手本を見せたことになるから、お代は不要になるよ?」
「つまり、治癒魔法の代金も払えて、今後の生計も立つかもしれないってことね。
けれど私の実力がなかったら、結局食い詰めることになるんじゃないかしら…。セオにだって迷惑かけるだろうし」
正直に言って魔法など生まれてこの方一度も使ったことがない。この国では貴族の女性は魔力の高さこそ尊ばれるが、魔法については一切教育されていない。
なぜなら、下手に光属性の持ち主と判定されては困るからである。貴族の子女は政略結婚の駒である。下手に属性鑑定などして光属性の持ち主とわかった日には、強制的に教会所属とされてしまうのだ。食い詰めた貧乏貴族の子女であれば、属性鑑定をする場合もあるがーー実際セオドアルートのバーバラはそうだーー、高位貴族になればなるほど属性鑑定を受けさせない様になっている。
もちろん、私も魔力が高いことは分かっていたが、そんな事情から鑑定も教育も受けていない。だから今から教会に所属できるほどの魔導師になれるか?と聞かれると自信がない。
「君なら大丈夫だと思うよ。でも、もし君がうまく魔法を使えなくて困ったら、その時は私がお嫁さんに貰おう。そうしたら食い詰める心配はないでしょう?」
「セオ、そこまで面倒見てもらわなくても大丈夫よ。あなただって好きな人と結婚……できない可能性もあるのか。あなたは魔力は高いだろうし、神殿の所属だものね」
それにおそらくサラはジェイドルートに入っていると思われるので、彼の恋は実らないだろう。
「いやいや、君次第では、そうでもなくなるかもね?」
少し不安は残るが、破格の話である。今後の見通しも立つし、自信がないとは言え、まだ私にも努力すればなんとかなる余地が残されている。セオの言う通り、私さえ頑張って一流の魔導師になればいいのだ。何より私のせいで苦しむセオを放置することはできない。
「わかったわ、セオ。私が婚約解消した場合、あなたの弟子になるわ。それであなたに迷惑をかけない様、早く一流の魔導師になれる様頑張る!」
「うん、契約成立だね。待ってね、契約書を作るから」
そう言ってセオは起き出すと机から羊皮紙を取り出して、契約書を作成した。その内容をよく読んで問題ないと判断した後に、セオの名前の下に私の名前を書き入れた。その瞬間、契約書が光る。その光は二つに分かれ、ひとつはセオの胸元に、もうひとつは私の右手の薬指に吸い込まれる様にして消えた。
「セオ、ちょっと左胸、見せて」
いやいやいや、と先程と同じく嫌がるセオを無理やりベッドに押し倒して上着を捲り、左胸を確認する。刻印から伸びた凶々しい触手の様な腫れは引いており、通常通りの、薄い赤色に戻った刻印があった。
よかった、と呟いた瞬間視界が反転する。反転した視界の先にはセオの顔があった。つまり、今度は私がセオにひっくり返されている状態だ。
「あのね、エヴァちゃん。君って本当に無防備だよね?こっちだって理性を保とうと頑張ってるのに、さっきから君は…」
ぶつぶつと文句を言うセオの言葉でようやく自分がはしたない真似をしたことに気づいたが、もう今更な気もする。セオには思いっきり地を出したし、何よりセオの想い人だって知ってるから、身の危険がないことも知っている。
「ごめんなさい、でも素直に見せてくれないセオだって悪いと思うのよ?」
「あのね、密室に男女2人きり。しかもベッドの上で、この状況。手を出さない男なんていると思う?」
「?いるじゃない、目の前に」
私の言葉にセオは大きくため息をつくと私を起こしてくれた。攻略対象者は皆サラを愛しているので、破滅フラグ的には危険人物だが、異性としては安全牌である。だって彼らはサラしか目に入ってないのだから。
「今回は君の信頼に免じて何もしないけど、次はないからね。あと、男性の部屋に無闇に入らないこと、ベッドにだけは腰掛けないこと、いいね?」
セオはなんだか不愉快そうに続けるが、顔色は先ほどに比べて格段に良くなっている気がする。確認のためセオの顔を覗き込む。
「ねぇ、もう痛くない?少し後遺症が残ったりとかない?」
「君は、本当に…今までよく無事だったね?」
セオの言葉に首を傾げる。
「無事ではなかったから、傷物令嬢って呼ばれてたんじゃないかしら?」