毒殺王妃のため息 6
「ええ、そう、王宮で聞きましたわ。王妃の侍女が話していたのです」
私の質問に答えようと必死で考えていたのだろう。難しい顔でエルマは答えた。
「全く、年は取りたくないものですわね。聞いたのは随分以前です。まだリーゼ様が政務を行っている時ですわ。話していた侍女の名前は憶えていないのですけれど、年若い娘でしたわ。姦しく囀っていたので、他の人間も聞いていたでしょう。調べたら分かるかもしれません」
その侍女はどこで話を聞いたのか。私が執政をしている時ならば、イザベラはまだ禁書庫には入れなかったはずだから、イザベラからではない。イギーならば調べられただろうが、イギーがイザベラに語るような話ではない。
侍女の情報源がどこか、他にも知っている者がいるか、うかつに動いたことで厄介な事態が起こるのは避けたい。慎重に動くべきだろう。
「そう、わかったわ。ありがとう」
「いいえ、お役に立てず申し訳ありません」
曇った表情のエルマに向かって微笑むとようやく、気を取り直したように笑った。チョコレートに手を伸ばし、ひとつ摘まんで口に入れると、ほうっとため息をついた。そうして、私の顔を見ると心配そうに眉をひそめた。
「もう用事はお済でしょう?明日には王都を発ちませんか?あまり長居をするのは良くありませんわ」
「そうね。けれど、気になることがあるの。後でシュティッヒ伯爵を呼んでくれるかしら?」
「兄ですか?もちろん構いませんがなにか?」
「竜木に関係した人間をこのままにするわけにはいかないわ」
「いつまでもリーゼ様がこの国の面倒を見る必要がありますか?王位にある陛下が采配を振るうべきで、これ以上甘やかすべきでは……」
「伴侶を罰することなんてできないでしょう。何よりも、ジェイドが気になるの。このまま、放っておいたら、取り返しがつかないことになりそうで……」
「全く、お甘い」
呆れたように呟いたが、なんだかんだ言ってエルマは私に弱い。有能なシュティッヒ伯爵のことだ。明日の昼頃には都合をつけて訪ねて来てくれるだろう。
「ああ、それと神殿にも用事があるの。潜伏しているアレにも連絡を取りたいのだけれど」
「神殿なんて、更に面倒なものにまで関わるおつもりですか?リザム嬢が大神殿に向かったとは聞きましたけれど、わざわざ厄介なことに首を突っ込むのは賛成できませんわ。それにアレは切り札です。そう簡単に切ってしまっては……」
「彼女は大切な人よ。王家の人間が伴侶を諦めることなんてできないもの。分かっているでしょう?」
「ええ、ええ!分かっていますとも!いいですか、リーゼ様。別に私は王太子殿下の肩を持つことを、今更反対するつもりもありません。王族が伴侶を大事に思うことも分かっています。だから、リザム嬢を諦めろとも申し上げません。ただ、面倒な神殿に彼女をわざわざ行かせる必要はないのではありませんか?今からでも保護してはいがです?」
エルマの意見も尤もだが、そう簡単にはいかないだろう。なにせ、彼女を連れて行ったのは、ハルトの中でも高位に当たる七聖の一人、セオドア・ハルトだ。
そこらのハルトなら無理を通してもいいが、彼に対しては無理は効かないだろう。
色々と醜聞がつき纏う男だが、あの男の実力は本物だ。しかも、エヴァンジェリン嬢に対しては必要以上に構っている。デビュタントでダンスを申し込んだり、連日、彼女の家を訪問したりとしていたらしい。全く、人目を憚らない執着ぶりだ。思わずため息が漏れそうになる。それが不幸な女性に対する憐憫の情だけならば良い。
けれど、エヴァンジェリン嬢は神殿が喉から手が出るほど、欲しがっているものを兼ね備えている。高い魔力を持つ、若い娘。健康な身体と輝かんばかりの美貌を持っている。しかも、彼女を庇護する力は弱い。まさに神殿からみれば、狙い目の、おいしい獲物だろう。
魔力が目的ならまだマシだ。けれど、そうではない可能性もある。
あれだけ美しい娘だ。もしかしたら、エヴァンジェリン嬢自身が目的なのかもしれない。その場合はもっと面倒だし、早めに連れ戻す必要もあるだろう。けれど、このまま連れ戻しても、彼女の評判は地に落ちたままだ。それよりも、一度入殿をし、彼女の魔力の高さを貴族達に見せつけた方が良い。
高い魔力を持つ若い女性を欲しがらない人間を探す方が難しいというほど、神殿も貴族も慢性的な女性不足だ。強い力を持っていることが分かれば、貴族たちは手の平を返すだろう。
エヴァンジェリン嬢の力は強い。まず間違いなく、還俗を許されない二位になるだろう。
本来なら還俗できないはずの高魔力保持者を、無理を押して連れ戻したとなれば、貴族たちの彼女を見る目は変わる。代替わりをする度に弱くなっていく自家を嘆く家は少なくないのだ。
その上で私が後ろ盾になれば、エヴァンジェリン嬢が王妃になることも夢ではないはずだ。スライナト辺境伯も彼女を擁護すると言っているから、余計に。混乱を生まないためには、できれば、あともう二、三家賛成してくれる家が欲しい。できれば公爵家であれば良いのだが、生家であるクラン家のアスランは賛成しないだろう。
ことなかれ主義のテンペス家、神殿寄りのダフナ家もあてにはできない。まあ、反対に言うとテンペス家もダフナ家もエヴァンジェリン嬢が王妃になることを反対しないだろう。クラン家は反対するだろうが、あの家はいまや落ち目だ。エヴァンジェリン嬢がジェイドに嫁ぐのを阻止できるとは思えない。
だから、力のある貴族家が味方してくれれば、混乱は避けられるだろう。味方を作るのがジェイドの急務だが、さて、あの子はうまく立ち回れるだろうか……。
「一度入殿して箔をつけなくてはね。わかるでしょう?それに、こんな時のために潜伏させたのだもの。使わないと損じゃないかしら」
「また『もったいない』ですか?そんなことをおっしゃって……」
「使わない内に私が死んでしまう可能性だってあるわ」
私の言葉にエルマは眉を吊り上げる。お説教が始まる前に「冗談よ」と笑ったが、彼女の怒りは治まらないようで、ぶつぶつ文句を言い続けている。口もややとがっている。いくつになっても純粋で素直なエルマがいてくれることに、今更ながら感謝したくなった。
しかし、エルマが怒っても、私が嘆いても、どうしようもないことはある。本当はエルマだって分かっているはずなのだ。私の体調があまり良くないことも、恐らく、もう、そんなに長くないことも。
できればジェイドの幸せを見届けたいが、私にその時間は残されているだろうか?




